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「相談してほしかったなぁ」と感じる時に試してみたいこと
「早く言ってよーーー」と思うことが、時々ある。
たとえば、あとから「実は困ってた」とわかる時。
「実は、あの時……」と事が過ぎたあとに明かされることもあれば、「もうどうしようもない!」と限界を迎えた頃に、明るみになることもある。
もちろん、話してもらったところで「もうお手上げ」状態のこともあるだろうけれど、なかには、ちょっと手を貸すだけで、なんとかなることだってあるだろう。
いずれにしても、困っているのに相談してもらえなかった時、本人に伝えるかどうかは別として、心底こう思う。
「なんで言ってくれなかったの? 水くさいなぁ」
ところで、
「水くさい」という言葉、語源はどこからきているのだろう?と気になって調べてみたら、「日本酒の飲み方から生まれた」という説が見つかった。
「献酬(けんしゅう)」という、お酒に関する言葉がある。
「献酬(けんしゅう)」
杯をやりとりすること。酒を飲み交わすこと。
まず、目下の者が目上の方に盃(さかずき)を渡して、お酒を注ぐ。
これが元々の「献杯(けんぱい)」の作法らしいのだけど、逆に、目下の者が、目上の方からお酒を注いでもらうときは、こういう作法があるらしい。
逆に下の者が上の方から酒を注いでもらう際は、「お流れ頂戴いたします」と言葉にしていただき、飲み干したあとには返杯する。
こうやって、一つの盃(さかずき)でやり取りすることを「献酬」と呼ぶそうだ。
いわゆる伝統的な「飲みニケーション」の原型でしょうか。
こうやって、日本人は、お互いの関係性を深めてきた——のだけど、いつからか返盃するときに「盃をすすぐ作法」が生まれたらしい。
この「盃をすすぐ作法」が「水くさい」の語源の一つだという。
わざわざ手間をかけて盃(さかずき)をすすぐなんて、そんな他人行儀なことをしなくてもいいのに!
そんな相手の「余所余所しさ」に対する居心地の悪さに出会ったとき、私たちは「水くささ」を感じるのだろう。
私はこの「水くささ」には、「寂しさ」も含まれているなと思った。
潔癖症の方がいたら申し訳ないのだけど、
同じ盃でお酒を飲み交わすって、軽い”間接キス”だよね。
心だけじゃなくて、身体的にも、相手との距離をぐっと縮めたい。
自覚があるかどうかは別として、そう思って盃を差し出したのに、相手からは水ですすがれて返ってきた。ということは、「もっと近づきたい」という自分の願いが届かなかったことになる。
私は仲良くしたかったのに、もっと一歩踏み込んだ関係性を築きたかったのに、線を引かれてしまった——そんな自分の想いが届かなかったときの、片思いの「寂しさ」に似た感覚を、「水くさい」の語源に触れたときに感じてしまったのだ。
前段の「実は困っていた」とあとから知るときに感じる「水くささ」にも、この片思いにも似た寂しさが混じっている。
大切な人が、独りで悩んでいたとしたら、少しでも力になりたいと思う。
もちろん「困っている」と素直に言えない理由があることも、わかる。
「迷惑をかけたくない」とか、相手を大切に思うからこそ「手を煩わせたくない」「気を揉ませたくない」とか、配慮や気遣いもあるだろう。それに、無意識のうちに、人に弱みを見せたくないという心の働きもあるかもしれない。
何を隠そう、私もだいぶ「水くさい」部類の人間だ。
だから、たとえ無駄な努力だとしても、配慮・気遣いしたくなる気持ちは、よくわかる。
あと、もしかしたら関係性のパワーバランスとして「困っている」と素直に言えない状態ができあがっているかもしれない。
大人になって、マネジメントに携わるようになり、この関係性の力学、ほんとに思い知ったよ。「なんでも相談して」と目上の者がいくら言ったところで、目下の立場では「相談できない」のがデフォルトなのだ。
ああ、じゃあどうやったら「水くさい」を越えていけるのだろうか——と考えたとき、お酒の飲み方にヒントがありそうだな、と思った。
お酒を飲み交わすときはまず、目下の者が目上の方に盃(さかずき)を渡して、お酒を注ぐのだったけれど、今度は逆にすればいいのではないか。
「困っている」と伝えることは、弱みを曝け出すことだ。
それは、お互いにとってあまり都合がいいことではないだろう。
どちらが先に曝け出すか——となったとき、まずは目上の者が「実は困っていて……」と、あまり語りたくない、不都合な胸の内を語る。これが、関係性のエッジ(境界線)を超えていくリーダーシップなのかもしれない。
いわゆる「オーセンティック・リーダーシップ」って、こういうことだよね。
というわけだけど、さて、私はどうしようか。
とりあえず「ヘルプ・ミー」は、わざわざ、多めに、早めに出そうと思っている。
あと「誰かに頼ること」は、「誰かの居場所をつくること」だ。
自分でやらなくてもいいことは、他者に頼ってやってもらう。そうやって「助けを請う」ことは、誰かに成長・経験の機会をプレゼントすることでもある。
大人になった今だからこそ、自分でやりすぎない。
たとえ、できることだとしても、敢えてやらない。
そうやって、ちょっと余裕をもってお酒を嗜むくらいになれたらいいのかもしれないねぇ。
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