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YouTube講演シナリオ「今を生きること・スキに触れ続けること・自分を労ること」
こんにちは。
ブーケアーティストの咲凜(えみり)さとです。本日、こちらの企画にトップバッターで講演させていただきました。
アーカイブこちらです。根本さんの許可をいただき、講演部分のみ切り取らせていただきました。
リアルタイムでご視聴いただいた皆さま、応援メッセージいただいた皆さま、心からありがとうございます。
講演シナリオです。過去に綴ったブログを貼り付けながらシェアさせていただきます。
ミニブーケ・プレゼント企画、本日7月7日中に変更します!講演中の最後に合言葉をご案内差し上げました。そちらを添えて、応募くださいませ!
ヒント:鼻から突っ込んだものです。
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起
🟨30秒 私は、2018年10月22日脈が止まりました。
間
あの頃の私から、今の私の姿は全くもって想像もできません。
ブーケブーケブーケブーケいうて、神楽坂やペニンシュラ東京さんでブーケセッションしてYouTube出てるなんて想像できへんです。
なんでこんなにまでなったと思います?
あの日、私は、膵臓にできた9ミリの悪性腫瘍を切除するために、9時間の手術を受けていました。膵臓1/3・胆嚢・十二指腸・胆管を切除して、残った臓器を腸とつなぎ合わせる手術です。
🟨1分
麻酔から目が覚めてオペ室から運び出された直後のことは、今でも鮮明に覚えています。
「こんな苦痛味わうくらいなら一層のこと」「全然大丈夫なんかじゃない!!手術を選んだ自分と先生を恨む!」と叫んでました。
あの時の壮絶な闘病の苦しみから、私を救ってくれた存在が二つあります。
一つは、手術をきっかけに偶然出会ったブーケ。もう一つは、過去散々な恋愛繰り返してきた私が、手術をきっかけに4年間片思いをし続けた方。
今から、その方に感謝のブーケ束ねます。
大好きな人・大好きなこと、大好きな空間に触れ続けて、今を生きていくことで、あなたの夢も叶いやすくなるということをお話します。
🟨2分
2015年1月会社の健康診断で、膵臓に7ミリのできものを見つけていただきました。会社側の大学病院を選んで駆け込み、病名診断できないまま3年半経過観察しました。
当時の私は、お酒や油物をとると痛みが出て、食べることがストレスでした。
2017年、2人目の内科主治医と出会いました。凄く目力があって、日焼けした30代半ばの若い男の先生でした。モデルみたい!めっちゃ遊んでそう!モテそ!って第一印象でした。
🟨3分
後に、この方の熱く実直な姿が、大好きな人・大好きなことに素直に突き進むことを教えてくれる存在になろうとは、夢にも思いませんでした。
承
2018年6月。半年毎のMRI検査結果で、更に精密な内視鏡検査を受けることになります。私は、膵癌確定診断のための検査だと思い込んでしまいました。
もし、あなたが死を突きつけられたらどうされますか?
死を覚悟した私は、ショックで寝込みました。何も考えたくなくて、目の前の現実から逃げ出したくて仕方がありませんでした。
7月の内視鏡検査までの1ヶ月間は、生きた心地がしませんでした。何をやってもどこにいても、死を意識して虚無感を感じる日々でした。
会社の同僚と会っていても、もうこのメンバー達と大笑いすることもなくなるのだ。自分の家にいても、ここから私は消えてしまうのだ。
🟨4分
2018年7月。内視鏡検査は、内科主治医が対応してくれました。鎮静剤が切れた途端に私は大声で泣きだしていました。
この先、私はこのまま死んでいく、親よりも先に消えていくと想像したら情けなくて。
母の押す車椅子にうつ向いたまま乗って検査室を出ようとした瞬間、主治医が駆け寄ってきてくれました。
「膵癌じゃない!膵癌じゃない!膵癌じゃないから!膵癌じゃない!膵神経内分泌腫瘍だ!手術して切っておしまいだから!ここは腕のいい外科の先生がいるから大丈夫だ。」
🟨5分
