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「説明してください」の齟齬

例えば、「なんで呼吸が苦しいか説明して?」と言われた時、「説明」とは何を意味しているだろう。

A:「肺炎だからです」
B:「呼吸中枢からの運動出力と、神経受容器からの求心性入力に乖離が生じているからですよ」
C:「呼吸困難感はあくまで感覚なので、化学受容器の刺激によって生じていますよ」
※呼吸困難にあまり詳しくないのでなにか間違ってたらスマン

これらそれぞれ呼吸が苦しいことの説明にはなっているとは思うが、それぞれの説明は何が違うのだろうか。

コミュニケーションの中で齟齬が生じる一因として、これらの説明の違いが影響していると私は感じる。
詳しく見ていこう。

A:「肺炎だからです」
これは因果関係を前提とした、原因を現した説明になっているだろう。

因果関係とは
「Xの原因がYである」という文のXとYの関係である。
「呼吸苦の原因は肺炎です。」というわけ。
因果関係についての詳述は避けるが、
素朴に説明はこれ以外にあんの?とも感じてしまう。

B:「呼吸中枢からの運動出力と神経受容器からの求心性入力に乖離が生じている(と考えられている)からですよ」
これは原因と結果の間に仮説を導いている。
肺炎が原因で呼吸苦が生じているが、その間に「呼吸中枢からの運動出力と神経受容器からの求心性入力に乖離が生じている」と考えられている。

C:「呼吸困難感はあくまで感覚なので、化学受容器の刺激によって生じていますよ」
これは呼吸苦の正体(ミクロな視点)を提示している説明になるだろう。
なのでこれはまるで情報が増えていないように感じるような説明になるだろう。「水はH2Oだよ」と説明するように。

これらの説明を私たちは「せつめい」と言葉にしているが、中身はまるで違うものなのだ。
そりゃ齟齬も生じる。相手が何を求めているのかを考えるのも大事だし、自分がいま何の説明をしているのかを意識することが重要だろう。

特に、「この人の目的はなに?」説明を求められても、
おそらく仮説でしかない説明しかできないだろう。
(人生の目的なんて誰も知りえないのだから)

なのに同じ「せつめい」というコトバを使用してしまう故に
まるでそれが因果関係かのように確実な原因であったり、その人の正体(本質)を突き止めたように感じてしまうのだ。


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