ベトナムバス旅行(1)バオロック→ダラット
生きた心地がしない。ベトナムの長距離バスに乗っていると時々そんな状況に見舞われる。今日はその中でもとびきり怖かったときの話をしたい。
ダラット市とバオロック市
ラムドン省には2つの市がある。私が住んでいる省都ダラット市と、もうひとつはバオロック市である。バオロック市は烏龍茶とシルク生産の名所として知られていて、田舎すぎず、かといって都会すぎずの住み良さそうな町だ。ダラットからだとサイゴンに向かう長距離バスで途中下車できる。距離にすると約110km。2時間半ほどである。
そのバオロック市に日本人の友達がいたので、ある週末に遊びにいった。往路はサイゴン行きのスリーピングバスで行った。復路も同じバスを使おうと思っていたのだが、友達が「スリーピングバスより安いバスがあるよ」と言う。バオロック市内の会社が運営する乗合バスらしい。スリーピングバスも600円程度で高くはないのだが、その乗合バスだと300円ほどだという。指定した場所でピックアップしてもらえ、乗り換えもなく家まで送り届けてくれるらしい。
「乗ってみたら。せっかくだし」
友達は気楽に言う。確かにモノは試しである。紹介してくれる人がいない限りこんな機会はないのだから乗ってみるか。友達の軽いノリにそんな気分になり、予約してもらった。
何人乗るんだ? このバスに
乗合バスは予定の時間キッカリに来た。16人乗りのマイクロバスである。私が乗車したときにはすでに8人ほどが乗っており、運転席以外に4列あるのだが、どの列も奥側は埋まっていた。ドライバーの他にスタッフが1人いて、彼の「最後列に座れ」の指示に従い、右の窓際を陣取った。左側には若い男性が2人座っていた。私を乗せた後もバスは市内のあちこちを回り、1人、2人、また2人とピックアップした。助手席にも3人が乗り、おおむね席は埋まったなと思っていたころ、もう1人男性が乗ってきた。スタッフは最後列に座れと指示している。最後列の座席は幅はあるが奥行きが狭い。3人ですでに定員と感じていたが、どうやらそうではなかったらしい。では、せめて窓際だけでもキープしたい。私は窓側に身を縮めて奥側のスペースを空けると、男性はすんなり私の左におさまった。席は完全に埋まった。
「これでついに出発か。この状態で2時間は少ししんどいな」
そう思っていたとき、車は明らかに本来のルートからずれた。ピックアップのための小道進入と思われる。見守っていると、4人の家族らしきグループの前で止まった。その内1人は、ほどなく臨月を迎えるのではないかと思えるほどお腹が大きな女性である。これはどういうことか。席はもうないのに。
するとスタッフがどこからか風呂イスを3つ取り出してきて私の目の前の通路に並べた。疑念が浮かぶ。
「これに座るのか?」
しかし、目の前で起こっていることが真実だった。安全対策なんて言葉はないのである。スタッフは「お兄さんとお姉さんはこっち。そして君はこっち」と指名し始めた。指示を受けた者は文句を言うこともなく風呂イスに移動した。そして、空いた席に妊婦と家族らしい人たちが座った。私だったら思わず小言を発しそうなものである。「なんで私が風呂イス?」と。しかし、文句を言う者は1人もいなかった。反対に移動の要因になった家族も「譲ってくれてありがとう」の言葉はなかった。確かに乗車の順序が不利になっただけで彼らになんの落ち度もないが、それでも何か一言あっても良い気がした。しかし、車内のすべてはスタッフの支配下にあり、客に席を選ぶ権利はないようだ。幸い私は風呂イスを免れた。スタッフにとって、外国人の私は「触らぬ神に祟りなし」的な存在なのかもしれない。それにしても、驚きなのは妊婦である。席は譲られたとはいえ、マイクロバスの環境は良くはない。運転上の振動は体に響きそうだし、何より窮屈な体勢を維持しなければいけない。ベトナムの妊婦はたくましい。
車の定員数を大幅にオーバーしてバスはようやくダラットへと続く本線に出た。すると今度はドライバーが携帯電話で話し始めた。この2時間は彼に託されている。運命共同体である。
