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寿都のこと

私はこれまで、小学校時代のことをよくテーマに記事を書いて来ました。それはなぜかと言うと、私の人生の中で、最も輝いていたのが、小学校時代だったからです。もう楽しくて楽しくて、自分中心に世界は回ってるという感覚でした。
んで、それはすべて、寿都町で起こっていた出来事だったのです。

この、寿都町という町にピンと来る方も多いのではないでしょうか。ちなみに読み方は「すっつ」
です。

今、核のゴミを持ち込む文献調査に応募しようか検討している町です。

ほんとうは、こんなことで有名になって欲しくなかった……。

寿都は、ほんとうに素晴らしい町なのです。漁業が盛んで、しらすの時期になると、街中にしらすの佃煮を作っている匂いが立ち込めて、学校の教室からもその匂いがして来て、その匂いをかぎながら窓の外をぼーっと眺めるのが好きでした。

そして寿都は風の町です。追い風の時は、目的地に早く着く。それ位、いつも風が強いです。風で、路線バスが横転してしまった時もありました。その時ちょうど来町していたジミー大西さんが、それをリポートしていたのを覚えています。

その風を利用して、自治体としては日本で初めて風力発電所を建設しました。今では沿岸などに立派な風車が建っていますが、当時あったのは、中学校の近くに建つ小さい風車で、(小さいといっても、今と比べての話です)私も、遠足の時にその風車を見に行きました。マムシが出るという噂の、草がうっそうと生い茂った場所で、何人かの友達と先生と一緒に「近くまで、見に行ってみよう」と行って、ワクワクしながら見に行った記憶があります。その風車は、寿都中学校の電力を賄う位だったのですが、私はとても好きでした。なんと言っても、風の力を電力にする、クリーンな発電方法ということで、寿都は原発なんかに頼らないんだ。という、誇りを持てましたし、その風の町寿都と風車をモデルに、童話を書いたこともありました。とにかく私は寿都が大好きで大好きでたまらなかったのです。

そ・れ・な・の・に……

突然の、寿都が原発事業に参戦するかもしれないと言う知らせ。それを朝刊で見た時の私のショックたるや。


なんで寿都が……なんで……

余命宣告を受けたような気持ちでした。私は、ふるさとって、自分の一部なんだとその時に初めて思いました。まるで自分の一部をもぎ取られたような感覚なのです。

原発事業に手を出せば、その先はもう見えています。
誰が核のゴミのある町に観光に行きたいでしょうか。誰がそこでとれた海産物を食べたいでしょうか。誰がそこに住みたいでしょうか。


私は新聞を見るなり、朝ごはんを食べるのも後回しにして、町長に手紙をしたためていました。そしてそのまま郵便局へ出しに行きました。後で、お金をケチって速達で送らなかったことを後悔しました。
そして、家にあるもので間に合わせたため、ちょっとファンシーなレターセットで送ってしまったことも、後悔しました。

けれども私は伝えたかったのです。
「町長、それはだめだよ」と。

今の片岡町長は、敏腕町長です。先程の風力発電もそうですし、他にも色々な事業を寿都のためにと成功させてきています。けれど、核の問題に関してだけは、他の事業と同レベルで扱ってはいけない問題だと私は思っています。なぜなら、核のエネルギーは、人間にはコントロールできないからです。

核のゴミ問題と言ってしまえばかわいいのですが、実際に核のゴミとはどのようなものかというと、高熱で、人間がそばにいると、20秒で死に至る程の高レベルの放射線が出ています。そんなものが入った容器が、腐食せずに何十年、何百年と、もつでしょうか。
そして今世界中で自然災害が起こり、地球は変動の時期に来ています。そんな時期に、地中にこんな危険な物質を埋めることが、果たしてほんとうに良い方法なのでしょうか。
安全に埋められると思っていたのは過去の時代の話で、もはや地層処分は時代遅れの方法ではないかとさえ思ってしまいます。
そろそろ、他に、核のゴミを無害化する方法はないのか、真剣に研究する方向へシフトして行くべきだと思います。
不可能と思われるかもしれませんが、今までの科学技術の発達の歴史を見れば、以前は不可能と思われていたものばかりです。
もしも新しい方法が発見されれば、それこそ、真に世界中の核のゴミ問題に一石を投じることになると思います。

