見出し画像

#仲間と作る本~感謝~

私は親不幸者かもしれません。


それでも、両親への感謝の気持ちは忘れません。


**********


親の期待に応えられず、
私はバツイチ子持ちの男性と結婚をしました。


親としては
初婚でそこそこ安定した
心優しい人と結婚をして
欲しかったと思います。



私も思っていました。。。



けれども、何故かどうしても別れられない
彼と出会ってしまったのです。


親の気持ちもわかります。

せっかく大学まで行かせたのに

なぜ、わざわざバツイチの男性と
なぜ、わざわざ子持ちの男性と
なぜ、わざわざ苦労する男性と
 
と、親としては心配しますよね。



もちろん結婚するときは、大大大反対されました。
毎日毎日、両親と喧嘩をして私は毎晩のように涙していました。

3年間なんとかして許しを得ようとしたものの
状況は変わらなかったので、私は家を飛び出してしまいました。


あまりにも辛い状況に逃げてしまったんです。




その頃の私は、

なんで私のことをわかってくれないんだろう。

なんで相手のことをわかってくれないんだろう。

なんで会ってくれないんだろう。

会ってくれれば彼の良いところがわかるのに!!!

と、無理矢理にでもお互いを会わせようと思っていました。




自分のことばかり
都合の良いように考えていたんですね。




30歳を過ぎていた私は焦っていたのかもしれません。


そのまま、彼と入籍をし
両親には入籍をしたことだけ連絡をいれました。



その後も両親と会うことはないままでしたが
待望の赤ちゃんを授かることが出来ました。


私は子供が好きで早く欲しかったこと。
それに30歳を過ぎて結婚したので
私は彼と約束をしました。


「1年が経っても妊娠しなかったら不妊治療に行くね」と。



そして、1年が経っても子供は授かることが出来なかったので
すぐに不妊治療にかかり、やっと授かった子でした。



===========


忘れもしないクリスマスイブの日


お腹の子は7か月になろうとしていたとき
彼と2人きりの最後のクリスマスだからと
張り切っていた私は

買い物に行ってから
ケーキを作ってビーフシチューを作っていたときに
お腹が痛くなりました。


出血・・・・



病院に電話をしたら
至急来るように言われて
行ってみたら

「すぐに入院してください」


と、言われました。


え?
料理も途中だし
洗濯物も取り込んでないし
入院用の準備も何も用意してない

「一回帰っていいですか?」
と聞きました。


「駄目です。帰ったらまた動くでしょ?」
「絶対安静です」


と言われて、
私はそのまま車椅子に乗せられて
入院することになりました。



原因は切迫早産。



入院をするときに
看護婦さんに色々質問されるんですよね


「今までに大きい病気はしましたか?」

「ないです」

「今までに手術はしましたか?」

「ないです」

「今までに入院はしましたか?」

「ないです」



看護婦さんはニコッとされて


「大事に育てられてきたんですね」

と、おっしゃいました。



私は、込み上げてくる涙をぐっとこらえて


「はい」

と答えました。


当たり前に元気だけが取り柄の私ですが

【私は大事に育てられてきた】

と、改めて知り両親に感謝しました。



そして、これから産まれてくる子供を絶対に大事に育てよう!
と誓いました。



********


その時の子も今は5歳です。
お蔭様で元気にすくすく育っています。



今も、両親には相変わらず結婚は認められていません。

しかし、母と会うことが出来て
「孫は可愛い」
と言って可愛がってくれています。


そんな姿を見て、今は無理に旦那さんと
両親を会わせようと考えることをやめました。



私が幸せでいれば良いかな
幸せでいる姿を見てもらえば良いかな

と思うことでいようと思いました。


==============

最後まで読んでいただきありがとうございました。


この話は、発起人の拓さんにより
「みんなの力で被災地の子供たちの未来を応援しよう」
というステキな企画に参加させていただき書かせていただきました。

ご参加させていただきありがとうございます。

そして、ついに #仲間と作る本  が発売されました。
33名のエピソードが詰まった本を是非手にとっていただきたいです♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?