【自己紹介】育休なしフルタイム復帰→キャリア挫折で人生の方向性を見失ったママ女医が、自分と向き合い、家庭・仕事・自己実現を諦めない幸せな人生を開拓すべく再出発した話
初めまして。さとみです。
この自己紹介では、
子どもの頃から、真面目に頑張るのが当たり前。
持ち前の計画性を駆使して、努力に努力を重ねて、
やっと医師の仕事も家庭も手に入れたのに、
何か、楽しくない・・・
むしろ、辛い・・・
他の人から見れば、いかにも順風満帆な人生を送っているはずなのに、
実際はそうではない、ギャップが苦しい。
けれど、分かってくれる人なんているんだろうか。
相談したところで、
「人生なんてそんなもんよ。」「無いものねだりじゃないの?」と
一蹴されそうで怖い。
と悩んでいた私が、
自分の本音を知り、
『主体性を持って生きる』ことの大切さに気付き、
少しずつ思考や行動を変えていったことで、
何か、楽しくない・・・の、
「何か」の正体が分かり、
今後の人生、この方向に舵を切っていけば、楽しく幸せになれそう!!!
と希望の光が見えた話を書いていきます。
まずは私の簡単なプロフィールを。
・地方在住
・4歳の子ども、夫と3人暮らし
・女医ですが医師業の大半を手放しました
・個人事業主としてオンライン起業などに挑戦中
・起業塾の裏方やってます
・コーチング、自己啓発、人生を良くするための勉強や実践が好き
・週1でジム通い
・月1でタイマッサージ通い
・家事は食材宅配や家事代行で手放し中
・子どもの習い事やシッターも活用
・フルタイム時代と比較して
やりたくないこと70%オフ&やりたいこと500%増の生活を実現
性格面では、
・MTBI 擁護者
・大人しいガリ勉系優等生タイプ
・1人でコツコツ頑張れる。達成感、成果を感じられることを好む傾向
・大勢でワイワイするのが苦手な陰キャ
・仲良くなってみたら変わってる子だった、とよく言われる
という感じです。
まだまだ、叶えたい理想はたくさんありますが、
今の状況ですら、フルタイム勤務の頃の私からしたら信じられないくらいです。
だって、その頃は、
やらなければならないことに常に追いかけ回され、
本当は疲れて眠たいところを
無理矢理コーヒーを飲んで、手をつねってでも起きて頑張り、
1日を終えるときには消耗しきって倒れるように寝て、
でも眠りが浅くて夜中に何度も目が覚め、
朝には「ああ、今日も、仕事だ」と緊張感で
いやな動悸を感じながらベッドから出る・・・
そんな毎日でしたから。
基本ワンオペで、両親も義両親も遠方、ママ友もいない。
今考えれば大変で当然ですし、
周りにもっと頼れば良かったのですが、
それまでは『一人で歯を食いしばってでも、頑張ってなんぼ』で
全て何とかなってきた人生だったので、
倒れるまで逃げてはいけない!!
と思い込んでいたのです。
疲れすぎてまともな判断や思考ができなくなっていた、
というのもあるかもしれません。
嫌なことが嫌だと分からない。
いざ、少しの時間、自由になれたとしても、
「私、何がしたいのか分からない。」
私は、何を楽しみに生きていくんだろう・・・?
そんな疑問を持ちながら、日々を過ごしていました。
育休なしフルタイム復帰は自分で選びましたが、
体力的にもメンタル的にも限界となり断念しました。
私、この先、どうしたらいい?
私の価値って何?と悩みました。
家族の前では元気に振る舞っているつもりでも、
夫に「何か考え事してるでしょ?」とたびたび心配されました。
この先、希望を持って楽しく生きられるときは来るんだろうか?
来るとしても、いつなんだろう・・・?
いつまで待てばいいの・・・?
