ワンダーエッグ・プライオリティ 二次創作「上っ面、薄っぺら」 その3

7
 左腕から流れる血で汚れた制服のジャケットを脱ぐ。ポケットに何か入っているようなので探ってみると、ハンカチ、いつも左耳に着けていたイヤリング、生前のお気に入りだった四色ボールペンが出てきた。くるみはワイシャツの袖を捲ってハンカチで傷口を縛り、イヤリングを左耳に着ける。ボールペンは一度指で回してからスカートのポケットに入れた。
「これはランちゃんが見ている夢なの?」
「私には夢みたいなものだけど……私の夢というより……」
 上手く言葉が出てこないらしく、ランは俯いてしまった。くるみは自分で考えてみることにした。ランにとってここは夢の世界で、だから傷もすぐに治る。くるみの腕を縛るハンカチは血で滲んでいる。
「私にとっては現実ってことね」
 ランは否定しなかった。わけのわからない状況だが、くるみも納得するしかなかった。自分が死んだ事実を確信するという普通ならありえない経験をしているだけに、自殺すればこういうこともあるのかもしれないと思えてくる。
「変なこと訊くけど、本当なら私もう死んでるはずなのよね。そのことは知ってる?」
 よく見ていないとわからないほど小さくランが頷いた。
「エッグから出てくる女の子はみんな自殺した子だから……」
「エッグ?」
 それからランが話した内容はさらに現実離れしたものだった。自殺した少女が入った“ワンダーエッグ”なる卵なんだかガチャのカプセルなんだかよくわからないものが存在し、それを売っているアカと裏アカという人?がいるらしい。ランのようにエッグを買った少女が夢の世界でエッグを割ると自殺した少女が出てきて、同時に自殺に結びつくトラウマを具現化した“ワンダーキラー”も現れる。今回の場合、“ワンダーキラー”は“アイツ”で、ミテミヌフリは今回に限らず別の世界でも現れるエッグ世界のスライムみたいなものらしい。
「トラウマねえ」
 “アイツ”をそういう風に表現されることをくるみは不満に思った。自殺の大きなトリガーだったことは確かだが、彼女に負けて死んだように言われるのは気に食わない。
「ごめんね……」
「何が?」
「私がエッグを割ったから、くるみちゃんもこんな目に」
「割っちゃったものは仕方ないでしょ。それより、ランちゃんにとっても危ないことなんじゃないの?どうしてエッグなんか買うわけ?」
 体育座りをしていたランが抱えた脚をさらに引き寄せ、ただでさえ小さな身体を縮めた。膝に顔を埋めていると大きなカチューシャが本体みたいだ。彼女は答えることに何かしらの引っ掛かりがあるらしい。しかし、くるみも死んでいたところをエッグから出されて斧を持った“アイツ”と追いかけっこさせられているだけに、理由を聞かずやっぱりいいよとは言いがたい。
 しばらく待っていると観念したのかランが小さな口を開く。
「先輩を生き返らせたかったの」
「先輩?生き返る?」
 くるみが首を傾げた。
「エッグから出てきた女の子を助けると、助けられた子は別の世界で彫像になるの」
 チョーゾー?ああ彫った像かとくるみは納得し、いや私それになるの?と戸惑いに近い感情を覚える。
「その子と関係が深かった子がエッグを買うと彫像がある世界に行けて、そこでエッグを割って中の子を助けると彫像が暖かくなって……それを繰り返すと彫像の子は生き返るんだって」
「じゃあランちゃんは自殺した先輩を生き返らせるためにエッグを買ってここに来たってこと?」
 ランが頷いた。
「ごめん……」
「なんで謝るの」
「だって」
「いいよ。素敵なことじゃない。危ない目に遭ってでも生き返らせたいと願える繋がりなんだから」
 くるみが微笑む。ランは消え入りそうな声でありがとうとつぶやいた。



8
 教室に留まることに不安を感じ、くるみとランはミテミヌフリに警戒しながら校内を歩く。時折近くの教室に入って周囲を窺う。家庭科室や理科室に入ったくるみは何か武器になるものがあるのではないかと考えるが、包丁を持ったところで斧をぶん投げる“アイツ”に勝てるとは思えなかった。だから美術室で彫刻刀を見てもそれで戦おうとは考えない。代わりにランが言っていた彫像の話を思い出す。くるみのようにエッグから現れた少女には彫像となって生き返る可能性がある、らしい。
 くるみは窓際に設置された流し台の縁に手をついて体重を預けた。視線を窓の外に向けながら背後のランに話しかける。
「エッグから出てきた子を助けるのが目的なのよね」
「う、うん……」
「どうすれば助けたことになるの?」
 振り向いて様子を確かめると、ランは答えにくそうにしていた。
「別に早く助けてくれってわけじゃないけど。単純な興味?」
「ワンダーキラーを……倒せば……」
「倒す?」
 斧投げてくるバケモノを?
