友と冒険家とミスチルと#BlackLivesMatter(2)後編
本記事では、黒人差別の根本原因が日本でも息づくこと、その解決のために僕たちにできることを提案してみる。
前回の連載記事では、#BlackLivesMatterの黒人差別を生み出す根本原因について紹介した。個人は幾つもの多様なバックグラウンドの掛け合わせで成り立っているにも関わらず、とかく人は見た目や職業などわかりやすいもので判断しがち。目の前の人を見ようとしないその怠惰な姿勢が、黒人差別を生み出しているのではないか、と問題提起した。
このnote記事では、日本でも#BlackLivesMatterは他人事ではなく、僕たちひとりひとりにもアクションが求められていることについて触れる。
友と冒険家とミスチルと#BlackLivesMatter(2)後編
■日本で#BlackLIvesMatterが話題になるたびに感じる違和感とは?
■日本に息づく黒人差別の根本原因とは?
■「個人を見ること」=個人の中に◯◯と◯◯を見出すこと
■日本の多くの人が黒人差別に対してあまりにも〇〇なのでは?
■#BlackLIvesMatterに対してアクションを起こす=〇〇をしてみること
”ああ風の噂で君の話を聞いたんだよ...何をしてあげられるという訳じゃないけど” - Mr.Children 『友とコーヒーと嘘と胃袋』
北米にて偏見に苦しむ友に想いを寄せて。
#BlackLivesMatterを超えて
日本で#BlackLivesMatterの話になる度に、僕は強烈な違和感を持つ。
それは、日本ではこの問題に対して非常に無頓着な人が多いということだ。タニンゴト。タイガンノカジ。自分が炎上することはないという安心感。自分ごととして捉えてはいない安本丹。まさにそんな呑気さを感じる。それでは夜は明けない。
" 今や世紀末は遠い過去の話だ "
と言うけれど、世紀末よりもっと前から「黒人差別」を生む根本原因は、表面的に形をかえ、ここ日本でも厳然として存在してきた。
「在日韓国人」問題、「同和」問題、学歴差別、ジェンダー差別、キリシタン弾圧... 実例を挙げ始めれば枚挙にいとまがない。
日本最高齢YOUTUBERを謳う「Dangerous爺ちゃんねる」では、昭和の就職面接の様子を(少し大袈裟に)再現している。表向きにはなってなくとも、令和の時代でもこのような独断と偏見は存在するのではないだろうか。
【Dangerous爺ちゃんねる:昭和時代のありえない就職面接】
出自が全てなのか? 人種が全てなのか? 能力が全てなのか? 性別が全てなのか? 宗教が全てなのか?
そうでないのは明白だろう。宗教でいえば、例えばキリスト教に信仰はなくても、その背景を理解しようとすること、そしてそれが目の前にいる人の全てではないとして、個人を見ようとすること。それが肝心だ。「個人を見ること」とはすなわち、個人の中に「広がり」と「深さ」を見出すことだろう。個人を構成する様々なバックグラウンドにも目を遣ると共に、特定のバックグラウンドに対して「ステレオタイプ」で決めつけず深い理解を持とうとする。こうした態度が#BlackLivesMatterを超えて、様々な差別問題解決の糸口になるのではないか。
黒人文化を享受する「日本の人」
#BlackLivesMatterに関して、日本にいる多くの人が無関心なことに違和感を感じる。黒人差別に対する無関心は、日本での「HIP HOP」や「ジャズ」、「バスケットボール」などに対して高まる人気と対照をなす。これらは、「黒人」のバックグラウンドを持つ人々が創造したり、発展させたり、活躍したりしている分野である。マイケルジャクソンの音楽は聴いても、「息ができない」という声は聞こえない。一体誰が悪いのだろう。
PHOTO FROM MICHAELJACKSON.COM
黒人というバックグラウンドを持つ人たちが創造・発展させる文化を享受するだけでなく、彼らの発信する苦しみにも耳を傾け、考え、具体的なアクションを起こすことが必要なのだと強く思う。
この島国においては、マイノリティーの人が声をあげれば、ネット上で舌打ち、火炙り、火祭りの対象になりうる...(韻を踏んでみた)#BlackLivesMatterは対岸の火事ではない。今こそ#BlackLivesMatterに想いを馳せ、アクションを起こすことで、日本に多様性をもたらすきっかけをつくることが大切なのではないだろうか。