ずっと漠然とした不安を感じていました。
周りからの、
「深刻に考えすぎだって~」「今はそういう時期なだけ!」という励ましも
当時は素直に受け取ることができませんでした。
そんな私が、
オンライン起業を通して
自分を見つめ直し、メンターや仲間に出会い、
新たな道を見つけて、
私が元気になって、周りに勇気を与えられるようになりたい
私は、幸せになるために働きたい
そう思えて、自分の生き方の舵を切れるようになったのは、
過去の私からしたら、信じられないような話です。
以前は、安定第一。
定年まで同じところで勤め上げるのが正解、と思っていましたから。
それを実現するために、自分をゴリゴリと削り取って、それを変換して誰かの役に立って、対価をいただいているような感覚でしたから。
以前の私みたいに、
・家庭も仕事もあるのに、人生が生き生きとして楽しいというわけでもない
・時間の余裕も、心の余裕もない
・育児や仕事での独特の責任感に疲れてしまった・・・
・つい子どもに怒って、後から自己嫌悪
・目の前のことに精一杯で、ステップアップしている感じがしない
・私、こんな人生を望んでいたんだっけ?
こんな悩みを持ちながら、
「仕事も家庭も手に入れておきながら、贅沢な悩みね」なんて
言われることに怯えながら、
自分の人生の舵を切りたくても勇気が出ない女性に、
私の経験が、読者さんの一歩踏み出せるようなきっかけになれば嬉しいなと思って書きました。
長くなりますが、気になった方はぜひお読みください。
厳しく育てられ、頑張るのが当然だった幼少期
私はサラリーマン父とパート母の家庭に生まれました。
母の教育方針が厳しく、
3歳から地元で厳しいと評判のピアノ教室に通い、
物心ついた時には、平日も休日も18時に夕食→19時からピアノの練習
という毎日のルーティンがありました。
勉強についても小学校低学年から学習塾に通い、
テストのたびに点数や偏差値を確認され、
100点を取れなかった時には
「どうやったらミスがなくなって満点を取れるか考えなさい」と
言われてきました。
ピアノも勉強も、やる気なさそうにしていると「根性がない」と言われ、
サボったら厳しく怒られるのもあって、真面目にやっていました。
そのため、小さい頃からお勉強ができて、従順な優等生タイプ。
学校の通知表には「責任感のある子です」と書かれ、
班長などのリーダー的な役割もやってきました。
計画性もあったので、
夏休みの宿題は7月中に終了、
テスト勉強は遅くとも本番1週間前に完了。
楽しみは後に取っておきたいタイプでした。
医学部現役合格を目指して猛勉強
小学校後半くらいから「お勉強ができる優等生」キャラが定着し、
中学では部活をやりながら毎回テストで学年1位を取る子、
というポジションを確立しました。
ですが、中学生あたりまで、将来の夢は決まっていませんでした。
普段の行動範囲が家と学校と塾くらいだったので、
身近な大人は両親と先生くらい。
「世の中にどんな仕事があるのかさえよく分からないから、
何になりたいか分からないし、パート主婦とかになるんだろうな?」
という気持ちでした。
う~ん?強いて言えば、
眼科医院とか薬局ってキレイな職場で落ち着いて働けそうだから、
いいかも~???
という、ぼんやりした理由で、
何となく医療系の職業を目指そうと思ってはいました。
そんな頃に、とある女医さんがテレビに出ているのを見て、
女性が働いて自立して人生を謳歌する生き方があるのか・・・!
患者さんを助けるって、やりがいがありそう・・・!
女医、かっこいい・・・!