「無理じゃない?あっちは明らかに人間やめてるし」
「エッグの世界では私の身体能力も上がるの。傷も基本的にはすぐ治るし、思いが込められたものを武器にする力も与えられる。それでくるみちゃんたちを守れってことで……頑張れば勝てるはず……なんだけど……」
 くるみは笑いながら迫ってくるミテミヌフリの大群を思い出した。あいつら、仮面を外したらどんな顔をしているんだろう。
「戦うのは怖い?」
 ランは弱々しく首肯した。
「いつもこうなんだ。今度こそ戦わなきゃと思っても、怖くなって逃げちゃう。何度もエッグの世界に入ったけど、一度もワンダーキラーを倒したことが無いの。私は、先輩もくるみちゃんも……誰も助けられない……」
 流し台に寄りかかるくるみの目に蛇口が映る。先端に水が溜まっていた。
「気にしなくてもいいんじゃない?誰かを助けるなんて、たぶん簡単なことじゃないんだし」
 溜まった水が落ちて弾けた。
「先輩のことは知らないけど、私は生き返りたいわけでもないし。助けられなくても気にしなくていいよ。まあ、“アイツ”を倒せなかったらどうなるかは知っておきたいけど」
 くるみは振り返ってランの顔を見据え微笑んだ。
「チャイム……」
「うん?」
「チャイムが鳴るまで逃げ切れば、私は現実に帰って、くるみちゃんもエッグに戻る」
「逃げ切れなかったら?」
「くるみちゃんが殺されたら私も死ぬ」
「あれま」
 ランが申し訳なさそうに俯く。
「夢の世界でも不死身じゃないんだ」
「そう……だね。あと、心臓と目もやられると治らなくて死ぬ。実際にエッグを買って死んだ人もいた」
「あはは……。怖いねー」
 もはやくるみには笑うしかない話だったが、ランの表情は暗いままだった。くるみも自分の顔から笑顔を拭いとる。
「でも、ランちゃんはえらいよ」
「え?」
 思わず漏れたという声だった。
「そんなに危ないことなのに、先輩を助けるために戦おうとし続けてる。しかもランちゃんが生きてるってことは、エッグの子を誰も死なせなかったんでしょ?立派だよ」
「でも、逃げてばかりで……」
「仕方ないって。私のトラウマも斧投げてくるような奴だし。そのうち戦いやすい敵も出てくるんじゃない?」
 くるみは励ますつもりで笑ったが、ランは苦笑いで肩を落とした。
「あれ、ワンダーキラーの中では弱い方なんだ……」
「あれで?」
「ワンダーキラーって、殆どは人間の姿を捨てたバケモノになるの。攻撃ももっとわけわからない感じのやつで……」
「よく今まで生きてたわね……」
 ランがくるみにまっすぐな視線を向けた。
「バケモノの力を使うにはエッグの子の恐怖とか憎しみとか……トラウマへの負の感情が必要なんだって。だから今回の敵があの姿のままなのは、くるみちゃんが強いからなんだよ。目の前にトラウマがいても冷静でいられるなんてすごい」
「別に。あれが死んだ理由の全部じゃないってだけ」
「それでもくるみちゃんは強いよ」
 ビードロのようなランの瞳がくるみを映して輝く。くるみは強い。その言葉の裏にランの本心がある。
「強くなんかない。強かったら自殺なんてしないでしょ」
「自殺を選ぶのも、その、ひとつの勇気だと思う。私にはできない」
「できなくていいし。生きてる方がえらいよ」
 ランの表情を見ているのがいたたまれなくなり、視線を適当に逸らす。机や椅子が鮮やかな色で汚れていた。美術室にはうっすらと絵の具の匂いが漂っている。
「くるみちゃんは死んだことを後悔してる?」
「……………………」
 くるみはおもむろにかぶりを振った。
「さっきも言ったけど、生き返りたいとは思ってない。生きてやりたいことも無いから。だから後悔もしていない」
 視界の端に石膏像が見えた。
