ワンダーエッグ・プライオリティ 二次創作「上っ面、薄っぺら」 その2
4
カリスマにはいくつかの形がある。くるみの場合、マイペースに生きる姿勢が尊敬を集め、人々を周囲に引き寄せていた。反対に、積極的に人々へ働きかけ、自分が中心になるよう巻き込むタイプのカリスマもいる。
“アイツ”はそれだったとくるみは思う。
くるみと並んで教室内で高い地位にいた彼女は、多くの面でくるみと対照的だった。制服を校則通りに着て、無遅刻無欠席で、屋上で授業をサボることも無い。そして自ら他人へ接近していく。教師からの高評価を活かして自分のグループに所属する生徒に優等生グループの称号をもたらし、くるみとの対等な会話を演出することで自分の価値を高めた。彼女はスクールカーストの頂点を望み、能動的にそれを手に入れようとした。そのための計算されたセルフプロデュースによって、カリスマの座に就いたのだ。だからこそ、天性のカリスマだったくるみより土台も強固だった。
「くるみちゃんは大人だよね」
“アイツ”がそう言った。
「そう?」
「なんか達観してるから」
「えー?どのへんが?」
「恋バナとか軽く受け流してるよね。みんなより一歩進んでる余裕があるように見える」
「ないない。フツーだって」
くるみも恋愛には他の同年代と大して変わらない憧れがある。それは認めて良いと思う。周囲の上辺だけの付き合いをしている女子には興味が無いから話を受け流しているだけで。
「そうなの?」
「うん」
「じゃあ、好きな人の話をしても子どもだなーとか思わない?」
俯く“アイツ”の頬がほんのりと紅潮していた。
「思わないよ」
「聞いてくれる?」
「別にいくらでも聞くって」
それからくるみが聞いた話は、“アイツ”が隣のクラスのイケメンに思いを寄せているという取るに足らない話だった。マジでー?わかるー。すごーい。それだけで済んでしまうし、済ませるべきだった。彼女は自分のことを話したいだけで、くるみの感想は求めていない。くるみが自分の内面を見せないことに少しの不満も抱かない。そうでなければ、女子の大半が知っている周知の事実を今更話してくる理由も無い。
「くるみちゃんも応援してくれる?」
「かわいいな。当たり前でしょ」
「やった。みんなにもくるみちゃんは優しいって言っとくから」
そう言って“アイツ”は笑った。彼女がどんな目をしていたかくるみは思い出せないが、とにかく“アイツ”は笑っていた。
5
床に“何か”が落ちるガシャンという音がした。くるみが伏せていた顔を上げた時、最初に認識したのはランの背中だった。くるみの前を走っていた彼女が咄嗟に背後へ回ってくるみと“何か”の間に割って入ったのだ。そしてくるみはランの足元に落ちた“何か”を見る。それはスプラッタ映画の世界から持ってきたみたいに血でべったり塗られた斧だった。
「くるみちゃん、大丈夫!?」
「わ、私は大丈夫、だけど……」
首を捻って視線をくるみに寄越したランの右腕は、斧が直撃したらしく大量の血が流れていた。傷口を中心にシャツが黒々とした緋色で染まっていく。
「私は大丈夫だから!行くよ!」
ランはくるみの腕を掴み、再びミテミヌフリから逃げるために走り出した。呆然としたままくるみは斧が飛んできた方向を見る。そして自分の目を疑う。ふたりを追いかけるミテミヌフリの中心に、かつてクラスメイトだった“アイツ”が斧を持って立っている。
「フハハハハハ!!」
“アイツ”が高笑いした。その声がくるみの耳にこびり付いてなかなか離れない。
「どうして」
思わずくるみが声を漏らす。
「説明は後!とにかく走って!」
くるみの戸惑いを察したランが言った。
ふたりは角を曲がり、廊下を走り続ける。背後から笑い声が聞こえる。振り返ると、飛び跳ねるミテミヌフリが角を曲がり、くるみたちを追いかけてきていた。まだ“アイツ”は見えない。末端の雑兵にくるみを追い詰めさせながら、自分は余裕たっぷりの表情で悠然と歩いているらしい。
「嫌な奴」
くるみがつぶやいた。
「あそこ!あれに入ろう!」
そう言ってランが指差す先に、掃除用具を入れるロッカーが見えた。あの中にふたりは無理じゃないかと思ってくるみが目をやると、ロッカーの扉に緑色の小さなマークが光っているのが見えた。あれは非常口のマークだろうか。
「本当にあれ大丈夫な――きゃっ!」
足をもつれさせてくるみは前のめりに倒れた。すぐ後ろまでミテミヌフリが迫っている。
「くるみちゃん!」
ランが駆け寄ってくるが、ミテミヌフリの一体がそれより先にくるみの元へ達する。くるみは顔に向かってくるナイフを咄嗟に左腕で防いだ。
「いっ……」
腕に電気が流れるように焼けた痛みが走り、熱い血がドロドロと流れ出す。
「立って!」
ランはくるみの腕を掴んで引っ張り上げた。そのまま全速力でロッカーまで走り、扉を開ける。中は掃除用具が入った普通のロッカーだ。くるみはその光景に絶望を覚える。
「この!」
ランが掃除用具を蹴り飛ばす。モップや箒は奥側の壁に当たって跳ね返ってくるはずなのだが、なぜかそのまま奥へ倒れていく。奥側も扉になっていて、その向こうに教室が見えた。
「早く!入って!」
