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元新聞記者が記事を書きまくって考えたこと③読者コラムの頼み方「去る者追わず、来るものは拒む」

東流西流

私が2021年まで16年間記者をしていた山口新聞には、「東流西流とうりゅうせいりゅう」という読者コラムがある。私が入社するずっと前から続いている名物企画で、山口県内各地の一般読者の皆さん(購読者とは限らない)が週に1回、2カ月間コラムを担当する。

1回の文量は450文字ほど、テーマは仕事、家庭、地域活動、趣味などなど、基本的になんでもあり。執筆者一人に記者が一人ついて、出版社の鬼編集者?みたいに原稿を催促したり、テーマについて相談に乗ったり、少々原稿の手直しをしたりする。

執筆者を探し、また探す

コラム執筆者は県内各地から偏りなく選ぶため、各支社局に割り当てがある。1人支局の記者は、常に執筆者を1人抱えていることになる。2カ月に1回は執筆者を探し、口説き落とし、ルールについて説明し、プロフィールを作成し顔写真を撮る、という作業を繰り返さなくてはならない。これはけっこう大変である。快諾してもらえてほっとしたのも束の間、また次の執筆者を探さなければならない。

選考基準

私の選考基準は「思いをもって何かをやっている人」である。本業以外に地域活動をしていたり、趣味を楽しんだり、複数の顔を持っている人。文章力はこちらのテコ入れでどうにでもなるが、書くネタがないことにはどうにもならないからだ。そして、そういう人は周囲を巻き込むために、日頃から、知らず知らずのうちに自分の思いを語ったりSNSに書いたりしていることもあり、文章力は問題にならないケースが多い。

私の場合、幸運なことに、取材を通じて「この人にコラムを書いてもらいたい」という出会いが尽きることがなかった。自分が「この人の文章を読みたい!」と思う人にいつもアプローチしていた。

だがコラム執筆は名前や年齢、顔写真まで紙面に載るのに、本当にわずかな謝礼しか出ない。2カ月間、毎週締切に追われるのはそれなりにしんどいものだ。断られることもしょっちゅうある。

ルール①「去る者追わず」

私は、一度断られたら、その人には二度とオファーしないことを自分のルールにしていた。それは、私の「この人の文章を読みたい!」という気持ちの鮮度を大事にするためであり、このコラムを書くという機会の価値を高めるためでもあった。

と言いつつ、実は、一度断られたが、もう一度オファーして書いてもらった人が1人だけいる。山口でUターン起業した女性で、本業を軸に活動の幅を広げようとしているときだった。一度は多忙を理由に断られたが、1年ほど待って再オファーして引き受けてもらった。今捕まえておかなくてはいけない、自分のこれまでを振り返って書き起こしておくことがきっとその人のためになるという確信があった。彼女とは今は友人として、共に楽しく地域で活動させてもらっている。

ルール②「来るものは拒む」

執筆者探しに奔走していると、ときどき「書いてみたい」と自分から売り込んでくる人もいる。飛んで火にいる夏の虫、捕まえない手はないのだが、私は丁重にお断りしていた。理由は、自分から売り込んでくる人は何か宣伝したいという下心がある場合が多く、自分の「言いたいこと」ばかりで読んでいて面白くないから。やはり、記者が第三者の目で、この人の「言いたいこと」と「一般読者が読んでみたい、知りたいこと」がある程度重なる人を選ぶべきだと考えている。

終わりに…もう時効?ゴーストライター事件

コラムをめぐって、私には忘れられない事件がある。入社5年目、複数記者がいる支社から、記者が1人しかいない支局に異動してまもないころだった。国の制度を利用して町に移住してきた若者に、コラムを書いてもらうことにした。その制度を担当する市役所職員に間に入ってもらい、2カ月間の執筆期間がスタート。毎回締め切りギリギリではあったものの、ほぼ完璧な原稿が届いていた。

ところが…、最終回の締切当日、原稿が届かない。原稿の代わりに「もう書けません」というメールが届いた。いや、「もう」もなにも、あと1回なんだよ…と思いつつ、連絡がつかないため、やむなくゴーストライターを頼むことに。間に入ってくれた市職員が、これまでの原稿を参考に、最終回を書いてくれた。ちょっとおじさんくさい文章ではあったが、極力彼の筆致に寄せてくれ、なんとか穴をあけずに済んだ。あとにも先にも、コラムで冷や汗をかいたのはこのときだけである。もう、時効ですかね。


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