「というか、ここでランちゃんに助けてもらってもエッグを割って助けに来る関係の人なんていないのよね。きっと私が死んで、みんなもうそのことも忘れてる」
 ランがくるみを見つめる。場所のせいかランの姿はよくできた水彩画のように見えた。
「私は、忘れない」
「ありがと。でも忘れて。私は死んだ。忘れられたい」
 くるみが笑う。ランにも同じ表情になってほしいと思う。しかしその憂いは晴れてくれなかった。



9
 美術室を出て校内を歩いていたふたりは、あちこち回った末に階段に腰掛けていた。上の段に座ったランが脚を開き、その間に挟まれるようにして一段下に座るくるみがランの身体にもたれかかる。後頭部に柔らかな感触が伝わってきて、くるみは見た目の割に好調な発育をしているらしいランを少し羨ましく思う。
 ここに至るまで“アイツ”やミテミヌフリとは会わずに済んでいる。しかし、いつ見つかってもおかしくない状況は変わらない。ふたりの、というよりランの命をかけた鬼ごっこの途中にあって、くるみはランとくっついているこの時間ができるだけ長く続いてほしいと思う。誰かと一緒にいる心地良さをもう少し味わってみたかった。
「今日も勝てなかったら、もうエッグを買うのはやめようと思ってた」
 ランが透き通るような声で言った。
「賢明じゃない」
「だから最後くらいは勇気を振り絞って戦おうって、そう……思ってたのに」
 くるみが顎を上げて頭上を見上げると、ランと目が合った。零れた涙がくるみの頬を濡らす。
「ランは頑張ったよ。これからは現実で新しく大事な人を見つければいい。今度はその人が死なないように。先輩への罪悪感がランにエッグを買わせるのかもしれないけど、先輩を糧にして他の誰かを大事にする生き方も立派な償いじゃない?」
 そう言ってからくるみは思わず吹き出した。
「自殺した私が生き方を語っても説得力無いね」
 笑うくるみの身体をランの両腕が包み込む。いつも一緒に眠っているぬいぐるみのように、ふたりの距離が失われる。
「大事な人、見つかるかな」
「さあね」
「私、先輩以外に好きな人なんかいなくて、先輩がいない世界で生きるのが辛くて、だから何度もエッグを割れたんだと思う。ワンダーキラーは怖いけど、エッグの世界には一緒に怖がれる女の子たちもいるから」
 くるみがランの手首を掴む。そのまま彼女の手を自らの傷を縛るハンカチに触れさせる。ランの指先がうっすら赤く染まる。
「やっぱりエッグを割り続ける?」
「ううん」
 小さくもまっすぐな否定だった。
「寂しいからって他の女の子を危ない目に遭わせるのはもう嫌だ。くるみ……はえらいと言ってくれたけど、今までいつも一緒に逃げ切れていたわけじゃないの。私は何もしないで、女の子が一人で逃げ切ってくれたこともある。ワンダーキラーやミテミヌフリは、何もされなければエッグの子しか狙わないから……」
 悔しさを噛み締めるようにランが言った。
「気に病むことも無いんじゃない?先輩や自分の命のために助けたいかもしれないけど、助けなきゃいけないわけじゃない」
「でも、私は見て見ぬ振りしてる自分が大嫌い」
「そっか」
「ハハハハハ!」
 ふたりの時間が引き裂かれる。くるみは立ち上がって、手すりから身を乗り出すように階下を見下ろした。無機質な色の階段を強引に染めながらミテミヌフリが昇ってきている。
「来たか」
 くるみがつぶやく。
「行くよ」
「待って」
 ランが呼び止めた。
「あの……お願いが、あるの」
 まっすぐに澄んだ瞳が、隠しきれない怯えを湛えながらくるみを捉えていた。

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