『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』を読んで(ネタバレなし)
「読みたい本も、他にあって、1日1章ずつくらいのつもりでいたのだが、何だろう、この気持ち。「心が読みたがっている。」冷静に見ると、その欲望に答えてやるのが、今の自分にとって正解なのかも知れないと思えてきたので、一気に読んでしまった。」(オマージュ)
ということで『シン家族』読了。
ト書きのような自分語りで展開される心の機微に、自分で驚いたり、突っ込んだり、落ち込んだりする。緊張と緩和、主客のダイナミズムの筆致が絶妙。
書店員として、一女性として葛藤する著者の日常が交互に織りなし、業界的な内向きな読者に留まらず、女性的、さらには普遍的な読者を獲得することだろう。あまりに赤裸々に語られる文章は、(前作もそうだが)著者の日記を盗み見ているようでもあって、何か申し訳ないような、こっぱずかしいような気もした(でも読みたいのだが)。
プロローグはドキドキした。
エピローグの朝は、ふと私が大好きな「永訣の朝」が頭に浮かんだ。二人がまるで賢治ととし子のように見えて、Nが著者に「俺は俺で〜」という言葉は、怖がらなくていい、大丈夫だ、と賢治がとし子に語りかけた、まさに「Ora Orade Shitori egumo」のように。詩は二人の死別を描いているが、陰惨さの中で輝く兄妹の愛情は、読者にとっては希望にすら思えてくる。
この本が、個別の家族の有り様に悩む多くの読者にとって荒ぶる魂を鎮める本として、読まれることを切に祈る。(ちんこんぼん×500)
最後に、叶うことはないと思うが、いつか彼女の文中に登場したいという欲望に駆られた。
※追記、サイン「なるほどな!」
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