皆自分のことで精一杯だから

屈折してると言われるかもしれないけど。
理解してもらえなかったり、誰にも助けを求められず孤独だったりした年頃もあって、諦めて中学の頃には、どうすれば、1人が寂しくなはないか?という事を考え始めた。
両親は若くして結婚し、子供多数。父は酒乱気味。
自営業を営む若い夫婦はいつも多忙で、余裕がなかった。
夫婦は共依存関係で、その影響で子供たちはそれぞれの立場で苦しんだ。
母の支配を受ける子。全く自分を出さない沈黙する子。場を明るくしようとするピエロ的役割が、私だった。父が母を殴る時、母は必ず私だけを呼ぶ。父止められるのは、私だけだとストッパーの役割が与えられた。
父と私はよく似ていて、私には父の抱える孤独が分かる。そして、父も、私をよく理解し、私を憐れみ、私を可愛がる。可愛がるといっても、無口で家族と関わらず、お酒を飲んだ時だけ面倒なタイプなので、可愛がられた覚えはない。
でも、互いの不器用さは、遺伝的なものなのか、話さなくても理解ができた。
そのせきで、私はきょうだいから妬まれ、疎外される図ができあがった。
殴られる役でありながら、父の愛情を受けているということへの嫉妬。
きょうだいには「中に入ってこないで」と言われ、家庭には私の居場所がなかった。
子供は「居場所がない」なんて具体的に考えたりはしない。何となく、居心地が悪く、悪いと自然に自分がいていい場所を見つけて過ごすもので、私は近所のおばあちゃんちや近所の喫茶店のおじさんのところですごした。近所の大人たちが、行けば、私を受け入れてくれて、私の居場所は、町のあちこちにあった。いい時代だ。
ただそのせいか、同級生との付き合いはうまくできず、学校という場においては、孤独を感じてた。
孤独というのは、一定の時間や場所にいなきゃいけない時に馴染めない時に感じた。クラス縛り、部活縛り、グループ縛り。
義務教育という場は、苦行。
話を戻すと、他人に依存して孤独を感じるくらいなら、1人でどうやったら、快適に過ごせるのかを考え続けた義務教育期間。
やっばり理解してもらえない、側に誰もいてくれないのは寂しいものだ。

色々やってみて、現時点では、回り道してきたが、考えていたほど難しいことではなく、答えは意外と簡単
「皆自分のことで精一杯だからね」
これだけ。私を寂しくさせようなんて誰も思っちゃいないし、皆、自分の主観の中で、自分を精一杯生きてて、他者と関わりたくて、いごいごする。
摩擦が起きて、何かが起きる。
皆、自分の事で精一杯なので、仕方のない事。それを理解すると、ちょうどいい具合の期待にちょうどいいくらいの諦めと関わりがいいあんばい。
他人に期待しすぎず、回収可能な場合に期待もして答えてもらって、適度に孤独は埋まる。
「私と同じようにみんなも自分を精一杯生きてるんだな」
うまくいかなくても、それは、誰かのせいでも私のせいでもない。
ただ、目の前で起きた不具合に対して、答えを出す必要はなく、だいたいのことは、流していくことの方がうまく回収できる。
目の前で起きた良い具合に対しては、思い切り抱き抱えて、脳内に幸せアイテムとしてストック。
理解しようとしなくとも、相手の事情だがあるんだなって的な話。
それを理解できるようになった時点で、世界はずいぶん私に優しくなった。

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