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おばあちゃんの妹

今日、青森のおばあちゃんの家に行った夢を見た。
おばあちゃんの家はなぜか部屋数が増えていて、母と一緒に歩き回っていたら、布団の中に誰か寝ていた。横顔をみると、亡くなったおじいちゃんそっくりで、私は「えっ生きてたの……」と思った。そして起き上がった人は、おじいちゃんにそっくりな、おじいちゃんの弟という人だった。母もびっくりして、子どものようにそのおじさんにひっついて、はなれなくなった。こまっているそのおじさんに、私は、「半分おじいちゃんだから、仕方ないよ」と言っていた。

実際じっさい、私はおじいちゃんの兄弟に会った記憶はない。
けれど、おばあちゃんの妹という人には会ったことがある。

私が小学生の時、おばあちゃんの妹が引っ越したからといって、親戚しんせきみんなで会いに行ったことがある。
私はおばあちゃんの妹がいるというのを、その時初めて知って、なんだか新しい親戚が1人増えたみたいな感じがしてうれしかった。
おばあちゃんの妹は、どことなくおばあちゃんに似ていた。けれど性格は違った。
私のおばあちゃんは、いつもやさしくてひかえめな印象だったけれど、そのおばあちゃんは、快活かいかつで、おしゃべり好きで、その話も面白くて、私はいっぺんにその人が好きになった。
そのおばあちゃんの妹が話していたことで、今でも覚えていることがある。
当時、私のおじいちゃんは、もうボケが進んでいた。年だからしかたないと私は思っていたのだけれど、おばあちゃんの妹は、「昔はなんでも相談できたのにねぇ、あんなになっちゃって、ほんとに私、悲しいよ」と、ものすごくくやしがっていた。それを聞いて、若かりし頃の聡明そうめいだったおじいちゃんの姿や、おじいちゃんと、おばあちゃんと、おばあちゃんの妹との関係性が想像できて、それがもう、なくなってしまったんだ。と、私もさびしくなった。


その後、おばあちゃんの妹も連れて、みんなでお店になべを食べに行った。その鍋は、肉が入った鍋で、無性においしくて、私は何杯もおかわりした。そしていとこ達と、途中で買ってもらった文房具の福袋ふくぶくろを広げ、良いものがたくさん入っていた、と喜んでいた。

なんだかそれは、とても幸せな1日だった。

そして今では、おじいちゃんも、おばあちゃんも、それからおばあちゃんの妹も、みんな死んでしまった。

そう考えると、人生ってはかないなぁと、思うのである。