町長の本心では、今を凌ぐために文献調査だけでもして、寿都を潤わせたい。また、町長肝いりの洋上風力発電の事業を進めるために、滞っている核のゴミ問題に真っ先に手を上げることで、国にアピールをしたい。
そんな思いがあるのだと思います。

けれども、調査をしている間も、ずっと住民は不安にさらされるということを、もっと深く考えなければいけません。
何をしていても、何を食べていても、いつかこの町に核のゴミがやって来るかもしれない。そういう不安が、心の中に住むことになります。それは、精神にとって大変負担です。精神的な暴力です。
そして本当に核のゴミがやって来たら、その不安は、それどころではなくなります。
今飲んでいるこの水は、大丈夫だろうか。今食べているこの魚は汚染されていないだろうか。今吸っている、この空気は……

福島第一原発の事故が起こった時に、多くの人が経験した不安です。私も2011年の9月まで仙台に住んでいたので、その恐怖を味わいました。

けれど、北海道に住んでいる人達は、あまりその恐怖を感じなかったと思います。人は実際に経験しないと、なかなかわからないのです。
スーパーで北海道産と書かれた食べ物を見つけた時の、あの安心感も。

けれども北海道の人もいつそうなるかわかりません。地震が少ないとは言っても、全くないわけではないのです。
2018年の北海道胆振東部地震は記憶にも新しいのですが、私は1993年、小学校2年生の時に寿都町で経験した、北海道南西沖地震が来た夜のことも、鮮明に覚えています。

寝ようと思ってふざけて布団に頭から潜った瞬間、大きな揺れが来ました。私は裸足のまま外に飛び出しました。
揺れが収まってからも、恐怖で手が震えて、お茶が飲めない程でした。テレビには、亡くなった方の名前が、緑の画面に次々に流れていくのを、テーブルの下から、じっと見ていました。

寿都町の隣町、島牧村でも、亡くなった方がいました。

その時は震度の最高が5までしかなく、寿都町も震度5でした。

だから、今後また、大きな地震が来ないとも限らないのです。

地震の度に、地面の下のことまで心配しなければならなくなります。それは被災者にとって、大変な精神的苦痛です。

そして、もし放射性物質が漏れ出し土壌が汚染されたら、水も汚染されます。水は、命の源です。

その地は人間にとって、死の土地となってしまうでしょう。

それでも良いのでしょうか?



私は震災後一ヶ月間ガスがつきませんでしたが、ガスコンロで沸かしたお湯を何回も桶に貯めて入ったり、なんとか工夫して割と楽しく過ごすことができました。けれども原発だけは、自分ではどうにもできませんでした。それに対する不安も、自分では解消できませんでした。余震が起こる度、家に入ったヒビのことよりも、80km離れた福島第一原発のことを心配しなければなりませんでした。
地層処分はわずか300m下。どれほどの脅威となるのでしょうか。

人類は、進化の過程で、「引き返す」という進化も遂げています。一時期は、甘くておいしいお菓子や清涼飲料水ばかりが流行っていた時代がありました。けれども、それが体に良くないことがわかり、今では、健康志向の緑茶や、ミネラルウォーターを飲む人が、増えて来ています。
エネルギーも同じだと思います。使いたいだけじゃんじゃん使うという時代は終わり、これからは、必要な時に絞って使う。という方向に進んで行くと思います。

そして、コロナの影響で、今、地方の良さが注目され初めています。皆、便利さを求める時代から、健やかに暮らせる生き方を選び初めています。

そんな時に、地方が卑屈になってはいけないと思います。これから、地方の時代が来るのに。まだあきらめてはいけません。



人類は、今、ターニングポイントに来ています。

欲望か、健康か。お金か命か。




その選択により、今後の人類の未来が左右されるような気がします。

さて、人類は自らの過ちから引き返す勇気と智慧を、持つことができるでしょうか?

皆さん、どうぞ賢明なご判断を。