唐突にどこでもドアと化したロッカーに混乱するくるみをランが急かす。言われるがままにくるみはロッカーを通って教室へ飛び込む。ランも後から続いた。振り返るとロッカーの中に入ってこようとするミテミヌフリが見える。冷たい笑い声。ランがすぐに教室側のロッカーを閉めた。
内側から開けられてしまうのではないかとくるみは怯えるが、その気配は感じられなかった。扉を閉めたことで廊下との繋がりは絶たれたらしい。
「これでしばらくは大丈夫かな……」
ランが疲れきった様子で座り込む。くるみも床に座って乱れきった呼吸を落ち着かせる。
「傷は大丈夫?」
心配そうにランが言った。
「なんとかね。それよりそっちでしょ。あんなに大きな斧が当たって」
「私は大丈夫」
そう言ってランは右腕を差し出す。シャツをべったり染めていたはずの血が綺麗さっぱり消えている。袖を捲ると傷ひとつ無い白く細い腕が姿を現した。
「私にとって、この世界は夢だから」
ランが言った。くるみはナイフで切られた左腕を見る。血も傷も消えていなかった。
6
机いっぱいに大きく書かれた「死ね」という文字を見て、くるみは典型的だなと思う。そして、自分の人間関係が本当に薄っぺらなものであったことを実感する。
着席したくるみの背後から“アイツ”が歩いてくる。自分が束ねるグループの誰かと話している。くるみの頭上から水が降ってきた。
「ごめーん。手が滑った」
顔を濡らしたくるみにペットボトルを手にした“アイツ”が言った。
「気をつけてよ」
「だから謝ったじゃない」
“アイツ”は友人との会話を再開し、笑いながら去っていった。周囲の傍観者たちも笑っていた。安全な場所から遠巻きに笑っていた。くるみを傷付ける娯楽に笑っていた。
いじめのきっかけなど些細なもので十分だった。
廊下で苗字を呼ばれてくるみは振り向いた。そこにいたのはスラリと長く伸びた四肢に程よく筋肉をまとったスタイルの良い男子生徒だった。何度もくるみの周囲で話題となった隣のクラスのイケメン。
「放課後、時間ある?話したいことがある」
「時間ならあるけど」
イケメンの話は告白だった。くるみと付き合いたいと彼は言った。告白されたくるみは、理屈で考える以上に感情で嬉しいと思っている自分がいることに気付く。他の誰でもなく、自分を特別な存在として付き合いたいと言われることに幸福を見出していた。
愛を求めようとする本能がある。その愛は男女の性愛に限らないものだけど、彼氏彼女の関係を内包していることは間違いない。
一方で、くるみの内側では冷静な理性も働いている。彼女は“アイツ”を思い出していた。“アイツ”はくるみの目の前にいるイケメンが好きだと言っていた。
「えー?マジー?」
「ヤバーイ」
イケメンがくるみに告白したという噂はあっという間に広まった。どこから広まったのか把握しようも無かったが、学校社会の情報網は広くきめ細かく、そして伝達プロセスも速度に特化する形で整備されている。だから広まったこと自体にくるみは驚かなかった。
問題は噂には尾ひれがつくという普遍的事実である。
くるみが友人の想い人に色目を使った。“アイツ”が自分によるものだと知られないように付けた尾ひれはそういうものであり、それはすぐに身体を乗っ取った。
他人を傷付けることが人間の本能かどうかなどわからない。しかし、抗いがたい快楽をもたらすことは疑いようも無かった。正当な理由を見出したつもりになった時、人間は残虐な怪物と化す。
誰もくるみと親しく話そうとしなくなった。これはあまり不都合ではない。靴に画鋲を入れられるようになる。持ち物を汚されたりごみ箱や側溝に捨てられるようになる。冷たい水や熱いお茶をかけられた。物を投げられる。後頭部に小石が当たって血が流れた。机やロッカーが罵倒の言葉で埋め尽くされていく。囲まれて服を脱がされる。写真や動画を撮られ、それはすぐさま拡散されていった。
チャイムが鳴ってくるみは帰宅する。両親は不良のように振る舞う娘を半ば諦めている。くるみの目にはそう映っていて、この状況に対して力になってもらおうとは思わなかった。家にいれば胸の重さが少し薄れて解放される。それでいい。
律儀に学校へ行く必要も無いことをくるみは知っていた。学校だけが人生ではない。しかし、くるみは通い続けた。折れることで彼女たちの欲求を満たしてやることに抵抗を覚えたのはプライドだろうか。そしていじめと傍観がくるみを迎え入れる。
屋上に風が吹いてイヤリングを揺らした。くるみは座って空を見上げる。友達は上っ面だけ。彼氏は別れる。親は先に死ぬ。教師は卒業すれば無縁の人。きっと仕事をして得られる繋がりもそういう限定的なものだ。全ての関係は色も持たず薄っぺら。
「永遠か」
くるみがつぶやく。
晴れた日がやってくる。いじめに耐えることは全くの不可能ではない。だけど人間関係の本質がいつまでも変わらず、どこまでも続いていくものなら、耐えることにも逃げることにも価値は無い。もっとも彼女を動かす上でそういう論理は重要でなかったのだけれども。死のうと思った。久しぶりに何かをしたいと強い憧れを抱いた。人間の脳は衝動を長く留めるには向いていない。二十秒我慢してみたらその選択は違うものになっていたのかもしれない。しかし、くるみは憧れを現実に変えた。
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