好きと、好きじゃないと、嫌いの理由。
好きも
好きじゃないも
嫌いも
元はすごく
感覚的なものだと思うんです。
その感覚を抱くことに、
本来なんの理由も
ないんじゃないかって。
それでも理由を探すのは、
なぜなんでしょう?
私はこう思うんです。
自分が好きなものを、他人にも
好きになって欲しいと願うから。
そして、好きじゃないもの、
嫌いなものから
距離を置こうとする、
その自分の行動を
他人に認めて欲しいと願うから
なんじゃないかなって。
好きでいることが
自分の中だけでいいなら
理由はいらないと
思うんです。
好きでなくなった時、
嫌いになった時、
その感覚に身を任せ
そこから距離を開けていく行動が
誰を傷つけるものでもないなら
それも、理由はいらないと思うんですよね。
他人を巻き込むから、
理由を見つけようとする。
他人との関わりの中で
自分の感覚と、相手の感覚を
共鳴させ、
幸せを追求したいから。
自分の感覚を偽らずに、
相手の感覚とのズレを
最小限にして、
自分の心の平和を守りたいから。
だから、
自分の中に
その感覚が湧いてきた
きっかけを思い起こし、
一生懸命、理由を言語化しようとする。
でも、どんなに
それらしき理由を探して、
精一杯言葉を尽くして伝えても、
自分が期待する感覚が
相手の中に生まれるとは限らないんですよね。
それは、
もしかしてもしかすると
相手の感覚が変化する
きっかけになるかもしれない位の
淡いものでしかない。
結局、
自分の感覚は自分のものだし、
相手の感覚は相手のもの。
思い通りにならないんです。
人はそういうもの。
それでいいんだ
みんなそのままでいいんだと思えれば
楽になれるんでしょうね。
それでいいって思えないから
今日もぐるぐる
理由を探すんでしょうね。
理解し合うことを
諦めたくないから。
ホントは
感覚が合うことが一番いい。
理想はそこ。
感覚が合う人とだけ
一緒にいたい。
でも、
感覚が同じになれなくても
どう違うのか
わかるだけでも、
互いがどういう距離感でいることが
一番心地いいのか
見つけやすくなる気がするんです。
好きも
好きじゃないと
嫌いも…
自分の周りのいろんな人の
いろんな感覚を
穏やかに共存させたい。
それが
私がいつもぐるぐると
いろんな感情の理由を考える
理由なのかなと思うのです。