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ベトナムバス旅行(2)サイゴン→ダラット

スリーピングバスもやっぱり怖い

スティーヴン・スピルバーグ監督のデビュー作『激突!』をご存知だろうか。大型トレーラーが執拗に追いかけてくるだけのシンプルなストーリーなのだが、恐怖をあおる描写が秀逸で、子どもの頃に一度テレビで見たきりなのに忘れられない一作になっている。
ベトナムでスリーピングバスに乗る時、不幸にも荒くれドライバーに当たると、この『激突!』さながらのカーチェイスを体験することになる。前回書いたマイクロバスに比べたら車体の安定性は確かだが、別の怖さがある。今日はスリーピングバスでの恐怖体験について書きたい。

「落ちる」とはいかに? ベトナム人による評

サイゴンとダラットを結ぶ長距離バスには大手運輸会社がふたつある。仮にA社とB社と呼ぼう。いずれも1時間に1本のペースでサイゴンとダラット双方からの便を出しており、いつ乗ってもさほど空席を見ない。そこそこのドル箱路線だと思われる。私はサイゴン側のバスセンターの立地から、よくA社を利用するのだが、ベトナム人の間でA社の評判がすこぶる悪い。「サービスが良くない」「運転が荒い」などの軽いものから、もっとも酷いものでは「落ちる」という噂を聞いた。深く聞くと「谷底に落ちる」というのである。それは聞き捨てならない。確かにサイゴンから海抜1500mのダラットに登る途中には、はるか下を見下ろす場所もありはする。が、常識的な運転をすれば転落するほど危険な道ではない。話を盛りすぎではないかと勘ぐりつつ、現地の人がB社を推すことは念頭に置いた。

ただ、私はこれまで両社とも乗ったことがあるのだが、運転の仕方にしろ、サービスにしろ、大きな違いを発見することができなかった。むしろ、サイゴン中心部から徒歩圏内にバスセンターを構えるA社の方が格段に便利である。そんなこともあってその日も通院の帰り、サイゴンから発車するA社のスリーピングバスに乗ったのだった。

スリーピングバスでの旅の魅力

サイゴンの中心部から20分も走るとあっという間にバスは都会の喧騒を抜ける。うっそうと茂る草原に囲まれたかと思うと、続いて広大なゴム園の中を走っていた。プランテーションという言葉は学生時代に覚えたきりだが、ベトナムに来てその実体を知った。これまでゴムの他にコーヒーとお茶のプランテーションを見た。いずれも「見渡す限り」の表現がぴったりの圧巻の景色であった。ゴムのプランテーションを通り過ぎると、今度は住宅エリアに入った。沿道には住宅や店、時には大きな市場や教会も見え、人々の暮らしぶりを覗ける。そんな景色の移り変わりを見るのがバス旅の醍醐味である。気が向くまで車窓からの眺めを楽しみ、たまにうつらうつらとする。そんな気ままさが心地よく、長時間乗車も割と好きなのだ。暴走さえなければ。

前兆はクラクションにあり

「プププーッ! プー‼︎」
スリーピングバスの変化の兆しはクラクションだった。お馴染みの鳴らし合いなのだが、私はこれを「犬の無駄吠え」ならぬ「ベトナムの無駄クラクション」と呼んでいる。タクシーに乗車の際に助手席から観察しても、鳴らす目的に見当がつかないときがあるからだ。2年間ベトナムに住んで彼らのクラクションは、一種の自己主張だと私の中で結論付けた。しかも、バスにおいてはクラクションの連発、長押しがドライバー自身を高揚させる効果を持つように思えてならない。鳴らすことで自らを鼓舞させ、傍若無人さを発揮する。この日もそうだった。前方の車やバイクを邪魔に感じたのか、それとも到着時間を早めたいのか。いずれにせよ、無謀とも思える追い越しを繰り返し始めたのである。

本領発揮の暴走バス

1台、2台越しは当たり前。3台、4台越しになると車自体の緊張感が身体に伝わってくる。何しろ対向車線の車だって少ないわけではない。追い越しから進行車線に戻るやいなや対向車が真横をかすめることもしばしばで、時折「ドライバーはスリルを楽しんでいるのではないか」と疑うほどである。対向車だって暴走バスの自陣進入を確認しているだろう。ある程度スピードを緩め、ぶつからない目測があってのすれ違いだろうが、チキンレース並みの接近である。「人の命を預かっている」なんて意識はこのドライバーには限りなくゼロだと見受けられた。

