Vol.10 インド【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】
20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。
突然の電話
わたしは大学で地域福祉を専攻したものの、高校時代にタイタニック主演のレオナルド・ディカプリオにドハマりして以来、海外への興味も膨らんでいた。海外プログラムを見つけては参加し、オーストラリア、カナダ、バングラデシュに行かせてもらった。そして、ゼミでは途上国開発に名のある教授に出会い、ユネスコ派遣の一員としてインドに行くチャンスを手に入れた。
日本全国から10名の個性豊かな大学生が集まり、3週間インドで識字教育の現場を視察したり、農村でホームステイしたり、現地の大学生と交流する。北から南インドへと移動も多く、ハードながら刺激的な毎日が続いた。
プログラム残り一週間程となり、一行はインド滞在中で最も郊外の農村に滞在していた。しばらく過酷なザ・アジアの生活が続いたことで、数日後からアグラで観光したり、バンガロールの都市に出て大学生と交流したりする楽しみがようやく見えてきた頃だった。
1日のプログラムを終え宿に戻ると、わたし宛に母から電話があったとフロントに呼び出された。こんな海外までわざわざ電話をかけてくるなんて、余程の急用だろう。家族の誰かが交通事故にでもあったのか、父が心筋梗塞にでもなったのか、兄に何かあったのか...。考えると震えが止まらなかったが、意を決してコレクトコールをかけた。
「こんなところまで追いかけてごめんね。伝えるべきかお父さんとも迷ったのだけど...。 もしもの時に後悔して欲しくないから電話することにしたの。」
「うん...。何かあった?」
「明後日の午後、お兄ちゃんが緊急手術することになったの。難しい手術だから、そのまま会えなくなる可能性もあるって。先生は、家族に集まってもらった方が良いって...。」
その言葉はとても鋭い牙のようにわたしの耳をすり抜けて胸に突き刺さった。わたしは受話器を持ったまま人目を憚からず泣き崩れた。
「そ...それ...で、お兄ちゃんはいつまで...生きられるの?」
「今回の手術次第。明後日の昼までに帰って来られれば、麻酔前のお兄ちゃんに会えると思う...。」
「わかった。絶対帰るから。」
出発前にそんな兆候は全くなかったのに、いつかと思っていた日が急に迫ってきたことが信じられなかった。わたしの分身は、遠くに離れた時にやっぱり不調を来すのだ。
驚き、悲しみ、不安、悔しさがグルグル入り乱れてしばらく涙が止まらなかった。
しかし、そうしてもいられない。明後日までにこんな辺鄙な所からどうやって帰ろうか。
真夜中の大冒険
団長の教授とインド人ガイドと早速の作戦会議。この時ばかりは、適当に見えた現地ガイドが頼もしく思えた。
明後日の昼から逆算すると、わたしは今すぐ出発するしかなかった。文字通り同じ釜の飯を食ったメンバー達に旅のリタイヤを告げ、早々に荷物をまとめた。
帰国プランはこうだ。夜通しで車を走らせ、最寄りの空港へ向かう。早朝には国内線で主要都市に飛び、夜の国際線で日本に向かう。約9時間のフライトで翌日の早朝には成田に到着。成田からはお昼までに茨城の病院に到着できるかギリギリの賭けだった。
そうと決まると、地元の青年が車を出してくれた。見るからに頼りない新米の運転手だったけれど、彼が無事に送り届けてくれることを信じるしかない。副団長に一行を任せ、団長だったゼミの担当教授自らわたしに付いてきてくれた。普段であればみんなに迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいになるところだけれど、迷惑を省みる余裕さえなかった。
真っ暗な田舎道に土埃をあげて車はどんどん進んでゆく。どこを走っているのかさえわからない。この時代にスマホとGoogle Mapがあったならば...。
しばらくすると、何やら雲行きが怪しくなってきた。運転手の彼に英語は通じないが、しきりにUターンを繰り返し明らかに迷っている。やはり新米運転手には荷が重すぎる任務だったようだ。目的地に辿り着くのか、予定のフライトに間に合うのか、予想だにしなかった真夜中の大冒険。
しかし、青年は見た目によらず良いヤツだった。夜中に庭先にいるローカルの人を見つけては窓を開け、ひたすら道を聞いてまわった。
真面目に任務を果たしてくれた彼のお陰で、わたし達は空港が開く前に到着した。彼と別れ、教授とふたり外のベンチでドアが開くのを待つ。中でスタッフが寛いでいるのを見ると、少しくらい早く開けてくれても良いものを...。わたしは我慢できずに中でトイレだけ借りて、また外に出された。
ようやく空港が稼働し始めると、昨夜予約したチケット情報が反映されていなかったのか、チェックインにもだいぶ手こずった。インドはIT大国だと聞いていたのに、大分アナログな対応に思わず教授と顔を見合わせた。
教授の粋な計らい
無事に国際線の空港まで到着すると、チェックインまで時間に余裕ができた。教授はわたしを近くのホテルに連れて行き、自分はロビーで待っているからと、出発までゆっくり過ごすようお風呂のお湯も溜めてくれた。数週間ぶりのバスタブは、体も心の凝りも一気に溶かしてくれるようだった。教授の粋な計らいで全てをリセットして日本に帰国することができた。
今回のインド派遣にわたしが選ばれたのは、“健康ポイント”が大きな要因だった。前回のバングラデシュ派遣でも、教授とわたし以外、派遣メンバーは一度は皆病院送りを経験した。例えどんなに優秀でも健康でなければインドで何も学べない。そんなわたしの超健康体が認められ、今回の切符を手に入れたのだった。
しかし、まさかわたしが家族の健康トラブルで帰国することになるとは、誰が予想できただろうか。わたしでさえ、兄のまさかが現実になるとは夢にも思わなかった。
無事帰国
成田までの機内は熟睡できたとは言えなかった。帰国後、方向音痴のわたしは駅員にしつこく聞きながら、空港から最短の電車を乗り継いだ。少しでも早く到着できるとなれば、ぎゅうぎゅうの通勤電車にも大きなスーツケースで乗り込んだ。
病院の最寄り駅に到着し、そこからはタクシーで病院に向かった。時計はギリギリお昼前、変な緊張が張りつめて冷たい汗が背中を伝った。
息を切らして手術室前に到着すると、兄はストレッチャーに横たわりちょうど戦場に入るところだった。間に合った!!
手術するくらい深刻な容体だとわかっていても、一見元気そうな様子にこちらが拍子抜けするくらいだった。
手術は危険が高いという理由で、結局は途中で続けられなくなった。術後も彼の見た目は変わらず元気だったけれど、応急処置ができたにすぎなかった。
彼の命のカウントダウンが始まった。
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