その瞬間、私は一気に全身の力が抜けて緩みました。手術を受けるっていうことも衝撃でした。帰りの電車の中で、生き伸びられることへの喜びが湧き起こっていました。
大変お恥ずかしいのですが… この検査をきっかけに、内科主治医に恋に落ちました。私の精神年齢は14才のさと。入院大手術すらも楽しみになっていました。スキップしながら病院に出かけていく私を見て、同僚達は、気が狂った!と本気で心配していたそうです。
3年半の経過観察を経て診断された私の病気は、2万人に1人の割合で発症する「希少がん」でした。スティーブ・ジョブズも患いました。
🟨7分
この時初めて、この病院の消化器内科・消化器外科は、日本のみならず世界中からも膵臓病の患者さんが治療を受けにくる所だと知りました。
手術は、10月に受ける事が決まりました。手術の5日前に病院から連絡が来る仕組みでした。大手術は、何がどうなるかわからないから術後一切予定を入れないように釘刺されました。
大手術への怖さは、何度も襲ってきました
その度に、今に意識を向けて1日1日を過ごしました。
会社の大先輩も、同じ時期に闘病をしていました。彼女は、病室も自分のお気に入りのもので固めて大好きな空間にしている、先輩に感化されて、「やりたいこと・欲しいものリスト」を目一杯作りました。
🟨9分
今自分が心地よく嬉しくなれるものを書き出し実行して行きました。いつくるかわからない病院からの呼び出しを待ちながら。その中に、ふと閃いた「ブーケレッスン」もありました。
私は、今を生きることに無我夢中になっていました。好きなことを見つけよう、なんて悠長な気持ちは一切なかったです。
「今」、「今」できること、「今」やれること、「今」を必死に生きようとしていました。
2018年10月17日の夜、初めてのブーケレッスンの日。私は、手術のことも何もかもを忘れ無我夢中にブーケを束ねていました。お腹の底から得体の知れないものが湧き起こっていました。
🟨10分
完成したダリアのブーケがあまりにも美しくて、私は無我夢中になって写真を撮っていたその瞬間。携帯がなりました。大学病院から手術日確定の連絡。足ガクガク震えていました。
(間)
手術翌日から、管10本以上繋がった状態で歩行訓練が始まりました。合併症防止のためのスパルタリハビリです。
4人部屋のメンバーは、母親と同じ年代のご婦人達でした。よく笑う明るい方々で、カーテン開け放しシェアハウスのようで凄く楽しかったです。執刀医や外科の先生達もすごく気さくで、毎日のようにお喋り楽しかったです。
🟨11分
誰よりも私に元気をくれた存在は、大好きな内科主治医です。私は外科所属になって内科の診察は受けられなかったのですが、内科主治医は2・3日おきに病室に顔を出してくれました。
大好きな先生が来てくれた瞬間、どんなにしんどくても、私の心は一瞬で明るくなっていました。体もふわっと軽くなっていました。
「内科の先生、めちゃくちゃ心配してくれているんだよ!」と外科の先生から教えてもらったとき、私は思わず嬉し泣きしました。彼は、外科の先生に頻繁に私の状態を確認してくれていたそうです。
🟨12分
手術から3週間後、私は退院しました。
転
神様は、さらなる試練を私に与えてきました。
退院直後から、激しい倦怠感が出ていました。退院3日目の夕方、散歩に出かけた瞬間に大量嘔吐して、緊急入院しました。
外科執刀医達にシェアハウスのメンバー達が「おかえりー」と一斉に出迎えてくれました。
緊急入院直後、拷問二連発が執行されます。
🟨13分
一発目、麻酔なし鼻チューブの刑
太い透明のチューブを麻酔無しに鼻から胃に突っ込んで、胃の空気を抜き取る鼻チューブ拷問が執行されました。看護師さんに手を握ってもらいながら、泣き笑い吐き続けました。
大手術で胃の位置が変わり、びっくりした胃が動き方を忘れてしまったのです。
鼻チューブ外れた翌日から、「禁食の刑」拷問執行。2週間続きます。体重は37キロまで落ちてあらゆる骨が剥き出しになっていました。
🟨14分
禁食期間中、痩せ細った自分に対して悔しさがわきおこりました。
どうして私ばかり、こんな苦しいめに合わなきゃならないの!
何のために私は生まれてきたの!生まれてこなきゃよかった!