また、日本人が苦手とするのは、急加速と急減速ではないだろうか。追い越しにかかるとき、あからさまに急加速をかけるのだが、これが心臓に悪い。前の車両を抜くときの猛烈な追い上げは獲物に喰らいつく肉食獣のごときハングリーさである。ただ、どうもドライバーの視線は獲物にばかりに向けられており、周囲を見渡せていないようである。抜きにかかって中央線を超え、さらにアクセルに踏み込んだと感じられた途端、急減速をかけて追い越しをやめ、進行車線に戻った。その瞬間に対向車が真横を通ったのである。
「いやいや。対向車の確認してなかったでしょ?」
シャレにならないツッコミを入れながら、ドライバーの運転技量そのものに疑いを向けていた。
「こうなったら怯えていても仕方がない。心頭滅却すればなんとやら」
開き直って目を閉じた。車線変更する感覚は気づかないふりをした。車体の急加速、急減速による振動にはむしろ身をゆだねた。そうしているうちに全身の強張りが緩まり、いつしか平穏が訪れ、眠りについていた。いやー、我ながら……単純。この時に私は悟った。無の境地ほど強いものはないと。

噂は本当だった? 峠道の恐怖ドライブ

次に気がついたのは、ダラット近郊のプレン峠に入ったところであった。峠なだけに曲りくねった道だが、山の多い長崎出身の私にとっては特に危険でもなんでもない普通の山道である。しかし、侮ってはいけない。フランス領の時代から事故が絶えないエリアでもある。そして、驚くべきことに峠道でもこのクレイジーバスは暴走を続けていた。
片側一車線。我が進行車線の左には岩壁がそびえ、対向車線側は狭い路側帯を挟んで崖である。これまで、当方が危険な暴走をしたとしても、対向車側が気を利かせて減速したり、路側帯に避けたりしてくれていた。しかしここでは逃げ場はない。バスが衝突すれば、対向車はガードレールにぶつかるか、考えたくないが……転落ということもありうる。ベトナム人が言っていた「落ちる」という噂は、にわかに信憑性を持ち始めた。なにしろ、峠道は曲がりくねっていて先を見通せない。それなのに「なぜ減速しない?」と尋ねたくなる運転っぷりで、曲がりの際に形ばかりクラクションを鳴らして存在を主張するものの、果たして対向車の耳に届くのかは謎だ。衝突しても何の不思議もないのである。
「どうしてプレン峠を前に目を覚ましてしまったのか」
自分自身を恨みつつ、残りの5kmを絶えぬいた。もうA社のバスには乗らないと心に決めつつ。

教訓「安全対策は自分で」

その後、またサイゴンに行く機会があったので、今度はB社のスリーピングバスに乗った。しかし、B社も負けず劣らずの暴走っぷりで、運転に関しては正直どちらが良いのかは未だによく分からない。
一つ言えること。それはスリーピングバスがベトナムでの一般的な交通手段であるとは言え、ある程度の安全対策は自分で行う必要があること。例えば、深夜便には乗らない。乗車の際には必ずシートベルトを締める……などである。経済的に余裕があれば飛行機を利用する方がいいと思う。
念のために言うが、私は両社の営業妨害をしたいわけではない。便利だし、利用すると味のある旅になる。もちろん穏やかなドライバーもいて、幸運にも彼らに当たれば、終始安らかに目的地までたどり着ける。
一方で、ベトナムの交通ルール、マナーの水準は日本と比べると驚くほど未熟であり、国民の足であるこれらバスにおいても例外ではない。国全体で危険要因が多すぎるし、不幸にも事故にあった際、補償はほとんど見込めない。それらを鑑みて、安全か否かは自分で判断しなければいけないのだ。

ただし、日本でもある程度の安全対策は自分でしなきゃいけないだろうと思う。何かにつけてクレームが言えるのは平和な証拠だし、安全確保について自分で対策を講じることを放棄していると言えなくもない。

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