自分の大切にしたいことを改めて考える
私にとって、
大切なことってなんだろう。
春に、乳がん検診でひっかかって、
結局、良性だった。
組織を採取して、結果を待つまでの2週間も、普段どおりの生活だった。
もう、不思議なくらい、これまで通りだった。
いつもみたいにバタバタと、
子どもたちを送り出して、
掃除して、
洗濯して、
買い物に行って、
細々した用事を済ませて、
あっと言う間に子どもたちが帰ってきて、
おやつを出して、
夕ごはんの用意をして、
宿題をみて、
お風呂に入れて、
寝かしつけて、
また朝が来て。
でも、ふとした瞬間に、
「もし、悪性だったら」と考えて、
どうすればいいのか途方に暮れた。
だってこんなに、毎日はやってくるのに、
それが当たり前だったのに、
私が急にがんになって、
入院することになったり、
手術することになったり、
もしかしたら半年後、一年後には生きていないのかもしれないなんて。
子どもたちはどうやって生活すればいいのか。
夫にも、とんでもなく苦労させてしまう。
どうすればいいのか、わからなすぎた。
正直、自分はいなくなる側だから、まだいい。
やりたいこととか、(ほんとはハワイに行きたかったけど)もうどうでも良くて、
生きているうちに、
子どもたちや夫に「私がいなくなる準備」をしなくちゃって考えた。
夫には、
子どもたちを大事にしてくれる人と出会ったら、再婚してほしいと思った。
子どもたちには、
実際に会えなくはなるけれど、
いつでもずっと、見守っていることを伝えたいと思った。
どんなときも、応援していること。
自分を信じて、生きていってほしいということ。
そんなことを考えながら、
それでも生活が流れていって、
「良性ですね」。
この一言が聞けたとき、
安堵とともに、なんとも言えない気持ちになった。
私って、生かされているだけなんだな。
たまたま良性だった。
でも、悪性かもしれなかった。
足元はとても不安定なんだ。
それでも次の日から、
いや、
病院から帰宅してから、
また、同じ毎日。
“日常”と、“非日常”は、隣り合わせだと知った。
そしてまた、
あっという間に、日常に慣れてしまうことを怖いと思う。
実は、半年に一度の、腫瘤の経過観察が迫ってきた。
だからきっと、急に振り返りたくなったのかもしれない。
と、言うわけで、
私は、
いつか、後悔少なく死を迎えるために、
自分にとってほんとうに大切なことを、
改めて考えたい。
子どもたちの帰宅時間になったので、
今日はここまでで失礼します。