XX染色体至上主義と性同一性障害

最終更新2024/10/31(最下段に追記)

ジェンダークリティカル(XX染色体至上主義とでも訳せばいい?)の人々に限らないのだけれども、「やたら男性の排除を訴えてくる人々」というのは『男性は成人年齢になったら精子を冷凍保存して女性の安全を守るために安楽死させる、女性でもLGBTや特定のジャンルの動画閲覧経験者や業務外で他者の身体の特定の部位に接触経験のある方々には真の女性の安全を守るために安楽死して頂き、子供は宝ではありますがそれ以前に男児は社会の宝でありその能力に応じて国営の国民保護プログラムによって子孫繁栄の任を果たして頂く為に国を挙げて時々育成に失敗しつつも管理および教育を徹底していく事と致しましょう、そうすれば性犯罪が抑制されて社会はもっと好くなります』くらいの事をオブラートに包んで言っているではないかと危惧しているのですが、私の認識は間違っているでしょうか?

それとも「男性をそんな粗末には致しません、金の生る木なのですから」とでも言うの?

あーあ、売れねーだろうSFネタの一つではあるけれど商売ネタの一つを明かしてしまったよ。ジェンダークリティカル(XX染色体至上主義とでも訳せばいい?)の人々はもはやトランスだけを排除している訳じゃないからトランス排除的ラディカルフェミニスト(trans-exclusionary radical feminist)ですらないものね。

「雑」と「丁寧」というのは使いどころや使い方を誤らずに適切に使い分けられるのならどちらも有用だと私は思います。物を作る製造業というのは大まかに言って原料を使いやすい形や大きさに加工し検査して、材料から部品を製作し検査して、粗削りから順に磨いていき検査して、組み立てて検査して、と順を追っていくんです。いきなり製品が完成するわけじゃないんですよね。料理にも工程って有るんじゃありませんでしたっけ? で、ジェンダークリティカル(XX染色体至上主義とでも訳せばいい?)の人々や「やたら男性の排除を訴えてくる人々」はどこへ向かっているんでしょうね、これらの人々を私は応援するべきなの?

蛇足かもしれないけれど私は「Emancipation from gender bias(ジェンダーバイアスからの解放)」寄りの発言や「トランスジェンダリズム(SexやGenderに関する文化を一方的に押し付けないで)」寄りの発言をすることがある人間であって、「セルフID制や政府が言うところのジェンダーフリー(フリーセックスや性区分の完全排除や性別役割分業の完全排除)」派ではない事を断っておきます。


DSM-5が出てからも10年以上待っていますが、日本の政府および医療はICD-11にはまだ対応しきれていない体でしたっけ?

本当にごくごく最近になって気づけたのですけれども、『令和元年 厚生労働省委託事業 職場におけるダイバーシティ推進事業 報告書』っていう「職場の環境を対象としたアンケート」(これどこの専門家が入れ知恵をしたの?)を根拠にして話している団体さん(性同一性障害特例法を守る会さんと女性スペースを守る会さん)があるんですよね。

この報告書ですがアンケートの集計方法(設問の仕方なんだろうな)にも作為が感じられました(このアンケートで使用されている「性自認」という言葉の意味の使い方には懸念を抱きます。そして質問のされかた次第では私自身もトランスジェンダーとしてカウントされない「その他」の部分にカウントされかねない可能性があると感じられました)。

この報告書を根拠として「性同一性障害とトランスジェンダーは違います」と私の当事者性を毀損する物語が語られるのを温かい目で見守らなければならないというのは私には耐え難く感じられました。「ユウガオの事をアサガオだと言い張って、本来のアサガオの事をアサガオではないと言うような言葉の意味改変」を私自身が直接経験させられるのは少なく見積もっても3度目ですが、慣れはしませんね。こういうのを指して文化の盗用や言葉の搾取や歴史修正主義と言うのではなかったのでしょうか。

要約するとこれらの団体さんが主張しているのは「性同一性障害者の内の診断が確定していない人々をトランスジェンダーと呼び、内輪もめをしている風を装っています」という事でしょう?


ジェンダークリティカル(XX染色体至上主義)と性同一性障害、なんでこの二組の仲が良いのか私には不思議で仕方がない。


「感覚の問題に対して各個人が置かれた社会環境において体と心と感覚の齟齬を耐え忍ぶ上で意思決定の表われとして選択された性同一性障害、トランスセクシャル、トランスジェンダー、ノンバイナリーなどの様相が伺える」という事に配慮がなされて今の性別違和(性別不合)という新診断基準に改訂されたのではありませんでした?

また、「性同一性障害=出生時に登録された性別に対しての異性装」というイメージが強いですが、性別違和に対して言えることは異性装をしているからといって性別違和だと言える訳ではありませんし、異性装をしなければ性別違和だとは言えないという訳ではありません。もちろん性別違和のせいで同性装に悩みを持ち異性装を望む人もいますし、性別違和だけれども異性装は必要ないという人や極端な異性装はしたくない、あるいは出来ないという人も居られるのです。これらは性別違和をかかえる各個人の置かれた社会環境および各個人の感覚と心と意志による差の範囲内であると言えるでしょう。

性自認という言葉の意味を「心の性」と捉えるのか、「感覚としての性」と捉えるのか、「社会的体験あるいは社会的表現としての性」と捉えるのか、あるいは「体と心と感覚と社会的表現および社会的体験としての総合的な性の自認」と捉えるのかなどの違いによって各個人の性別違和への対応は変わる事でしょう。

また、「体験する性」というのは実に複雑なものです。
短い期間でしたが対面接客業である障害福祉および介護保険の業界に身を置いたことで、低賃金長時間肉体労働兼LGBおよびTへの蔑視および軽視という「女性差別」および「弱者男性差別」および「LGBおよびTへの差別」を目の当たりにする経験をしました。もちろん「被障害者への差別」も「被障害者への優遇差別」も目の当たりにしてきました。お仕事ですからある程度の忍耐が求められるとはいえ色々な経験をさせて頂けたことだけは感謝しています。

追記(2024/10/31)

特例法成立の舞台裏については吉野靫さんの著作『誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史』(ISBN978-7917-7313-8)の第一章補論(P61~79)を特にお薦めします。

『特例法が国会で通過するのをテレビで見ていて、これで私の戦いは終わったのだ、負けたのだ、とそのとき思いました。』(P65)や『トランスのことはトランスでやってくれ』(P73)や『「本当はわかっているはずの人」が体制側に譲ってしまうことは』(P78)などの言葉が並んでいます。

誰かが語られなかった人々の事を書き残してくれている、その事に感謝する今日この頃です。GIDの正規医療への初の医療裁判の記録としても貴重な一冊です。


参考文献および引用文献
(参考文献 『令和元年度 厚生労働省委託事業 職場におけるダイバーシティ推進事業 報告書』 000673032.pdf  https://www.mhlw.go.jp/content/000673032.pdf

(参考文献 「トランスジェンダー」と「性同一性障害」は違う 性自認に違和ある人のうち15.8%だけが性同一性障害 |女性スペースを守る会 https://note.com/sws_jp/n/n93f0a330e223 )

(参考文献 トランスジェンダーと性同一性障害は無関係、私たちは共同通信社に抗議します|性同一性障害特例法を守る会 https://note.com/gid_tokurei/n/n34104dd1e727

(引用文献『誰かの理想を生きられはしない とり残された者のためのトランスジェンダー史』(ISBN978-7917-7313-8 吉野靫 著 青土社))