世界には愛しかない
横須賀と三浦エリアをジョギングしながら、ふと欅坂46の事を思い出した。
かのグループや姉妹分である日向坂46(旧けやき坂46)結成を盛り上げたシナリオの当事者、そして圧倒的な表現力でグループを引っ張ってきたエース不在の今となっては、たくさんのコストをかけてファンをしている方々に申し訳ないが、自分的には「気の抜けた温いコーラ」のように思うようになって既に距離を置いている。
そういった中で、先日見知ったニュースによれば、10月のライブを以て「欅坂46」の名を改名してリスタートするということらしく、まあ、残念といえば残念かもしれないが、「気の抜けた温いコーラ」状態から脱却できる良い機会になればと願う次第である。
横須賀・三浦エリアは自宅からは電車を使うと小旅行と思えるほと時間が場所だが、クルマを使えばものの1時間程度あれば着いてしまう。
しかし、ちょうどこの夏の4連休、コロナ不要不急自粛の呼びかけを嘲笑うかのように帰りは市内も高速もうんざりするような渋滞が発生しており、単調なクルマの動きに慢性的な睡眠不足による睡魔が隙をついてくることは容易い。
車中の退屈と睡魔を追い払うには、お気楽なFMではもの足りず、先日クルマの掃除によりCDフォルダも家に置いて来てしまって車内を好きな音で満たすことが出来ない状況。無いよりマシかと仕方なく手元の iPhoneから全シャッフルで曲を流す。
一曲目は『黒い羊』、欅ならではの重たい音が奏でられる。先程も欅をコーラに例えたが、その美味さの絶対的な2大要素となる炭酸にあたる平手友梨奈と冷たさにあたる長濱ねる両名が最後となった表題曲だ。この歌はもちろん完成度は高いと思うが、いまいちユニゾンの声にバラつきを感じて好きになれない。
二曲目は『世界には愛しかない』。iPhoneの中身には当然欅以外にも様々な曲があるので欅が2曲続けてとは珍しいと思った。
この曲は欅が欅らしかった頃はさほど気にしていなかった曲だったが、反して、欅ではなくなろうという事実と照らし合わせて聴くとあらためてその良さを認識できる。ファーストの『サイレントマジョリティー』では異質な世界観を創造し、続くこのセカンドでは光溢れた無垢な希望を謳っている、最も欅らしくない曲。
確かにこの曲を聴いているうちは「夕立も予測できない未来も嫌いじゃ」なくなるかもしれない。