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なぜ、インテグラル理論が必要なのか?(Personal Story編)

『ティール組織』の理論モデルである「インテグラル理論」を学ぶこと。
組織論や人材開発を深めるうえでも、そのほか、ビジネスや生活のあらゆる面でいいことがある!

これは真実だと思います。
目下、それをもう少し伝わりやすいように言語化したいと試みているところです。

だけど、何を書いてもちょっと「借りてきた言葉」っぽい雰囲気がぬぐえず、、、なんだか作業が進まず、スランプ状態に陥っていました。
(勝手に自分に課題を課して、勝手にスランプ状態、という、ある意味ではとても滑稽な作業…)

そのような中で、
「スランプの理由は、いちばん奥底にある、超個人的なことを語っていないからではないか!」
ここ数日の貴重な仲間たちとのふれあいの中で、天啓のように得られた気づきです。

そこで、今日は、「ぶっちゃけ」というところを綴ってみたいと思います。

第一弾は、超個人的なはなし。

あまり誰かの役に立つ話ではないけれど、ここを言語化しないことには、その他の視点から語ることができない、というか、語ったとしても偽物っぽくなりそうなので、書いておきます。
自己満足ですが、インテグラルな観点でメタ的に分析してもらえると、「インテグラル理論」の価値、意義にたどりつくかもしれません。

では、始めます。

「インテグラル理論」に出会ってからの話は、こちらのnoteに記しました。
紆余曲折をだいぶ省いたけれど、今語るならば、まぁこんな感じといったところです。

今日、書きたいのは、それ以前の話。

つまりは、「インテグラル理論」に出会った私がここまで熱くなった背景にあるものです。
言い換えると、こういうテーマといって差し支えないかと思います。

・なぜ私には、「インテグラル理論」が必要だったのか?
・なぜ、私は、”インテグラル理論」を学ぶ必要があったのか?

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事実だけを述べると、「大学の授業を通してインテグラル理論に出会いました」。以上。
でも、それ以前から私が抱えていた、ある【問い】(ビッグ・クエスチョン)が、この出会いに意味をもたらしたのではないかと思っています。

その【問い】として思い浮かぶものは、ふたつ。

◎1つめの問い「私は、私自身を信頼してもいいのだろうか?」

この問いを抱いたのは、たしか13歳か14歳の頃だったと思います。
なぜか、当時、芥川龍之介に興味をもった私は、町の図書館で芥川の短編集を借りました。
どんな話を読んだのかは、すっかり覚えていません。
でも、巻末にあった芥川の略歴&人物史のある一説は、原体験のひとつとして残り続けています。

「芥川が幼い頃、母が発狂した。芥川は、いずれ自分も同じ運命を辿るのではないか?という心配から神経衰弱となり、ついには自殺した」

大まかに言うとこんな感じ。

これを読んで、もう怖くて怖くてたまらなくなりました。

というのも、私の母も心を病んでいたからです。
母の病のおかげで、幼い頃からレアな経験をずいぶん積んでいました(この話はほんとうに色々あり、私の核となる部分をつくってくれました。ただ、ここでは本旨から外れるので割愛)。

当時の私は、
「これ、やばいな」
と思ったわけです。

それ以前は、「私は、私。母は、母」という程度にしか思っていませんでした。
母のことは好きだけど、別の人間だ、というある意味では冷めた視点でいたわけです。

でも、芥川龍之介ほどの人が母の影響に振り回されていたという現実を知り、私も、いつか同じような運命を辿るのではないか?ーーそんな不安がよぎったわけです。

そんな時に生まれたのが、この問いでした。
「私は、私自身を信頼してもいいのだろうか?」

この問い、いつも頭にあったわけではありません。
家庭ではたしかに色々あったけれど、もしかしたら、しなくてもいいような苦労をしたかもしれないけれど、決して不幸だったわけではありません。
わりと楽しく、自由で、充実した青春時代を送れていたと思います。

ただ、10代の間、この件について誰にも相談することもありませんでした。
(「自分のことは、自分で」、もう少し極端な表現でいうと、「誰かに相談しても何かが解決するわけではない」という想いが小さい頃に身についた私の性分なのです)

そして、母の症状が悪化したり、そのせいで何かと問題が起きたりするたびに、
「私の中に流れている血」
に対して、なんとも表現しようのない恐怖感を抱いていました。

例えるならば、自分の中に、「時限爆弾」を抱えているような感覚。
いつかこの爆弾は爆発するかもしれないーー。

この感覚は、だんだん薄くなっていきましたが、38歳の今もゼロではないような感覚です。ただ、御せる自信はついたから、ほぼ大丈夫だと思っています。

ここまでは思い出話で、
ここからはテーマである「インテグラル理論」について。

こうした「自分」という存在に対する不信感、恐怖感を消化させるきっかけをくれたのは、大学時代の「インテグラル理論」との出会いに遡れます。

正確にいうと、インテグラル理論以前のケン・ウィルバーらの思想(トランスパーソナル心理学)に影響を受けました。
このあたりの違いはややこしいので説明は超シンプルに。
「トランスパーソナル心理学を含んで超えたものがインテグラル理論だ」
こう考えて、差し支えないかと思います。

