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不安を再考する

今は訪看で作業療法してるけど、エンジニアしてたときは毎日不安感にさいなまれていた。出勤前に動悸することもあり、不安障害になるかと思った。

みんなはどう。
なんとなく不安だなあってときあるよね。
だから不安について再考するよ。
この記事であなたの役に立てると嬉しい。

不安とは

皆さんご存じの通り正しい答えなんてないけど、私は不安をこう思う。
「日々の反復から区別された差異」

まあ、意味わからんかもしれんがもう少し読み進めて。頼む。


以下の図は私が考える不安の考え方。

わての不安イメージ

赤矢印の範囲は安心だとか、快適なゾーン
青矢印は安心を超えて不安になるゾーン

「日々の反復から区別された差異」の考え方が少し伝わっただろうか。
射程の広い考え方になるので、進研ゼミみたいに役に立つと思う。

具体的な考え方

赤矢印の範囲の、安心だなぁ!!ってときと
青矢印の範囲の、不安になるなあ!!って場合を、具体的に色々考える。

例)転職しようかなぁ
対応① 転職しない
 →昨日と同じ人、環境で仕事ができて安心安心(反復している日常)
対応② 転職する
 →全く違う人、環境に自分を投げ出す(反復しない差異)

例)自分の仕事の得意技(手技)を疑ってみたりする
対応① 疑わない
 →得意だ!みんなそうするべき!(反復する=自分が変わらない)
対応② 疑う
 →もしかして昨日までの自分の行動は間違っていた、、?(差異、不安)

不安は悪いか?

上記の例を考えると、不安は悪いことではないだろう。
それぞれの状況によるが、反省し目的に沿った行動ができている。

しかし、行動を抑制・過剰にしてしまう不安は悪だ。
私の場合、エンジニアの時は土日でも平日の過残業が不安で仕事をしてしまう。過剰行動である。
電車に乗ることに対しトラウマを抱え、行動抑制されてしまうのも悪だろう。
その場合は行動しやすくなるように、安心が必要になるのである。

安心は正義か?

ここまできたらみなさまわかる通り、必ずしも正義ではない。
安心を過剰に得ようとすると、
同じ日々を送るため、退屈
昨日と変わらない自分を今日も明日も。

安心と不安のバランス

私の結論はここだ。
上記図の赤範囲の安心の範囲を拡張させつつ、適度に不安に足を踏み出す力が人生には必要だろう。

安心の範囲を拡張するためには、慣れだ。
不安へ一歩踏み出し続けることで、その不安(差異)は反復に吸収されるだろう。

関係なさそで関係ある話

私「不安だったけど昨日初めて揚げ物やったから今日もできる。昨日もできたし(反復)安心だ。」

リハビリってのは安心にどっぷり浸かった顧客を、不安へ一歩踏みだすための契機となるのが仕事なのかもしれんね。

客「昨日と同じ日々を過ごしたい。変化を求めない。」
社会的な関わりがあり、健全ならいいけど
引きこもりだったりな人はその安心に依存してしまうため、
不安に一歩踏み出し、別の場所に依存場所を作ってあげるのが我々の仕事だろう。

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