ブルーアーカイブの曇らせSSを読んで胸が痛い
はじめに
まずは読んだSSのURLを貼る。
内容はかなり辛い物なので、自己責任で読んで欲しい。
読むかどうか、今の精神状態で読んで良いか判別出来ない方は、ひとまずこのnoteを読んでから判断して欲しい。
このnoteではこの2つの作品をモモイSSと仮称する。
こちらはホシノSSと仮称する。
この2シリーズ(3作品)を昨晩読んだのだが、それによる精神面のダメージが思った以上に大きかった。
自覚していなかっただけで、私の精神はかなりやられてしまったらしい。
しかし作者様には何の責任も無い。
決して責め立てたりしてはならない。最後まで読んだ私に責任がある。
前置きはさておき、自己分析等を始めよう。
共感
先に読んだのはモモイSSで、後に読んだのがホシノSSだ。
どちらもとても悲劇的な内容で悲しく、胸骨の上半分辺りが苦しくなるし、吐き気もする。
それが執筆時点でも続いている。特にモモイSSを思い出して心が辛い。
読み終わった直後以外にも度々、希死観念を感じた。
手を首に当てたりもした。
自覚していなかったが、私の精神はかなりダメージを受けている。
そこで1つ疑問が湧いた。
まだ読んでから24時間経っていないとはいえ、ここまで精神的なダメージを受けた(褒め言葉)のは何故だろうか?
おそらく作中のキャラクターに、特にモモイに強く共感してしまったからだろう。
当たり前の話だが共感が強いほど、ダメージも強くなる。
全く共感出来ない話は辛く感じない。
では何故ここまで強くモモイに共感したのだろうか?
それは作中の描写が丁寧だった事に加えて、私がブルーアーカイブ(以下ブルアカと略称)にあまり詳しく無かったからかもしれない。
解釈違い
私はブルアカについての知識がほとんど無い。
「キヴォトスと呼ばれる超巨大な学園都市が舞台で、プレイヤーである先生を慕う生徒達と共に戦うんでしょ?」私の知識はこのくらいだ。
名前や容姿を知っている生徒もいるが、彼女達がどういうキャラクター(人格)なのかまでは知らない。
先生についても「落書きみたいな絵が有名で、銃火器で喧嘩する生徒達より弱い。」といった程度の知識だ。
簡単に言えば私の場合、ブルーアーカイブの二次創作を見ても解釈違いが起きにくいのだ。
けものフレンズというアニメには、かばんちゃんとサーバルちゃんというキャラが登場する。
私はアニメを12話視聴したので、彼女達がどういうキャラクターなのかがある程度分かっており、彼女達がこういう時どんな言動をするか想像する事が出来る。
けものフレンズを視聴済みの方なら理解出来ると思うが、もしかばんちゃんがセルリアン(敵キャラ)に襲われそうになった時にサーバルちゃんが「危ねぇぞかばん!それでもフレンズか!?」と言ったらどう感じるだろうか?