病室で声を殺して、悔し泣きを何度もしました。再入院の1ヶ月は、壮絶な手術よりも心身共に辛かった。
食事が始まっても、スプーン3口ほどしか食べられませんでした。ゆっくりゆっくりをひたすら言い聞かせ、今、この瞬間をやり過ごすことに必死でした。
🟨15分
内科主治医は、以前と変わらず定期的に来てくれました。会えるたびに嬉しさ込み上げました。
2度目の退院後は、体の倦怠感もありませんでした。家のお風呂、ベッド、トイレが、とんでもなくしあわせに感じました。
病院にいた頃は、毎日毎食後、おなら ゲップ うんち出た??って確認され続けていて。執刀医からは、直々にゲップの出し方レクチャーを受けていました。
🟨16分
暖かいお風呂に入った途端、バリっつ!ブリブリブリブリブリってにオナラ大量に出ました。おならで飛んでいくんちゃうか
ゲッポー!!ってゲップも普通に出るようになりました。
頑張らなくてもうんち毎日出ました。
食べて、消化して、ガスとうんちが出る
今まで当たり前のようにできていたことが、一切できなくなって。それが再び少しづつできるようになって凄く嬉しかったです。一つ一つがめっちゃありがたく感じました。
🟨17分
退院超後、2018年のクリスマスの日。奇跡が起きました。
術後検査を受けに通院しました。なんとなく気配がしてふと振り返ったら、内科主治医の姿がありました。
先生ー!って呼んだら、気づいて駆け寄ってきてくれて。肩に手を置いてくれて空いてる壁際に連れてくれて瞬間、手と手が触れ合っちゃったのです。
(何やっとんねんこの2人)
中2さと心臓バックバク!内科に戻りたいと伝えたら「待ってて!僕から連絡するから!僕を信じて待ってて!」と熱くしっかり目を見て何度も伝えてくれました。
🟨18分40
私は、大好きな内科主治医からの連絡をワクワク待ちながら過ごしました。花レッスンにも毎週通い始めました。
好きな人のことを思いながら、好きなように花を束ねるだけで、自分は自分でいいんだって思えて。心が癒されて、私はどんどん元気になっていきました。毎日花に囲まれて花に触れられることもしあわせでした。
🟨19分
年明けから急激に食べる量も増えて、体重も順調に増えて、体力取り戻していきました。
内科主治医から、別の病院へ出向することを教えていただき、私は通い続けました。何回目かの通院の日、実家に戻って開業することを教えてくれました。お食事に行く約束と連絡先を交換してお別れしました。
結
🟨20分
大手術きっかけに、私は、今を生きること、大好きな人・大好きなもの・大好きなことに触れ続けていく日々が始まりました。好きに触れ続けることで私の人生の流れは、大きく着実に変わり始めています。
好きな気持ちに素直に進んでいくと、夢が叶いやすくなるようです。思いもしないミラクルを引き寄せます。
好きで選んでもアレって外すこともあるんですけど。でも、好きで選んでるから、結果はどうだったていいんですよね。恋が実らなくても、好きだから。
手術後の自宅療養中に、花師匠とも出会いました。私が初めてブーケを束ねた10月17日は、花師匠のお店の創立記念日だと、随分後になって知りました。
進展しない恋をGoogle検索したら、根本さんっていう人の変なブログに引っ掛かってしまって。根本さんに主治医のこと相談に行ったのです。2020年2021年のことです。
「ええか!花やぞ!花やで!内科主治医のことも今必要やから起きてるんやで!」ってことば頂いて。うっかりお弟子さんになって。
今は、ありがたいことに、ブーケ・セッションでお金をいただけるようになっています。
🟨22分
大好きなブーケと大好きな心理学に毎日触れたくて。花師匠と根本さんの本拠地神楽坂に通い詰めるうちに、ここに住みたいなって思い始めて。
そうしたら、凄く素敵なお部屋も見つかって。引っ越して2週間足らずで、大好きなザ・ペニンシュラ東京でのブーケ・セッションも引き寄せました。
大好きな場所に毎日のように通って、大好きな空間で大好きな花に囲まれる生活が始まりました。
🟨22分30
ブーケ好き好きって言ってると、応援してくれる人たちも出てきてくれて。私のことを「愛の変態」って言ってブログに紹介してくださる方や、セッションを受けることを目標にしてくださる方もいてくださって。叱咤激励のメッセージを送ってくださる方もいてくださって。すごくありがたいです。本当にありがとうございます。
🟨23分
もしも今、好きなことが見つからないとか、絶望の縁にいるとか、何もかもがうまくいかないって思い悩んでいらっしゃる方がいるならば、それって全然ダメなことでも悪いことでもないっていうことをお伝えしたいです!
私は、我慢していたり日々のことが一生懸命で大変だったり、疲れていたり、そういう時って、好きを感じられなかった時です。それどころじゃなかった。
2018年のあの頃、もがき苦しむ私に、こんな風に声をかけてあげたいです。よく頑張ってきたね。
本当によく生き抜いてきたね。
よく耐えてきたね。
もしも、今、好きが見つからない方は、今までの人生をとても頑張ってこられたのかなあって私は、思うのです。そんなあなたを、あなたご自身でそっと抱きしめて労っていただけたらなぁ、って余計なお世話だけれど思います。
今日の公演を聞いてくださって、ありがとう。動画を見てくださってありがとうございます。
ブーケアーティストの咲凜(えみり)さとでした。