”目を開けてごらん。顔をあげてごらん。春が来ているよ。”
アクションを起してみる
笑いは緊張と緩和。フリとオチ。そんな「笑いの真髄」を極めたお笑い芸人には、「フリ="あるある"=世の中の通念」に対する洞察が鋭い人が多い。
Hasan Minhajもその一人だ。インド人の両親を持つこの人気スタンドアップコメディアンは、人種差別というフリに対して、次々とオチをつけて笑いをかっさらう。Netflixオリジナルの『 Homecoming King』では、イスラム教徒のインド系アメリカ人男性として、自身が故郷カリフォルニアで経験した人種差別を題材に、ショーが進んでいく。
【Hasan Minhaj:Homecoming King - 公式予告ムービー】
笑いのツボを考察すると北米の文化を深く理解する一助ともなる。
まじでオススメ。本編をぜひ見て欲しい。
9.11をきっかけに感じたイスラム教徒への人種差別、有色人種に対する親世代の偏見、それが引き起こした「元恋人」との軋轢...などなど、様々な個人的「エピソードトーク」で会場を沸かせる。
笑いと感動を織り交ぜなら、人種差別に関する鋭い洞察を紹介していき、あっという間に話も終盤。最後には、彼自身が、元恋人と「有色人種」の融和の架け橋となったエピソードで、ショーは幕を閉じる。
僕がこのコメディを好きな理由は、彼自身の半径5m以内で話が進んでいくところだ。人種差別の問題は、彼の恋人や家族の間でしか起こらなかったし、その融和・解決もまた彼の恋人や友人の間でしか成立しない。
#BlackLivesMatterと言われると、ともすれば「遠い」国で起きている「大きな」出来事として捉えられがちだ。でも、日本でも同じ構造の差別が起きていると自覚し、自分ごととして捉えることが重要ではないか。
僕たちに求められているアクションはおそらく、まずは文字通り「目の前の人」を見ようとすることなのだと思う。
"今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして"
ただ、それでは夜は明けない。僕たちは小さな庶民だ。
いま、アクションを起こしてみたい。
目の前の人に向き合ってみる。それが「回り回り回り回って」、黒人差別に苦しむ人やマイノリティーと呼ばれる人の笑顔をつくるかもしれない。
誤解される覚悟を
情報の「受け手」としての僕が心がけていることを書いたのが本note記事。次回の連載記事では、情報の「出し手」としての僕が目指している「セルフブランディング」の形について紹介する。
自分を説明(アピール)する時、「他人」が自分のことなど単純化してしか見ないということを理解して、いかにシンプルにわかりやすくするか、そして、いかに誤解される覚悟を持つか、それが肝要なのだと思う。
「ステレオタイプ」を生み出す根本理由と「セルフブランディング」を成功させるコツとの間には、共通した構造が存在する。
愛と憎しみが同じ方向を向いているのと同じように。
・・・
うまいこと言った。
うまいこと言ったあああああ!!!
友と冒険家とミスチルと#BlackLivesMatter(2)後編
■日本で#BlackLIvesMatterが話題になるたびに無頓着な人が多い
■日本にも古くから様々な差別が存在してきた
■日本の多くの人が黒人文化を享受するだけでなく、黒人差別に対してもアクションを起こすことが重要
■#BlackLIvesMatterに対するアクション=目の前の人を見ようとすること
■目の前の人を見ること=個人の中に広がりと深さを見出すこと
■自己PRをする時、単純化してしか見られないと割り切ることから始まる(次回記事で詳しく)
非常に抽象的でふわっとした話をしたと思っています。
最初から「黒人差別」の解決を大きく目指すのでなく、馴染みの薄い黒人差別について学んでみると共に、まずは目の前の人から。伝えたかったことは、そんな当たり前のことです。
具体的なアクションとして、僕自身も、とあるプロジェクトに取り組んでいます。それはまたnoteで報告したいと思っているので、楽しみにしていただけたら嬉しいです。
励みになりますので、フォロー・コメント・シェアも気軽にどうぞよろしくお願いします!『外国特派員協会とセルフブランディングのコツ』と題した次回連載記事もお楽しみに!
2021年8月17日 吉田智輝