「何か変だ」
「サーバルちゃんはそんな言葉遣いじゃ無い」
「脚本家の正気を疑う」
とにかく違和感を感じる事だろう。これが解釈違いだ。
けものフレンズというアニメは良作で、それがどんなキャラクターか、何をどう感じ、どう行動するかを視聴者が想像しやすかった。
二次創作である以上、ある程度原作と異なる言動をする・させるのは仕方無い事だが、その言動があまりにも原作と異なると感じた時、それは解釈違いという違和感として現れる。
解釈違いは二次創作を楽しむ、共感する上で致命的な障害、足枷となる。
原作との違いが、違和感が気になってしまい、二次創作を純粋に楽しめない。
解釈違いを起こさない許容範囲は、人や二次創作の作品、作品を楽しむ目的等々で異なるが、許容範囲を超えた二次創作を楽しむのはとても難しい。
本題に戻るが私はブルアカの知識に乏しい。
それはブルアカプレイヤーが解釈違いを起こすような文章を読んでも、解釈違いが起きない=二次創作を楽しめるという事を意味する。
執筆時点での私のブルアカへの知識は未だ乏しく、2シリーズがどれだけ原作に近いのかは分からない。
しかし曇らせSSを直に食らったのは間違いないだろう。仮に解釈違いとなる描写があったとしても、それによって心へのダメージを中和する事も出来ずに。
希死観念の正体
私はこれら2シリーズ・3作品を読み、直で共感してしまった。
作品の描写は丁寧で、読みやすいのも共感のしやすさへ貢献しただろう。
ホシノSSはモモイSSに負けず劣らず丁寧で、共感しやすい悲しい作品だった。
しかし私はモモイSSにより深いダメージを負わされた。(褒め言葉である。)
これは共感出来る描写の僅かな差が原因だろう。
ホシノSSではユメ先輩が拷問にかけられたであろう描写と、そのシーンが書かれている。とても胸糞である。最後ホシノがどうなるか想像出来てしまい、共感出来てしまい、とても悲しい。グロテスクで胸糞である。
しかし良くも悪くも、現代日本で生まれ育った私は拷問への共感性が低い。
私にとって拷問はどこか他人事なのだ。
もちろん作中の拷問がどういう物か、どれだけ辛いかは十分理解し想像出来る。
しかしそれでも、モモイSSに比べると共感しにくいのだ。
モモイSSは私にとって、ホシノSSより共感出来る描写が僅かに多かった。
モモイの心情を行動原理を強く理解…共感出来てしまったのだ。
追体験が出来てしまうのだ。再現出来てしまうのだ。
おそらく今の私の希死観念の正体は、私の脳内で再現されたモモイだろう。
私の中に再現されたモモイが作中と同様に絶望し、死にたがっている。
だから私もそれに引っ張られかけているのだろう。
読み終わった後に
私は今日の夕方頃から、ブルアカについて多少調べた。幾らかの知識を得た。
その知識から考えれば、モモイSS作中の先生の言動は解釈違いの対象である。
先生(公式の設定)ならモモイにあのような態度を取らない筈だ。
作中でどの程度の日数が経過したかは分からないが、先生が何日もモモイを拒絶したままでいるだろうか?
おそらくどこかのタイミングでモモイにチャンスを与える筈だろう。
これは私の(もしかしたら再現されたモモイの)願望も含まれているかもしれないが、多くのブルアカプレイヤーならそう思うだろう。
しかし私は純粋な悲劇の物語を読み、共感してしまった。
これを解決出来るのは時間経過しか無い。
ブルアカを生徒や先生を理解した人、彼らの言動を再現出来る人が、解釈違いを判別出来る人があの2作品を読んだらどう感じるのだろうか?
特にモモイSSをどう感じるだろうか?
解釈違いが起きるのか否かをはじめ、どのように感じるかとても気になる。
少なくとも描写が丁寧な事は間違いない。
おそらく読んだ個々人の解釈違いの許容度が、モモイSSの評価に直結するだろう。
もし2シリーズを読むのであれば、特にモモイSSを読むのであれば心が安定し、いざとなったらすぐに相談が出来る人でなければならない。
タナトスの誘惑、希死観念が思った以上に強力だからだ。
もっとも、私のメンタルが弱いだけかもしれないが。
ブルアカとは関係無い事
人は何故自殺するのか?
自殺の理由は様々だが、共感性が強い事も理由のひとつではなかろうか?
共感性があまりに強すぎる人間は、創作物のキャラにも強く共感し、再現された人格と共に自殺してしまう事もあるのではなかろうか?
逆に共感性が低すぎる人間は集団生活に上手く溶け込めず孤立して死ぬか、集団から敵と見做されて殺されてしまうだろう。
だからある程度集団に溶け込むフリが出来る個体しか生き延びられない。
戦争といった緊急時は共感性が低い個体が有利だが、それでも1個体では集団には敵わない。
おそらく人類は共感性が高すぎる・低すぎる個体は淘汰の対象なのだろう。
ギリギリ大丈夫な範囲にいる人間だけが生き残れる。
そうで無い人間は自死を選んでしまうから…。