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〈この草子,目に見え,心に思ふことを,人やは見むとすると思ひて,つれづれなる里居のほどに書き集め〉

心の赴くにまかせて,なにくれとなく綴ります。おおむね断片的かつ短文で,全体の組織構成,順序次第にはとらわれず,自分の見聞や身辺雑事,感懐や体験を。広く世間に読者を期待することもなく。


始まらない・始められない、始めたとて続かない…。そもそも「努力」とは

「努力は仕組み化できる」というベストセラーにすがる

通信教育は過去何度か投げ出している。社会保険労務士、FP、放送大学…。そんな自分にまた蓋をして、今年から社会福祉士専門学校過程の通信教育を受け出している。性懲りもないとも思うが、自分を縛ったMustでなく、自分が知らない世界への入口として少なからずWillや大義も感じているので、以前よりは真面目に取り組むのではないかと高を括った。
ハローワークで専門実践教育訓練給付金の手続きでは、キャリアコンサルタントとの面談もしてジョブカードも発行した。真新しい体系的なテキストが段ボール箱にぎゅうぎゅうで届いた日には、新しいブックエンドや付箋、暗記ペンなんかを買って、真剣なノートを作ったりもした。スクーリングの日は、いろんな社会人学生の様子を垣間見つつ、実践ケースのイメージが持てて視野が広がり、刺激になって自分も頑張ろうと毎度思う。
だけどもだけど、●月●日までに単元ごとの映像教材を見て、記号選択式の確認テストに合格をして、レポートを定められた文字数以上で書いて、提出して…。これができない。続かない。教員の方は、急がば回れ、30分でもいいから毎日テキストを開き読み続けることが大切、と社会人学生に真剣に説いてくれる。便利なLMSや、学習アドバイザーが提出物の遅れを管理して、お尻を叩いてもくれる。やや現実の仕事からの逃避もあったことは否めないが、世のため人のため、自分のため、この学びがきっと役立つとも思う。
なのに、努力が続かない。学生時代の長期休暇中の宿題、日々のレポートも卒業論文の提出も、時に仕事の会議資料作成も、毎度毎度〆切直前までやらない、やれなかったのと構造は変わらない。
そんな時に目に入ったのが「努力は仕組み化できる」というベストセラーのPR文。そう、こうして本に逃げる・すがる、この行動パターンもいつものこと。

1.頭ではわかってるけど、努力できなくて後悔しちゃうタイプ
2.努力しなくても何とかなると思っているタイプ
3.これを続けても意味があるのか?とはたと気づいて止まってしまうタイプ
4.「意志が弱いので自分なんて駄目だ」と思っているタイプ
5.「だって努力は楽しくないんだもん」というタイプ

問われればどのタイプにもあてはまる気がするが、強いて言えば、1と2の言葉にフィット感。
努力できるかどうかは才能で決まる部分もあるが、仕組みでどうにかなる部分もおおいにあるとのこと。今よりラクに努力できるようになることを目指す本で、努力を考える努力に誘われる。

ポチッと本を買う前に、まずは版元のネット記事で予習をしてみよう。

理性と衝動のせめぎあい

異時点(異なる2つの時点)間の選択 ~「生涯効用」~

経済学では、人間は死ぬまでに得る効用(≒幸福度)の合計値を最大化するように「今」の選択を行っていると考え、この合計値のことを「生涯効用」と呼ぶのだそうだ。
「今」コストを払って「将来」大きな報酬を手に入れるか、「今」楽をする代わりに「将来」何も得られないか。

「将来」のために「今」支払うコストとしての努力

異時点間の選択に深く関わる一種の性格特性と考えられる「時間割引率」。私に備えられた計算機は、この時間割引率をうまく計算してくれない。
いや、計算機能の問題でなく、秤のほうが問題だ。「今」と「将来」の天秤が釣り合わない。
「今」「ここ」に生きる私は、まさに「待てない女」。1時間の行列に並ばないといけないような飲食店、イベント、遊園地、どれも無理。
お蕎麦を食べるとしても、評判のお店に予約を入れて、打ち立ての蕎麦を食べるために蕎麦前の味噌なんかをなめながらじっくり待つ、ということはめったにしない。駅前の立ち食い蕎麦屋で店員さんの見事な客捌きに見ほれながらずるずるっ、注文からご馳走様まで10分。おなか一杯、満足。
美味しいものが好きな食いしん坊のくせして、「待つ心的コスト」=「時間割引率」が高すぎて、時間の経過によって報酬の魅力が割り引かれまくっている。
目先の利益に目がくらみやすい人(=時間割引率の大きい人)は、努力を苦手と感じやすい。こんな残念な私に希望はあるのだろうか。

