元地方紙記者が記事を書きまくって考えたこと②「呼吸するように記事を書く」
元・地方紙記者がひたすら地域を歩き、聞き、書きまくる中で気付いたことを綴るシリーズ。第2回は「呼吸するように記事を書く」です。
先輩の教え
新米記者の頃、会社の先輩に叩き込まれたのが
「呼吸するように記事を書け」
ということだ。
呼吸するように文章を書けなければ、到底締め切りに間に合わない。文章表現に迷っている暇はないのだ。(そもそも、新聞記事とは、文章で自分のカラーを出したり、コテコテと飾ったりするものではない)
新人のころは、まず、書くことが怖い。どうやって書いたらいいか分からないし、間違ったことを書いて訂正を出したくない。なのに、「事件・事故」やら、「展覧会のお知らせ」やら、資料がどんどん机に積みあがっていく。だからついつい、「これは書いた方がいいですかー?」と間の抜けたトーンで先輩記者に聞く。すると、やれやれ面倒くさいという感じで、「呼吸するように書くんだよ」と言われるのだった。
とにかく書く
書くかどうか悩むのではなく、目の前のネタをとにかく書く。窃盗事件ならこう書く、建物火災はこう、イベントのお知らせはこの形。ひたすら、記事の形式を自分の中に刻みつけていく。この作業を繰り返し、基本となる新聞記事の書き方を習得していった。
あるときは、台風接近中の夜、県庁記者クラブで、刻一刻と迫る締め切りと戦い、先輩に「早くしろ~」と椅子を蹴られながら、災害報道の基本を叩き込まれた。
新聞記事には基本の形式があって、そこからはみ出る部分は非常に小さい。二つとして同じネタはないが、基本がしっかり身に付けば、いくらでも応用は効く。こういう内容ならこの行数で、取材後何分あれば出稿できるか、判断できるようになる。
書くことで私らしくいられる
こうして、呼吸をするように、さらさらさらと、大概の記事は書けるようになった。スピードも、出稿量も、かなりものだ。プライベートでつらいことがあっても、記事を書いている時間が救いになった。
今も、頼まれたものでも、頼まれていなくても、何か書くものがある、書きたいものがあることが、とても幸せなことだと思っている。だから今日も、パソコンに向かうのだ。