周りと一緒であることが正解、なことに違和感を感じていた思春期の話
私には父親の仕事の関係で、
小学校5年生から中学1年までの3年間、
インドネシアのジャカルタに住んでいた経験があります。
通っていたのは日本人学校だったので、
受けていたのは日本の教育。
それでも日本で通っていた学校とは違い
自由な雰囲気で、みんな伸び伸びしていたし、
私もそんな環境に段々と影響を受けて
自分を解き放てるようになっていました。
多感な時期だったこともあり、
3年もいるとすっかりジャカルタでの暮らしが
自分にとっての日常でした。
帰国の際には大好きな友人たちとの別れが悲しくて悲しくて、、
私だけここに残れたらと何度も思ったものです。
(もちろん叶いませんでしたが)
帰国して1~2週間ほどで始まる新学期。
まだ春先の寒い中、
制服でスカートを強いられていることにも違和感でしたが、
校則の全てに対して違和感を覚えていました。
何故寒いのに靴下はくるぶし丈なのか?
(冬はタイツでも穿かせて欲しい)
何故靴下も髪ゴムもピン留めも下着までも
全て色が決められているのか?
(何の意味があるの?)
スカート丈が膝上だからって何の問題があるのか?
(夏は暑いから短くしたいよね)
その割にブルマとか、、これパンツですけど、、
(スカート短いのレベルじゃないやん)
とにもかくにも違和感だらけ。
これらの校則は一体誰の為?何の為??と、
不思議で仕方ありませんでした。
反抗することが格好いいと思って反抗している不良みたいなグループの子たちにも賛同出来ず、
とにかく関わりたくない、私の居場所はここじゃないと思い続けた2年間でした。
まさに私の人生における暗黒時代です。笑
それでも私にはジャカルタで出会った
大好きな友達がいること、
ジャカルタで友人たちと一緒に好きだったバンドを日本でも好きで居続けることで
自分のことを好きでいられた自分を保っていたようにも思います。
こんな思いはしたくなかった、と、
10代の頃は思っていました。
中学3年までジャカルタで
仲の良い友人たちと中学校の3年間を過ごしたかった。
でも、この2年間があったからこそ、
私は高校受験を頑張れたとも言えます。
絶対に校則の厳しい学校には行きたくない、
自由な校風の高校に入る!!と決めて
苦手な数学強化合宿などにも参加した記憶があります。笑
ネガティブな経験だったけど、だからこそ強い思いを持って自分の未来を切り開けたとも言える。
無事に第一志望の公立校に入学し、
そこでの出会いもまた私にとってはかけがえのないもので、
今もずっと仲良くしている心友が数名います。
それから、他人と一緒であることが正解、
という価値観に1ミリも賛同出来なかった経験は、
今コーチとして活動をする上で、
他人と違っていい、違うことこそがあなたの魅力で財産なのだと
自信を持ってお伝え出来る考えにも繋がっているなと思います。
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