と衝撃を受け、女医になることを決意しました。
それまで、大人の女性は結婚や出産をすれば
専業主婦やパートくらいしかなれないと思っていた私にとっては
パラダイムシフトでした。
医師になれば、きっと、私も、
働いて、輝いて、人生を謳歌できるかもしれない
そんな希望が湧いてから、
医学部に現役合格すべく、必死に勉強をしました。
特に高校3年生の頃は勉強漬けでした。
平日は学校が終わってダッシュで家に帰って、1日最低5時間。
土日は家から一歩も出ずに、1日最低10時間。
第一志望は叶いませんでしたが、
医学部に現役合格することができました。
合格が分かったとき、
嬉しい!!!という気持ちとともに、
「ああ、ここからは、
レールに乗ってみんなと同じことをしていれば、
人生はきっと安泰」
と、ほっとした記憶があります。
いいえ、そんなに人生甘くはありませんでした。
迷いながらも、前に進む
大学に入ってからも真面目に勉強をして、
無事に順調に進級することができました。
大学5年生からは臨床実習です。
そこで、今まで何も知らなかった医師の働き方や
ママ女医さんたちの生活事情を知ることになります。
もう皆さんもご存知かもしれませんが、
勤務医の生活はなかなかに過酷です。
物理的な忙しさはもちろんのこと、
医療業界、医師業界独特の人間関係、緊張感や責任感、ストレスなど、
メンタル的な負担も相当なものでした。
独身でもこんなに大変な中、
女医+母親として二足の草鞋を履くって相当に大変だな、というのが
実際にやっている女医さん達や、サポートする側の男性上司の話も聞いて、
よく分かりました。
果たして、私は将来、家庭と仕事を両立できるのか?
やると決めたら必死で頑張るけど、私、本当にやりたい?
体力も当然ながら、メンタル的な負担に耐えられるか?
本当に医師になるか、迷いがなかったわけではないです。
ですが、医学部に入って医師以外になるなんて
当時の私には想像もつかず、
同級生のほぼ全員が臨床医を目指す環境の中で
違うことをする勇気もありませんでした。
ひとまず専門医を目指すことにして
そこからどうするか考えよう、ということにしました。
その過程で治療に関わる喜びを感じられたら
きっと医師として働き続けるだろう、と予想していました。
仕事、家庭も手に入れたけど。。。
大学卒業後、研修医になりました。
結婚についても、
20代で結婚・出産すると決めていたのと、
先輩女医からの
「女医は学生のうちに結婚相手を決めておいた方が良い」
というアドバイスを信じて、
学生のうちから結婚相手を決めていました。
ここでも持ち前の計画性を発揮しました。笑
ひとまずの目標を
・専門医資格を取る
・家庭を持つ
として、仕事と家庭を両立すべく、毎日頑張りました。
当時は学生の頃の迷いも表面上は忘れ、
専門医になって地域病院で定年まで勤め上げるのが
人生の目標となっていました。
正確に言えば、医師をやるかどうか?ではなく、
「やる、一択」という思考だったので、
それ以外の心の声はあったとしても聞かない、という感じでした。
迷うよりも、自分に選択肢を与えない方が、楽だったのです。
迷ったって、結局、「他人と違うことをするのが怖い」と、
振り出しに戻ってしまうのが分かっていたから。
心の中ではそんな問題を抱えながらも、
仕事は真面目に頑張り、研修を順調に進めていき、
途中で無事に待望の第一子が誕生しました。
ぱっと見で言えば、いかにも順風満帆な人生ですが。
ここから、本格的に激動の数年間が始まりました。
育休なしで復帰
産後の復帰時期は重要な問題でした。
育休を取るとすると、
地域の保育園事情もあって、次の年の4月復帰。
そうなれば専門医取得も1年遠ざかります。
そして、最大の問題は「育休を取るとしても、ほぼワンオペ」。
初めての育児で、身近に頼る人もいない環境で、
1日中ずっと赤ちゃんに付きっきりで、
赤ちゃんの命を守る責任も全部私で背負って
1年間、1人で育児できそう??
(※当時は地域に保育園以外の育児支援施設があることをよく分かっておらず視野が狭かったです。)
保育園に通わせてもらって、
自分もキャリアを進めながら両立を目指すほうが
現実的じゃないか??