トランスパーソナル心理学およびインテグラル理論で、はじめて「発達理論」に出会いました。

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*例として、『インテグラル理論』で示したスパイラル・ダイナミクスのモデルを貼り付けておきます。

人間は段階的に発達していく存在である。
誰もが生まれたときは最初の段階からスタートして、行きつ、戻りつをくり返しながら、より高次な段階へと発達できる可能性をもっている。

発達の道は容易なものではないけれど、人は、善なる者に近づいていくポテンシャルを秘めている。

発達するというのは、「自己中心性」が減少すること。
そして「意識(複雑性)」が拡大すること。
自分にとっての醜い部分が徐々に減り、その代わりに、誰かに対する思いやりにあふれた自分になったり、複雑な世の中で何をすればいいかが読み解けるようになる可能性をもっている。

そして、発達とは、包み込むこと。
今は受け容れがたいことでも、受け容れられるようになる可能性だってある。

発達理論、決して簡単なものではないけれど、
私にとっては「希望」であり「癒し」でもありました。

高次な段階を知ることは、私がどのような存在になり得るかを知ること。
可能性という点では、私は私自身を信頼することができる。
それに、まわりの人だって同じ可能性をもっている!

ほんとうに発達するためには、知的な学びだけではなくて、実践が欠かせないのは言わずもがなです。
だけど、「学ぶ」「知る」ことには、それだけで大きな力があると体験した出来事でした。

以上が、「なぜ私がインテグラル理論を学ぶ必要があったのか」の背景にあった1つめの問いでした。


以下は余談として。

『ティール組織』を支持している方の中には、
もしかしたら私と同じような感覚を抱いている方もいるのでは?と勝手に思っています。

一人のビジネスパーソンとして、マネジャーとして、
また、ビジネス書(特に人材開発)・教育関連書籍の編集者として、
今の日本の組織には、「あきらめ」に似たような感情を抱くことも少なくありません。

組織の論理の中でやっていくためには、自分を犠牲にするのも仕方ない…
こういう無意識の思い込みがどこかにある自覚があります。
現実問題として自分の人間性より組織を優先したことも数知れず。
「組織 >人」という、歪んだパワーバランスもさまざまな場面で感じます。

とは言え、「それは仕方のないことだ」というあきらめもどこかにあったりします。それならいっそ「組織」というものから距離を置きたいという想いがよぎることも多々あります。

少し極端にいうと、「組織に属して働く」ということに、希望をもちたくても、もつことができないという方もいるのでは?
そんな中で、『ティール組織』で示された次世代型組織に、希望や光を見出したという方もいるのではないかな、と思うわけです。

1人では生きていくことができないけれど、関係性に縛られて、自分を押し殺したくはない。
個も関係性も、どちらも犠牲にすることのない、みんなが主役になれる「つながり方」がありそうだ。
(すぐになれるかどうかは別として)可能性があるだけでも救いになる!

『ティール組織』のムーブメントの背景には、さまざまな方がこれまでに感じてきたジレンマや矛盾、徒労感、やるせなさ、痛み、傷があるのだろうな、と思っています。

「痛み」があるからこそ「希望」や「救い」に気づけるのだとしたら、傷ついた経験もまた必要であり、いつか報われるはず。
自分自身の経験に照らしても、そう言い切って支障ないだろうと思います。

「自分の傷を癒すことが、本来の目的(Purpose)へとつながる」

Teal Journey Campusでフレデリックさんが語った言葉を胸に、傷を見て見ぬふりすることなく向き合い、癒し続けたい思っています。

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なお、「癒し」ということでいうと、もうひとつ。

「真剣勝負は癒しになる」

という言葉を近ごろ聞きました。

「癒し」というと、バンソウコを貼ったり、自分を甘やかして「いい子、いい子」したりするイメージがあるけれど、実はそれだけではないかもしれません。
真っ直ぐに、すぐに結論を出すのではなく、ただ向き合うことで満たされるものもあるのでは?という思いで、今日もまた実践の道を続けます。

*長くなり、本筋に戻れそうもなくなってしまったので、「2つめの問い」は次の投稿に譲ります

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柏原里美|編集者・ファシリテーター
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