「何か質問ある?」「いえ、大丈夫です」
私は脳内にICチップが埋め込まれている。
ICチップから<なにごとにも正解はあるはずだ>と刺激を受ける。
相手に「何か質問ある?」と問われたとき、
ICチップに促され、「いえ、大丈夫です。」と私は答える。
<なにごとにも正解はあるはずだ>という前提に立つと
「正解」を知っていれば知っているほど
人間は社会的な価値を帯びるだろう。
1+1は2だし、肘を曲げる筋肉は上腕二頭筋だ。
人間にとっての幸福とは"X"だし、死後の世界も"あるorない"だろう。
正解を知っていれば知っているほど社会の役に立ちそうだ。
つまり、「何か質問ある?」に対して質問が無い状態が理想だ。
この世のすべてを理解し、正解が分かっているので
「ハイ!すべて理解しました!(から何も質問はないよ)」と。
ICチップを埋め込まれた人から「何か質問ある?」と聞かれた場合は
「正解が分かっていない、価値がない人はいますか?」という質問に言い換えることができる。
すなわち、
「正解」を知っていることが社会的に価値があるという前提に立った人から発せられる「何か質問ある?」という言葉は暗に、
「私の理屈が理解できない不十分な人はいますか?」と言い換えられる。
私はICチップにより、あきらかに認知が歪んでいる
ICチップはこれまでの経験や教育で埋め込まれた。と思う。
そして今、それを取り外す努力をしている。
自由になるために。
無意識のうちに我々はICチップが埋め込まれていないだろうか。
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