夫とも話し合って、最終的にそんな結論に至り、
育休なしでフルタイム復帰することが決まりました。
上司からは時短でなくて良いのかご心配いただきましたが、
早く技量を上げて専門医を取りたかったのもあって
フルタイムで頑張ることを自分で決めました。
「この1年は人生で一番大変な年になると思う。
でも、ここを頑張り切ったら、その先の未来が開けるはず。
だから、大変でも、諦めない。」
そう覚悟を決めて、復帰しました。
予想通りに、大変な一年でした。
大変じゃないわけがありません。笑
仕事ではたくさんの貴重な経験をさせていただき、
学ぶもの、得るものはとても多かったです。
上司の先生方にはご指導いただいただけでなく
プライベート面まで気にかけていただき、本当にありがたい限りでした。
育児のほうも、保育園に通わせて良かったです。
小さい頃から家庭以外の場に触れさせることができましたし、
他の子どもたちに「赤ちゃん、かわいい♡」と構ってもらって
楽しそうにしていました。
育休を取ってワンオペ育児をしていたら
私の性格からして育児ノイローゼになっていたかもしれません。
働いて収入もあったので、
収入がないことによる無価値感で躓くことも回避された面もありました。
(※育児も人生における素晴らしい仕事ですので、
収入の有無と価値は関係ないと思っています。)
良い面もたくさんありましたが、
実際の毎日は、冒頭で出てきた
眠たいところをコーヒーを飲んで手をつねってでも起きて
でも夜中に何度も目が覚め、朝は緊張感で動悸を感じて目を覚ます
という生活でした。
毎日、その場で起きている急ぎのことをひたすらこなしていく。
こなし終わったら寝る→朝が来たら、同じような次の日
の無限ループを繰り返しているような気分でした。
途中で辞めたって、パートになったって、良かったのかもしれません。
でも辞めると言わなかった、言えなかった、のは、
とにかく頑張るのが美徳だと思っていたから。
復帰前の覚悟を断念する自分なんて許せないと思い込んでいたから。
いつ限界がきてもおかしくなかったですし
私は運よく、倒れなかっただけです。
ちいさなプライドやこだわりのために
こんなにも自分をすり減らして頑張っていたのか。。。
振り返って書きながら、過去の自分に謝りたい気持ちになりました。
そんな当時の私もさすがに危機感を感じて
年度替わりのタイミングでフルタイムは断念しました。
もう違和感を無視できなくなってしまった
その頃には、数年間封印していた
「私は本当に定年まで医師をやりたいのか?それが、私の幸せなのか?」
という違和感を無視できなくなってしまいました。
だって、
私は、経済的には自立しているけど、人生を謳歌はしてないよ?
医学生の頃の迷い。
果たして、私は将来、家庭と仕事を両立できるのか?
やると決めたら必死で頑張るけど、私、本当にやりたい?
体力も当然ながら、メンタル的な負担に耐えられるか?
きっと大丈夫なはず、と迷いを封印して、ひたすら前進しましたが、
ここにきて、もう一度、立ち止まることになりました。
このまま働き続けて、
いつか、どこかで、
人生を謳歌できるようになるタイミングが来るのか???
そんな気がしないけど???
