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小5と余命宣告(第1話)

私が、むかーし医師から告げられたのは
私の。ではなく、私の父の余命。

病院の食堂で


「あなたのお父さんは、
 もってあと、1~2年です。」


って。



医者もつらかったと思う。

だって相手は、

小学5年生の女の子だもん。


でも

他に伝える家族は、いないから
まぁ、仕方ないよね。

仕事とは言え、酷だっただろうな。


「そうですか。1~2年ですか。」


その子は、泣かなかった。

目が赤くなることすら、なかった。



ショックだったよ。

今でも覚えているその光景。

別にこの人が悪いわけでもないのに
なぜか申し訳なさそうな顔で
慰めようとするその中途半端な態度が
なんか虚しくて、逆に無表情を貫いた。


非情な現実をたたきつけてくるくせに
やっぱり助けてくれないんだよね。
この大人も。。。


その場を去っていく
女の先生の背中を
一切追うことなく


ちょっとぼぉーっとしながら
食堂のテレビで流れていた
「ヤヌスの鏡(再放送)」の
続きを見ていたのを覚えてる。

内容なんて
全然頭に入ってこないけど…


実はもうどこかでわかってた。

今さら、泣きわめいたところで
どうしようもできないってことを。


だから、

「ちょっと話していいかな?」

と言いながら

医者に消されたテレビを
自分でつけ直して、その続きを。



至って現実的だった。

というか、
シビア過ぎる子どもだった。

両親が離婚したのは、私が0歳の時。

父が50歳の時に
誕生した子どもだったから
「おじいちゃんと孫」に
よく間違えられていた。


つまり、ずーっと父子家庭。

それまでにも、
入退院を繰り返してきて
その度に、施設や友人の家などに
預かってもらい、やり過ごしてきた。


その父を、
そんなに遠くない時期に
永遠に失うということ

独りになるということ

もうずっと覚悟しながら生きてきた。


悲しい

寂しい

イヤだ!


胸がぎゅーっと締め付けられて

苦しくなって、

この苦しいのがなんなのか
わかんないまま

呼吸が浅くなって
泣いてたことなんて、
しょっちゅうあった。


こんなに苦しくなるのは
何かの病気なんじゃないか…

とよく一人で
不安になっていた…



よくありすぎて
慣れてしまったのだ。


人の死は止められない。

しかも本人が望んでいたんだから。


彼の病気は、肝硬変だった。

お酒を止めれば、
改善するかもしれないのに

そのお酒を止めるくらいなら
死んだ方がマシだっ!って
ずーっと言い続けて、
生活を一切変えなかった。


自業自得だ。

子どもごころに、

なら、仕方ないよね。

周りが何度止めたって
本人が、そうしたいなら。

長く生きることよりも
好きなことをしたい。

いいんじゃないの?

別に。

どうぞお好きに。



私といっしょにいる未来よりも

今、そのお酒を飲む方がいいんだから。


いいんじゃないの?

勝手にすれば?


悪いけど
そんな自分勝手な人のことより
自分のことを考えるので
精いっぱいだよ。


残された私は、
これからどうやって生きていくのか…

中学校は行けるのだろうか?

制服を買うお金はあるのだろうか?

今と同じところに住めるのかな?

イヤな思い出いっぱいの
あの施設にまた戻るくらいなら、
違うところを自分で探そう!!

これからの自分のことを
真剣に考えていかなくちゃ
いけないんだから。


自分ではどうしようも
できないことを心配するほど
私の頭の中は、暇ではなかった。



シビア過ぎる子どもだった…





余命宣告後の現実(第2話)


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