生涯効用を最大化する、自分にとって最良の選択を行うには

今日は疲れたからコンビニスイーツ食べてしまえ。
仕事での嫌な気持ち引きづってるからウォーキングサボってバス乗って帰っちゃおう。
せっかく遊びに誘ってもらったんだからと、自分の勉強は脇に置いて出かけてしまう。
投資のための貯金しておけばいいものをセールで衝動買いをしてしまう。「今、努力しておくほうが長い目で見て自分のためになる」と思ったはずなのに、どうしても日々の誘惑に耐えきれず、努力を継続することをやめてしまう。そして最終的に「どうしてあのとき努力しなかったんだろう」と後悔する。あるある。あるような気がする。

「努力と後悔」のメカニズムをわかっているか

昨晩は「若い時にお世話になった人と上司とお酒を飲みに行くこと」から得る効用のほうが「勉強をして将来資格取得すること」から得る効用よりも大きく感じていた。しかし、後で考えて「飲みに行く時間を勉強に充て、資格を取得しておいたほうが生涯効用が高かったな」と思い直す自分であろうか。

「自分は努力できないタイプだな~、でも特に困ったことがないな」という人はそのままでよいのだそうだ。100%とは言えないが自分はそういう人でもあるような気がしてきた。
自分の時間割引率の下で効用を最大化した結果、「努力しない(今のコストを支払わない)」ことを選択している私という可能性は否めない。
「努力しないほうが幸せに生きることができる」人という人はいて、このような人に努力をさせるための「努力」をすることは、努力する側させる側双方にとって、幸せな結果にはならない。(確かに努力できない・しない私に、私自身が負の烙印を押し続けて苦しんだ過去はある。)

自分自身の「待つ痛み」の金銭的評価額は

Q)今日1万円もらうのと、7日後に1万20円もらうのとでは、どちらが好ましいですか?
このタイプの質問で言うと、私の場合、7日後に「1万2000円」の額なら好ましいと思いそうだ。
「私を1週間待たせるなら原資の20%ぐらい追加的に払ってもらわないと駄目だ」と思っている自分。冷静に見ると随分待てないものだな、と思う。

一方で、
Q)90日後に1万円もらうのと、97日後に1万200円もらうのとでは、どちらが好ましいですか?
と問われたら「(どっちでもいいけど)1万200円」と回答する。
「今からだったら200円で1週間は待てないけど、90日後からの1週間なら200円で待ってもいい」
2つの質問の仕方で「待つ痛み」は随分な歪みを見せた。
これを「双曲割引」と呼ぶのだそうだ。先延ばししたり後悔したりするのはこのタイプ。「努力しようと思っても続けられず、最終的に後悔する」人の特徴だそうだ。
一方、今から7日間待つときに要求する金利と、90日後から7日間待つときに要求する金利が同じ人の時間割引率は指数関数という形をしていて、「指数割引」を持っているといわれるとのこと。
先ほどの質問で明らかになる私自身の90日後の割引率は0.1。
今日から90日間待つと、1万円の価値は、1万円×0.1=1000円に減じてしまう。
指数関数は現在から将来にわたって「待つ痛み」が一定で、割引率がほぼ一定のペースで減っていくから「今日から7日間待つのも、90日後から7日間待つのも同じ痛み」。
一方双曲関数は、「今日」から近い時点で割引率が大きく減衰し、その後(遠い将来)の割引率はほとんど変化しない。つまり今日から近い時点で起こるイベントの「待つ痛み」には敏感で大きく割り引かれるが、遠い将来の「待つ痛み」については鈍感なのだ。
時間割引率の「双曲関数」、確かに自分に当てはまる気分がますますしてきた。

後悔は「未来の自分への過度な期待」の裏返し

時間割引率が双曲関数の形をしていると後悔してしまう理由は、「時間の経過によって好みが変わってしまうこと」。
「90日後からの1週間なら200円で待ってもいい」という契約を行ってしまう私は、実際に90日たって「90日後」が「今日」になったとすると「今日からの1週間は2000円はないと待てない」という私なので、過去の自分がなぜそのような契約を結んだのかと大きく後悔することになる。
先日、私をよく知っている先輩と話した時に、私のミーハーさが話題になってそれも腑に落ちた話なのだが、先輩の時間割引率は指数関数、私は双曲関数なんだと言うと、私のミーハーさの根源、未来の自分の予想できなさ加減が明らかになる気もする。