パートになってから仕事の契約時間的な負担は減りましたが、
まだプライベート面も含めた全体的な忙しさや負担は
大きいと感じていました。
また、仕事を途中で引き継いで帰る自分に無価値感が湧いてきて
少しずつ苦しくなっていきました。
フルタイム挫折の敗北感、劣等感を
挽回させたい焦りもあったのかもしれません。
家事は最低限の食事と洗濯くらいしか手を付けられなくなり、
リビングには洗濯物や子どものおもちゃが散らかり、
ホコリも増えていきました。
家の散らかりと心の中は相関するなんてよく聞きますが、
そんな感じで、
「とりあえず出てきたものに反応・対応」みたいな状態でした。
そんなとき、方向転換を決意する瞬間が訪れました。
ある日、夕食の時間にいつまでもぐずっているわが子に
「うるさい!!」と感情的に言ってしまいました。(後で謝りました)
その瞬間に、はっとしました。
「私、なにやってんだ???」
私、何か、間違ってる。
どうなるか分かんないけど、
とにかく、この日々から脱出しなきゃダメだ。
そうでないと、私は大事なことを何も守れない。
この一件をきっかけに、働き方を大幅に変える決意をしました。
コーチング師匠との出会い「お医者さんだって、人間だよ?」
職場に勤務を調整いただきました(後に転職しました)が、
次に来たのは、勤務時間的に、保育園に通い続けられるか?問題。
色々と調べて現実的にできそうな解決策が、個人事業主になることでした。
調べていく中で
オンラインで自由にのびのびと働いている方が
たくさんいることを知りました。
自宅で仕事ができて、時間も融通が利いて、働きやすそう。
子どもが風邪で保育園に行けない日でも、
急に仕事を休んで申し訳なく思うことも減るし。
医師としてしか働いたことのない私でも、できるかも?
私も、もっと、自由を求めてみたい。
そんな思いもあって、個人事業主にもなることを決めました。
たまたまその頃読んでいたビジネス書でコーチングのことを知り、
良さそうなコーチング起業塾も見つけたため
コーチング起業にチャレンジすることにしました。
入塾にあたってコーチングの師匠と面談があり、
私は正直に身の上話をしました。
一通り聞いてくれた後、かけてくれた言葉が、
「お医者さんだって、人間だよ?
自分の幸せを追い求めたって、いいんだよ?」
私は、ただただ、そう言ってもらえたのが嬉しかったです。
医師免許を持っているからには、強く、しっかりせねば。
自分を差し置いてでも他の人のために頑張らねば。
と思っていました。
自分の幸せを追い求めることへ許可を出せなかったのです。
「さとみちゃんって、優秀だしどこでもやっていけそう」
ときどき周りからそんなことを言ってもらえることがありましたが、
それは、弱点は隠し、努力で補い、本音を言わず、
愛想笑いで乗り切ってきた結果としての、周りの評価。
周りに持ってもらえるイメージとギャップのある、実際はショボい自分に
ガッカリされたくないし、ガッカリされたことに傷つきたくなくて、
知らない間に、鎧を脱げなくなっていました。
でも、コーチングの時間は、
一人の悩んでいる人間として、素でいられました。
コーチも、ジャッジなしで、話を聞いてくれました。
コーチの言葉を聞いて、思いました。
私は、幸せになって良いんだ。
自分の幸せを感じられる生き方、働き方をしていこう、と。
そこから、自分の幸せを追い求める旅が始まりました。
コーチングを学んで、
「まずは、自分が幸せになる」ための行動を始めました。
やらなくてもいいことは手放す、
自分に許可を出す、
無理を押さない。
自分がいかに「こうじゃなきゃ、ダメ」と
自分を縛りつけていたかに気がつきました。
コーチングマインドを学んで、
少しずつ、幸福度は上がっていきました。
オンライン起業のやり方も学んで実践して、
約1年間
SNSの毎日投稿、
ライブ配信(誰も聞いてなくても1人で週1回30分話し続けました)、
メルマガ配信、
スライド80枚のセミナー作り、
コーチングの自主練習、
無料相談会
などなど、頑張りました。
結果、、、
挫折しました。笑
うまくいかなかった
原因はいろいろあったと思いますが、
師匠からご指摘いただいたのは、
「発信にエネルギーが乗っていなかった」ということ。
(当時は、頑張ってるのに何で?と思いましたが、
後になって言われた意味が分かってきました)
コーチング起業は挫折しましたが、師匠から
さとみさんは
情報をまとめて資料を作ったり、文章を書いたりする方に
才能がありそうだよ?
ちょっと、もったいない気がしてたの。
よかったら裏方の手伝いをやってみない?
