地震から30年経って

当時の私は、勤務先の京都でなく帰省先の北陸の実家で寝ていて、いつもより強い揺れだなぁって思いながら二度寝していた。
その後、テレビを見て大きな地震でびっくり。
何度か行った事がある神戸がえらい事になっていた。

京都の住んでるとこに戻ったら、部屋の中は変化なかったけれどカーテンレール上に飾ってたものが落ちててかなり揺れたのかなって思った。
あとで職場で様子を聞いた。でもさほど大きな被害はなかったせいか通常通り生活できたし、電車ですんなり行ける神戸方面行くのに何時間もかけて行く世界が信じられないって思う私がいた。

それから鉄道も元に戻り、道も街も整備されてからは地震ってあったのかなって思うくらいになった三宮界隈。長田も地震後に行ったら広いアーケードや鉄人28号できてたり整備されてた。
西宮も灘の酒蔵も何事もないように近代的に整備されてた。

私も地震後10年ぐらい過ぎて結婚し、地震を乗り越えた明石のマンションに住み周辺で仕事していた。そんな頃に派遣先の病院の勉強会で、この県立淡路病院映像とこの映像でお話してるDrの話を生で聴いたのだった。

ちなみにこのDrが勤務を終えて地震3日後に神戸のご実家に帰ってショックを受けていた。
ご実家は地震と火事で全焼倒壊していたのを確認したそう。
この映像でお話しながら涙ぐんでいるが、私がお話聴いた当時も涙ぐむ姿が。
Drは一生忘れないと言うか人生観も激変したと思っている。
心臓リハビリや生活習慣病管理しながら災害医療に関わっていると。

何度か県立淡路病院の震災当時のYouTube見て、この撮影をした外科のDrも凄いと。
貴重な資料の一つだと思っている。

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