・「今は我慢して努力したほうがよい」と考える私
・「今目の前にある利益を取ったほうがよい」と考える私
この2つの間で意見が揺れることが後悔を引き起こす。

今の自分に直接関係ないことについては「我慢しろ」と言い、
今の自分が関係することについては「我慢なんてできない」と思ってしまう、その一貫性のない私。

一方、指数割引の場合は好みが一貫しているので、今「良い」と思ったものは将来においても魅力的。今「これは我慢して努力すべきだ」と思ったものは、いつになっても魅力的なままなので、努力を続けることができる。特に苦もなく努力しているように見える人や一度決めたらやり遂げる指数割引を持っていると思える人は、私の周囲に多い。それらの人と私の溝は大きい。
困ったものだ。うすうす覚えがある。

「洗練された者(ソフィスティケート)」or「単純な者(ナイーブ)」~戦略的な意思決定~

・目先の利益がかなり大きく魅力的に見えてしまっていること
・自分の選好が時間とともに変わること
自分にこの自覚があっただろうか。
あることはある、でも変えられない、あきらめていた。

「自分は目先の報酬(利益)に目がくらみがちで、最終的に後悔する可能性がある」という自覚のある人を「ソフィスティケイテッド」、そのような自覚を持たない人を「ナイーフ」と呼ぶのだそうだ。

自覚。双曲指数でも「洗練された者」になれるのなら、自覚してみよう。

コミットメント


「誘惑に弱い自分」を見越して、将来の自分の行動を縛っておくのがコミットメント(宣言)。未来の自分が目先の利益に目がくらみそうになったときに思いとどまれるように、「あらかじめ」手配しておくこと。

コミットメント。これ苦手。自分の選好が時間とともに変わることは自覚しているのだろう。この自覚と「武士に二言はなし」という刷り込みの価値観が鬩ぎあう。今の専門学校通学については、強いて言えば、専門実践教育訓練給付金制度の利用、仕事を有休申請しての実習、武士は食わねど高楊枝的宣言はしているか。Googleカレンダーに毎日18時30分からの3時間「学生」の時間を書き込む、これは書き込んだのはいいが、書き込んだだけで、そのとおり時間を使えない、使おうとしていない、そんな自分のことを見て見ぬふり、葬り去ろうとしている自分に苦しんでいる。どういう工夫ができるだろう。

エクステンションプログラムで学んだ「リラプス・プリベンション・モデル」と「動機づけ面接法」(MI)について思い出す。

1 回のスリップを「ラプス」と呼び,「リラプス」と区別する。ラプスは頻繁に生じるものであるととらえ直す。頻繁に生じてしまうラプスを、叱責したり隠し立てしない。行動プロセスの何に問題があったのか,重要なハイリスクを見落としていたのではないか,対処法の学習が不十分だったのでないかという再検証をする重要なチャンスであると考える。不適切な対処をするのではなく,今後に生かす。ラプスが生じたときに,いたずらに罪悪感や無力感を抱いてしまう危険を回避しながら,努力継続に向けてモチベーションを高めることが何よりも重要。

MI の一つの特徴は、精神-Spirit の重要性。Partnership(協働)、Acceptance(受容)、Compassion(思いやり)、Evocation(喚起)の 4 要素。MIを自分との対話に応用してみるのはどうだろう。福利と自己決定を一番に優先。純粋な関心を寄せ、その世界を理解しようと探求する。「正したい反射」を抑え、行動変容に伴う両価性「変わりたい、一方で、変わりたくない」という気持ちや状況を丁寧に引き出し、標的とする行動や変化に関する発言を強化することで、自らが気づき行動に繋がる、というプロセスを支える。

閑話休題。記事はこう結ぶ。

時間割引率を変えたり双曲割引を変えたりすることは、性格を変えるようなものなので非常に難しい。しかし、ナイーフからソフィスティケイテッドになることはできる。

「自分に対する甘い見積もり」の代償は大きい。これは肝に銘じたい。

目の前の利益を将来利益より過大評価する傾向にある自分。これは自覚した。現在バイアスがその時々の意思決定で働くことを見越して「将来の自分」を予測することで「洗練された」戦略的な意思決定はできる。

「洗練された者」と「単純な者」、どちらの自分でいたいか。

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