と声をかけていただき、お仕事をいただきました。
一生懸命に取り組んだ先には
望んでいた結果が出なくても
助け舟を出してくれる人が現れることを実感した瞬間でした。
魅力覚醒講座との出会い、これからの方向
いただいたお仕事をやりながら、
次は、何に取り組もう?ブログやnoteはどうかな?と思い、
ネットサーフィンをしていたところ。私は強運でした。
noteで、精神科医よっちゃんの投稿を見つけました。
よっちゃん経由であさぎさんの魅力覚醒講座を知って、衝撃を受けました。
精神科医が太鼓判のマインド講座ってどんななの?!
ドバイでド派手な生活をしているあさぎさんって何者?!
興味が一気に湧き、
たまたま講座の募集期間だったので、すぐに決めて参加しました。
詳しくはこちらへ。
私が参加した魅力覚醒講座20期の
回ごとの個人的な感想は過去の記事にあります。
魅力覚醒講座は完成度の高い素晴らしい講座でした。
現役精神科医のよっちゃんが太鼓判を押し、
何度も再受講している意味がよく分かりました。
(よっちゃん、サポートありがとう♡)
講座内でも素敵な出会いがありました。
同じく女医のゆかりちゃん。
講座の内容を実行するグループを開催してくれたので、
参加させてもらいました。
よっちゃんも、ゆかりちゃんも、
女医さんとして、ママとして、女性として、
「私もこうやって輝きたい」と思える、希望の光です。
出会えて良かったです。
私の20期終了当時のビフォアフはこちら。
ざっくり言うと、
何か、楽しくない・・・という悩みの、
「何か」とは、「余白のなさ」と「無駄に多い罪悪感」でした。
私の中では、幸福度の高さは主体性の高さと相関していて、
納得して迷いがない時には自分の良さが発揮されて、
逆に、主体性を失った時の私は不安に振り回されて幸福度が下がる。
ということに気付けました。
20期で変化できたところはあるけど、
やっぱり、私は、もっともっと変わりたい。
まだまだ、理想は実現していない。
そして、講座が終わって、良い刺激がなくなると、リバウンドする(^^:)
良い環境に居続けることの重要性を感じ、
講座2回目を受けることを決めました。
ちなみに、私は現在あさぎさんのサロンには入っていません。
それについては、こちらへ。
ゆかりちゃんがOG版の魅力覚醒講座を開催すると聞いて、
アサギストから、ゆかリストに転向しました。
現在進行形で、ゆかりちゃんから直接学んで
日々、講座内容を実行中です。
そうやって講座に入ってから
しばらく自分ビジネスを休止していたわけですが、
最近になって
私も、誰かに希望や勇気を与える存在でありたい。
「一緒に人生を良くしたい」「応援したい」と思ってくださる仲間と、
それぞれ自分と向き合い、本音を知り、主体性を取り戻し、
能力にも、気質にも、やりたいことにもマッチした生き方へ舵を切って、
今まで見過ごされてきたみんなのポテンシャルが花開くthird placeを創りたい。
そう思えるようになって、発信を再開することにしました。
すでに発信している人、
すごい実績のある人、
その道のプロ、、、
たくさんいるけど、
現在進行形で人生を開拓している私だからこそできること、
こういう私だからこそ、一緒に取り組みたい人、
広い世の中には、きっと、いるでしょう(?!)
私が発信を通して実現したいのは、
控え目で堅実な女性が
「こうすべき」という思い込みから解放されて
自分の本音に正直に、自分に合った生き方へ舵を切ることを通して
人生の幸福度を高め、周りへと幸せを循環させていける世界です。
この世界の仲間を募集しています。
こちらのLINEからお友達になってくださいね(^^)
この自己紹介に共感いただいた方に向けて
・心理的に安心安全な場、コミュニティ作り
・マインドを整えるメール講座などのコンテンツ
など、企画中です。ご案内はまだ先になりそうですが。
こんな長文をここまで読んでくださった方は
きっと何か私と通ずるものがあったのではないでしょうか?
良かったら、感想をお寄せください。励みになります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。