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「新自由主義」の欺瞞を斬るーなぜ私たちはこんなに貧しくなったのかー

『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、新自由主義 英:neoliberalism、ネオリベラリズム)とは、 国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重 視を特徴とする経済思想です。
 資本移動を自由化するグローバル資本主義は新自由主義を一国のみならず世界まで広げた ものと言ってよい。
と・・・新自由主義者は、公的サービスさえも民間企業に委ねて自由競争させることで、行政がやるより効率的であり、価格も下がり、サービス水準も向上するとか、国民にとってもさもいいばかりののようにも主張されるだが・・・・本当だろうか?

日本の政治は小泉構造改革以降、この新自由主義に席巻されてきたといえる。
結論から言えば、国益や国民益(命の安全安心や人権)を損ない、大切な国富(社会的共通資本)が外資(ハゲタカ)に蚕食され、日本を貧しくし、凋落途上国に貶めたのが新自由主義的政策であった。

維新や自民党、そのシンパのテレビがもてはやす学識者(竹中や橋下やホリエモン、成田、そして新人の石丸などくそくだらない奴ら)の言論がよって立っている「新自由主義」とは一体なんなのか?

その一つの側面を簡単に言えば、なんでもかんでも民営化(公共・財政のターゲットにして財政からの巨大補助金収奪と公的事業の乗っ取り)です。
「新自由主義」の本旨である「市場原理主義」と「小さな政府」の考えに基づくなら政府の関与は最小限になるはずだが、実際はそうではなく、莫大な税金が投入されてきた。

※ただし、ここでは莫大な税金が投入された新自由主義政策の別の2つの醜い悪徳な側面のある、1)戦争ビジネス、2)パンデミック毒チンビジネスやSDGs脱炭素ビジネスなどの特殊詐欺ビジネス はここでは述べない

”民営化”という名の「巨大資本による公的な事業(水道や公共交通、郵便や通信、電力など)の”私物化”(営利化)だ。
コモン(みんなが分かち合うもの)を奪い取って、私利私欲の金儲け(利益拡大)の具とした。神宮外苑の木々や自然の三井不動産による破壊行為はまさにその象徴と言える。

はっきり言えば、民営化によって政府と癒着した者(政商)が法外な不労所得を手にしているのだ。

これが、新自由主義者がのたまう「頑張った人が報われる社会」という欺瞞の実態です。ほんとうの正しい表現は「貪欲で狡猾な者が制度の歪みをつくりあげてそれを利用して報われる」社会が正確な表現です。

「頑張ったのに低所得なのに何もしないで生活保護をもらうのはけしからん」と弱者を分断させて社会保障を否定し、自己責任論をぶって、弱肉強食化が推進して、庶民が生活苦に喘ぐ殺伐とした社会を築いてきた。

郵政民営化国鉄民営化や水道民営化の結果を見ても、地方の赤字ローカル線の切り捨て、水道料金爆上げと水質劣化、郵便料金の爆上げやサービス低下などを招いており、最期はすべて大失敗に終わるだろう。

結果的に、海外の事例ではデメリットが遥かに大きい結果を招いて、「再公営化」しつつあります

新自由主義では、労働法制を規制緩和して労働の非正規化(低賃金化・雇用の調整弁として使い捨て化)が推進され、消費税が増税されたことや、円安やウクライナ戦争によって、原材料やエネルギーの輸入依存度が高い経済のために物価高騰もあいまって、圧倒的多数の労働者の実質賃金はどんどん目減りして下流に押し流されてきた。

所得が十分ではないために結婚できない若者が増えて、少子化も加速した。少子化を食い止めるには、若者が安心して結婚して子どもを産み育てられる所得を得られる状況を作らない限り、子ども手当をちょっとばかり増やすしょぼい政策では全く無理です。
なにが”異次元の少子化対策”か?羊頭狗肉もはなはだしいので、笑ってしまう。

一方の外国資本に事実上乗っ取られている日本の名だたる大企業は大企業御用組合が牛耳っている「連合」と談合して労働分配率(労働コスト削減)を下げて、消費税増税に並行して法人税減税が繰り返されて消費税を払わないどころか莫大な輸出還付金を得てきた。空前の利益(配当)が上あがるのに合わせて株価も押し上げられて、含み益も拡大し富裕層の投資家の不労所得(金融所得税率は低いまま)を押し上げ、格差を大きく広げた。
しかし、株価はいつまでも上がらない、今が地獄への転落が始まる山頂なのだ。最後は日経平均は間もなく3千円台まで10分の1に暴落するだろう。それが金融リセット(ブラックスワンイベント)です。


近年、一流と言われる大企業においても、今だけ金だけ自分だけが社風となって、貧すれば鈍するで、上から下まで、精神の腐敗モラルハザードを起こしているために不正事件が相次いでいますね。
やはり「会社」とは、「社会」の文字を入れ替えただけではなく”反社”の意味を含む対義語なのか?
”会社”が社会を潰して民を不幸にしながら利益を追求するだけの悪徳な破壊装置になってはいないか?
”社会の公器”としての日本型経営の会社は一体どうなったのだろう?
日本人の富裕層が拡大しただけならまだ許されるが、グローバリゼーションの進展により外国資本に日本の大企業は実質乗っ取られており、その爆増した利益を・寄生害虫の外国資本家(ハゲタカども)に強奪されてしまったため、全体としても日本はまずしくなったとも言える。
新自由主義のいう自由とは、悪徳な会社が良心モラルを捨てて、自由放縦に金儲けする”自由”になってしまっているのではないか?この汚い濁流を食い止めることが、日本の政治改革の中心課題です。

そのために悪しき新自由主義政策をすべてリセットし、トランプがやったように悪徳な海外資本を国外追放し、外国資本に国富や安値で売り飛ばして、税金から巨額の補助金まで出すために暗躍する売国奴政治家と悪徳政商や御用学者もいっしょに排除して、「コモン」を国民が共同管理する新しい公正なしくみづくりです。

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