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映画『シェイプ・オブ・ウォーター』小説との比較・考察※ネタバレ有り

2017年にアメリカで公開された映画『シェイプ・オブ・ウォーター』。ギレルモ・デル・トロ監督版「美女と野獣」である本作は、公開されると瞬く間にヒットしました。不自由だった60年代のアメリカを舞台にした、ファンタジーとロマンスの物語は世界中の人を魅了したのです。
作中には説明されていない部分や謎のままのところがあります。なぜ彼はあんな行動に出たのか?最後のあれはどういう意味だったのか?
映画と小説版のネタバレを交えながら、『シェイプ・オブ・ウォーター』の考察をしていきます。

【考察①】フィッシュマンは何者なのか? 

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画像出典:映画『シェイプ・オブ・ウォーター』公式Facebook

本作の中心人物(?)である謎の生き物。小説や映画のパンフレットでは「フィッシュマン」と呼ばれています。映画では、さらっと「アマゾンの奥地から連れてきた」と一言説明があるだけです。しかし、小説版の方ではかなり詳細に語られています。フィッシュマンのことは「ギル神」とも呼んでいました。
フィッシュマンはアマゾンの現地の人々に崇められている神秘的な生き物です。ストリックランドがどこにいるのか現地の人々に聞きますが、信心深い人々は口を開きません。「神」と呼ばれるくらい、普通の生き物では考えられない力を持った生き物であることがここで分かります。謎に満ちたアマゾンの中で、ひと際美しく謎に包まれた生き物がこのフィッシュマンです。

ストリックランドは命令されるがまま、恐ろしく、辛いアマゾンの奥深くへ探索に行きます。本当にいるのかどうかも怪しいフィッシュマン。このアマゾンでのエピソードは、いかにフィッシュマンが神秘的で尊い生き物なのかが語られました。また、ストリックランドの冷酷さ、頭のキレる人物か、ホイト元帥を恐れているのか、といったストリックランド自身を掘り下げるパートでもあります。
自由を求めている生き物、という点でストリックランドとフィッシュマンに差はないはずです。しかし、フィッシュマンは「神」として崇められ、ストイックランドは現地で冷たい態度を取られ「悪魔」のようになります……。この対比が本作では重要になっています。

【考察②】猫が意味するもの 

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画像出典:映画『シェイプ・オブ・ウォーター』公式Facebook

ギレルモ・デル・トロ作品にはたびたび猫が登場しています。映画『ヘルボーイ』では、主人公ヘルボーイの人間味を出す演出に一役買いました。ヘルボーイは大きく、真っ赤でまるで悪魔のような見た目をしています。しかし、見た目に反し中身は子どものように繊細です。ヘルボーイの部屋には拾ってきた猫がたくさんいます。その気になれば人間を簡単に殺せる、凶器のような右手で優しく猫を撫でる一幕。ギレルモ・デル・トロ監督はヘルボーイの人間らしさや優しさを「猫との関わり方」で表現しました。

では、本作ではどうでしょう。フィッシュマンは猫を愛玩動物としては観ていません。お腹がすいたから食べた、のです。そこに感情はなく、ただの動物の本能で捕食しました。人間のように立ち、意思表示をするフィッシュマンを思わず「人間」扱いしてしまいがちです。しかし、人間とは全く違う倫理観を持っていることがこの場面ではっきりします。

ギレルモ・デル・トロ監督の映画『ミミック』では、人に擬態する虫が登場しました。虫自体は美しく、格好良い見た目をしています。しかし、不気味で恐ろしく見えるのは人間の道理が通じず、残酷な生態をしているからです。『ミミック』でも表現された「見た目に反する中身」を本作では、猫を食べる一幕で語ったのです。

ちなみに、小説では猫はフィッシュマンに食べられることを自ら望みました。全ての生き物は会った瞬間に、いえ、会う前から彼が特別な存在だと気付いています。猫が食べられるシーンは映画でも小説でも、フィッシュマンが人知を超えた存在だということを示していました。

【考察③】悪人は悪人なのか? 

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画像出典:映画『シェイプ・オブ・ウォーター』公式Facebook

映画ではストリックランドは完全な悪役として描かれています。しかし、小説で細かく説明されているストリックランドの背景を見ると、根っからの悪人だとは思えません。ストリックランドは、ホイト元帥に命令されていろんなことをしてきました。兵士でもあるストリックランドにとってホイト元帥の命令は「絶対」です。従わなければならないという強迫観念の鎖にずっと繋がれています。自分の人生を犠牲にしながら仕方なく、汚れ仕事をこなしてきました。

強迫観念に縛られた人生。それはホイト元帥からの脅しだけではなく、ストリックランドの生き方にも表れています。アメリカのお手本のような家庭を築いているところにも、スーツもミリ単位に正確に体に合わせているところにも表れているのです。型にはめられている様は、まるで呪いです。

しかし、そんな生活も終わりに近づいています。このフィッシュマンの仕事が終われば、ホイト元帥から解放されることになっていました。ストリックランドはこの光にすがるように仕事をしているのです。結果、狂人のような行動をとりましたが、追い詰められた彼を誰が責められるでしょうか。

