[自粛の象徴マスクという呪縛【解除編】]
ウイルス感染症対策のマスクの使用についての問題点は3つあります。
①マスクは感染の予防には全く意味がないこと。
②マスクをつけても正しいマスクの使い方が出来てなければ飛沫も防げないこと。また、そもそも飛沫が感染の経路としてそれ程比重が少ないこと。
③他人の目(同調圧力)
まず①については正しい知識を持って下さい。この事はもう自明のはずですが一応。分かりやすいのが「ためしてガッテン」の画像。マスクの繊維の間が、ちょっとした「小窓」だとしたら、ウイルスの大きさは「ごま」粒程度。まず防ぐのは無理。
NHK「ためしてガッテン」
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_1167.html
また、JHPIA(日本衛生材料工業連合会)におけるマスクの広告・表示自主基準では、
「家庭用マスクは、外からの微粒子の侵入を完全に防止することには限界があることから「マスクは感染(侵入)を完全に防ぐものではありません」を8ポイント以上の文字で表記。」することが推奨されています。
https://www.env.go.jp/air/osen/pm/info/cic/attach/briefing_h25-mat04.pdf
②マスクをつけても正しいマスクの使い方が出来てないこと。また、そもそも飛沫が感染の経路としてそれ程比重が少ないこと。
この説明も「ためしてガッテン」ほかのサイトに譲ります。
ではなぜ、感染症対策に特に意味のないマスクを半ば強制のように付けさせられ続けているか?
その問題が③他人の目(同調圧力)です。
こちらにも既に書きましたが一部修正して引用します。
https://note.com/satoma/n/n9869ea7165cd
【大衆に「恐怖」を与えることで自粛させ、相互監視に拠って、コロナ対策に打って出た安倍政権。コロナが増加傾向を示すと、自己保身のためにパニックなり、余計な事をする(アベノマスク)。減少傾向を示すと、途端に「恐怖」を煽り出す。しかし大衆も、賢い者から次第にその対策の欺瞞に気づき出す。(ただ潮目を読み世論に従う)実の所、何もしていない。この期に及んで自己保身をしようとする。すると徐々に政権は失墜する。〜中略〜しかし政権が失墜したところで、恐怖が解除される訳では無い(コロナは消えていない)ので、その「恐怖」だけが残る。その「恐怖」の免罪符「自粛の象徴」となっているのが「マスク」である。】
要するに、この同調圧力のメッセージを翻訳すると「この俺がお国の為に感染症廃絶の為、いくら暑かろうが我慢してマスクをしているのに、お前がマスクをしていないとは何事だ!非国民め!」です。
それに対する対応として、まずは「マスク」が感染症対策にほとんど役に立っていない、また「咳エチケット」で充分という「知識」と、知識の無い相手には、①の感染リスクは自己責任なので、②のマスクが数%の飛沫が防げるとして、ならば「私は今、コロナに感染していませんよー」というメッセージを送ることが大事です。
その為に役立つのが、この「非接触型体温計」。私は毎朝検温していますが「今の私の体温は〇〇度なので感染している可能性は低いです」というメッセージの方が強力です。(書店営業で使った結果、結構ウケます(笑))
ただ、こちらの体温計。現在少し手に入り難く、値段も上がって来ています。お金を掛けない代替案としては、
「私の今朝の体温は〇〇度です」といったネームプレートみたいな物を左胸に付けるとか、今朝だけで足りなければ、朝、昼、晩と計って付けるとか。これは新しい生活様式として政府が打ち出せば良い。
また、体温を計って37.5度、あるいはもっと用心する必要かあれば、37度以上の熱がある場合はそれこそ自粛ではなく、自主的に在宅するべきです。
なので、公共の交通機関や大型の商業施設、テーマパークなどは、入口にサーモセンサーを用意し体温37.5度以上の「感染の疑いがある者」を「中に入れない」ことが大事です。コロナじゃないにしても、何らかの病気である可能性が高い。
そもそも37.5度以上の者が出歩かなくてはならない社会の方がオカシかったのだと思います。
若い者はまだ良いが、死にそうになって「マスク」をかけ続けようとする高齢者を見ると、とても忍びない。
中国の小学校体育の事例もあるが、これから気温がどんどん上がる日本の夏。「コロナ」ではなく「マスク」で死人が出兼ねない状況に風穴を開けたいと思っている。
自称コロナ対策班班長
自称市井哲学者の破戒僧
佐藤学