「電話をかけるのは構わないが、安全運転でよろしく」
私の心の語りかけをよそに、ドライバーは街はずれまで来たところで車を止め、素早く降りた。外を見ると男性が1人立っている。
「また乗せるのか?」
もはや屋根、もしくは誰かの膝の上しかスペースはない。唖然として状況を見守っているとドライバーの呼びかけにスタッフがドアを開け、男性から荷物を受け取った。どうやら人物ではなく、荷物の運搬だけ頼まれたようだ。小さくはない荷物だったが、乗らないわけではない。かくして荷物も座席の下におさまった。余すところなくスペースを使い切った乗合バスは、今度こそダラットに向かってハンドルを切ったのである。
弾丸のごときマイクロバス
マイクロバスの構造はどのくらいの耐久性を持つのだろうか。スリーピングバスに比べると、ガタガタと響く音も、身体に伝わる振動も、頼りないことこの上ない。右側の窓に手をつき、両足で踏ん張る。わずかに与えられたスペースで必死に体勢を保ちながら、私は全く知識のない車の性能について考えをめぐらせていた。
進路が定まってからの我が乗合バスの勢いは凄まじいものだった。よく「弾丸のように」という表現を聞くが、本当に弾丸のような体感スピードで、幾度となく車体が宙に浮き、しかもその時間が長かった。宙に浮くということは当然地に落ちる瞬間があるわけで、その衝撃のたびにタイヤが外れないことを祈った。
この道を通るのは1度や2度ではないが、路面状況が悪いと感じたことはなかった。よく利用するスリーピングバスは重量があるから感じなかったのだろうか。いや、7人乗りでのドライブでも、これほどひどくはなかった。車体を浮かせる要因が道路ではないとすると、車の性能と、それにそぐわないスピードにあると考えざるを得ない。もしも着地に失敗することがあるなら勢いあまって、つんのめり、前転せんばかりである。いや、そんなことより、横からの突風が吹けば簡単に横転するだろう。定員オーバーのこの車がひとたび惨事に見舞われたならば、単独事故でも現場は凄惨を極めるだろう。なるほど、安全とは金で買うものなのである。
緊張感をゆるめることができない空間だったが、共に乗っている他の客たちは何の苦情も悲鳴も発することなく穏やかだった。風呂イスに座っている客ですら、私ほど踏ん張っていない。
「慣れているのか? 慣れられるものなのか?」
いや、私は慣れることはできない。今になって窓際を譲っていれば良かったと悔やんでいた。もし、もう一つ左側の席になっていたら、少なくとも前の背もたれが安全対策になっていたはずだ。前が通路(風呂イスの客が3人いるが)の私の席で事故にあったなら、衝撃で身体は投げ出されフロントガラスに激突するか、もしくは突き破って車外に放り出されるだろう。間違いなく即死である。身震いをして神に祈った。
「お願いだから五体満足で家にたどり着けますように」
そんな緊迫状況を2時間持続させられた後、乗合バスはダラットに到着した。見慣れた風景を目にしたとき、身体中を支配していた緊張感から解かれたが、今度は疲労感に覆われ心身ともにグッタリとなった。生きてこの風景を見ることができることが奇跡に思える。
スタッフが客の一人ひとりに行き先を聞き始めた。私が答えたときは、片言のベトナム語を理解できなかったらしく首をひねっていたが、隣に座っていた男性は聞き取れていて通訳してくれた。ずっと隣に座っていた彼とのコミュニケートは後にも先にもそれだけだった。全員の希望を聞いた後、スタッフは経路を考えて順次降ろしていく。私は比較的早い段階で降ろしてもらえた。降りざまに妊婦にチラリと目をやったが、衰弱した様子はなく平気そうであった。やはりベトナムの妊婦はたくましい。元気な赤ちゃんを産んでほしい。
家に着き、バオロックの友人に帰宅の報告をした。「大丈夫だった?」の問いに「うん。何というか、ジェットコースターみたいだった」と答えると友人はケラケラと笑った。彼女は私がこの車で震え上がるであろうことを予想していたのである。
「やられた」
そう思ったが、不思議と私も笑っていた。