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つたなさの価値
娘は転んでは泣き、頭を角にぶつけては泣き、手を扉に挟めては泣き、とせわしない。命にかかわる危険は先回りして回避してあげなければいけないが、ある程度は自分で経験して学んでいってもらわざるを得ない。
少し前に読んだ『つたなさの方へ』(那須耕助、ちいさいミシマ社)の一節が身に染みた。「人間の赤ん坊は二足歩行を始める前に、さんざん転んだり尻餅をついたりする。歩きはじめる頃にはぱたんと倒れることは減り、バランスを失った瞬間、手をついたり、身体をひねったり丸めたりして衝撃をやわらげるようになる。人の身体は転ばないようにではなく、うまく転ぶように作られていく、ということなのかもしれない。同じことが、感情や知性の運転についても言えるだろうか。」
娘に痛い思いをしてほしくない、困ってほしくないとつい思いがちだけれど、ちょっとくらいなら痛くても困ってもなんとかやっていけるように導いてあげなければならないのだといつも思い直す。なめらかに進んでいくことを阻む障害物、ざらつき、不器用さは排除されてしまうことが多いが。つたなさの中でもがきながらしか手に入れられないものもたくさんあったように思う。
一緒に遊んでいてもついつい先回りしてこうやって遊ぶんだよと示したくなってしまうが、そこをぐっとこらえて、一生懸命に試行錯誤しているあの小さなつたない指をじっと見守っていたい。