映画でも小説でも、ストリックランドには説明のつかないことが起きています。イライザへの恋心と体調の悪化です。実は、ストリックランドとフィッシュマンはリンクしています。小説で詳しく語られた、ストリックランドがフィッシュマンを確保するために矢を放つシーン。この時、呪いのように2人はリンクしました。だからフィッシュマンがイライザに恋をすると、ストリックランドも惹かれます。ストリックランドが不思議とアマゾンを思わせる色の車に惹かれたのもそのせいです。
そしてフィッシュマンが傷つき弱ると、ストリックランドの怪我も悪化し弱っていきました。

フィッシュマンと同じように、ストリックランドも縛り付けられ弱り切り、生きようともがきます。フィッシュマンとストリックランドは似た者同士。しかし、一方は「神」、一方は「悪魔」になってしまいました。
ストリックランドは本当に悪人なのでしょうか?いえ、彼も本作でスポットライトを当てられている、ひとりの「声なき者」にすぎないのです。

【考察④】声なき者たち

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画像出典:映画『シェイプ・オブ・ウォーター』公式Facebook

本作では当時の「声なき者」たちにスポットライトが当てられています。声が出せない障がい者のイライザ、黒人のゼルダ、同性愛者のジャイルズ……。彼らは、当時多くの人から「いないもの」として扱われていました。軽視され、権利もなく、まさに「声なき者」です。

実は、小説では他にも「声なき者」たちが描かれています。誰からも理解されないストリックランドはもちろん、ホフステトラー博士、ストリックランドの妻レイニーも「声なき者」です。

ホフステトラー博士は、ソ連に両親が残っています。実はソ連政府に両親が人質に取られており、スパイ活動を強いられているのです。スパイ活動をしているせいで、友人も恋人も作れません。スパイ活動をするうえで必要ありませんし、もし大事な人が出来たら、その人も人質にされてしまうかもしれません。誰にも相談できず、味方なんてどこにもいられないホフステトラー博士はまさに「声なき者」です。

ストリックランドの妻レイニーは、夫には内緒で仕事をしています。大きな会社で受付の仕事をしており、その有能ぶりが認められて正社員の契約を持ちかけられました。働いている女性がまだまだ少なかった時代の話です。レイニーは夫が怖くて、この話を受けることに躊躇していました。レイニーも孤独で戦う「声なき者」です。

本作の登場人物はみんな「声なき者」として描かれています。しかし、時代は変わります。本作の劇中に出てくるテレビでは、黒人の権利を叫ぶニュースが流れていました。本作では、「声なき者」が声を持つために一致団結する時代に突入している「変革」が描かれます

小説ではレイニーはストリックランドから逃げて自立する道を選びました。子どもたちが雨の中でびしょびしょになることを許し、自分が自由になることも許したのです。レイニーが「自分にも足があることに気付いた」と表現するところにグッときます!
本作は「声なき者」たちが立ち上がる「変身」の物語でもあるのです。

【考察⑤】イライザは何者? 

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画像出典:映画『シェイプ・オブ・ウォーター』公式Facebook

フィッシュマンの力でイライザの傷はエラとなりました。一見、エラを付けたかのように見えますが、本当のところはどうだったのでしょうか。
フィッシュマンには「治す力」があります。何かを作り変えるものではありません。ならば、あのシーンはイライザのエラを治したように見えます。イライザは元々フィッシュマンと似た種族なのかもしれません。それならば声が出ないというのも納得です。フィッシュマンが声を治さなかったのは治す必要がなかったからと考えられます。フィッシュマンと同じで生まれながらに声を出す機能がなかったのです。

イライザはハンス・クリスチャン・アンデルセンの小説『人魚姫』の人魚にも似ています。人魚は自分の「声」を犠牲に人間になりました。これは声の出せないイライザと重なります。
こう考えると、イライザの靴好きも「足を得た人魚」だからこそのようにも感じます。靴を履く行為は、地上に生きる人間ならではの文化ですものね。そんな彼女が海に戻った時に、赤く美しいヒールが足から脱げて、海の底へ沈んでいく描写が印象的です。

そして、『人魚姫』の人魚は、最後には泡となって消えました……。

【考察⑥】あのラストが意味するもの

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画像出典:映画『シェイプ・オブ・ウォーター』公式Facebook

一見、おとぎ話のように「めでたし、めでたし」というハッピーエンドです。しかし、映画冒頭で語られるように、本作は「愛と喪失の物語」。人魚伝説のように泡となって消えたのかもしれません。現実では死んでいて、おとぎ話としてこのように締めくくったようにも読み取れます。小説版では、イライザ目線とフィッシュマン目線の両方で幸せになっている描写がありました。しかし、死んだのでは?と言われると、そうとも読めてしまいます

しかし、ここは素直にハッピーエンドと受け取った方が良さそうです。「喪失」感を覚えているのは映画の語り部であるジャイルズが、友人を失った気持ちからそう言ったのだとも読み取れます。
それに本作は「声なき者」たちが立ち上がり、自由になる物語。フィッシュマンとイライザも水の中で、何者にも縛られず自由に泳ぎだしたのです。

まとめ

映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を小説と比べながら考察しました。ギレルモ・デル・トロ監督の「バケモノ」とヒロインのラブロマンス、弱い人々が立ち上がるストーリーが素敵なおとぎ話です。
小説はまだ……という方は、ぜひ小説版も。フィッシュマン目線の言葉にもグッときます!

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