見出し画像

私の受け続ける心理カウンセリングの変遷と花・ブーケ・ライフワーク

こんにちは。
ブーケアーティストの咲凜(えみり)さとです。

私は、15年以上心理カウンセリングを受け続けています。これからも、心理カウンセリングを受け続けていきます。

昔は、問題解決の糸口を探るため、過去を深堀するものでしたが。今は、自分のライフワークの未来のために受ける様になっています。

心理カウンセリングの使い方も、私自身の成長と共に変化しています。今日は、ふと、その変遷を綴りたくなって綴ってみました。

20年近く、恋愛・親子関係の問題をグルグルと

20代前半で、親と絶交状態で東京に飛び出して。その後大失恋をして、親子関係をやり直そうとして実家に戻りました。

31歳:初めて受けた心理カウンセリング

私が、初めて心理カウンセリングを受けたのは31歳の時でした。実家に戻って数年たった頃のことです。親とは癒着関係にありました。それも息苦しくて、生き苦しくて、藁をもすがる思いで電話予約を入れて会いに行きました。

その時の恋愛があまりにも苦しすぎて。私の歩き方・喋り方など一挙手一投足に、文句を付ける人で暴力的な側面もありました。今なら、笑い話にできますけれど笑。

当時の私は、激しい自己否定に自己攻撃を繰り返していました。自己攻撃が満たせる相手を、無意識に選んでいた時代です。何度も何度も同じような恋愛の失敗を繰り返し始めていました。

初めて受けた心理カウンセラーさんは、産業カウンセラーとして大阪で活動されていた方です。60過ぎていらっしゃった品のある女性でした。凄く親身になって、対応してくださいました。

そこから、私は、自分自身の生い立ちや親子関係を振り返り始めました。親との癒着が頂点を極めて、私は、再び東京に出る決断をして今に至ります。

東京で自力で、親子関係を見つめる作業を続けました。様々な感情を吐き出すことから始めていました。怒り・憎しみが底なし沼のように出てきました。大学ノートに感情を殴り書きしたり、出さない手紙を綴ったり。

そのうちに、その作業に飽きてきた私は、退屈で平凡な毎日を弄ぶようになります。そして再び、自虐恋愛にのめり込むようになっていきました。一人で辛さを抱えきれなくなった私は、東京で新しいカウンセラーの元に通い始めます。

心理カウンセリングと並行して、境界線の引き方・健全な自己主張など、心理カウンセラー主催グループセッションに通い始めました。凄く面白かったです。セッションを主催されている心理カウンセラーの、デモンストレーションは毎回目から鱗でした。

36歳:今も通い続ける心理カウンセラーとの出会い

36歳の時に、今も半年に一回通い続けている神楽坂在住だったカウンセラーと出会います。それまでのカウンセラーが、北海道に引っ越されたことが切っ掛けです。心理カウンセリングでの相談内容は、圧倒される感情に振り回されることと恋愛相談がメインでした。

37歳:親子問題を向き合い始めた矢先に

37歳の冬。親のことを徹底的に向き合いたいとカウンセラーに自ら申し出て。毎週通い始めました。

幼少期の感情に触れることは、とんでもなく恐怖でした。怖くて怖くて仕方がないと、カウンセラーに何度も恐怖心を吐き出していたことを覚えています。そして、体調に異変も出始めていました。

その直後、膵臓に出来物が見つかります。一瞬、死の恐怖を突きつけられました。その瞬間、親子関係の過去を振り返ることよりも、「今」を生きることの大切さに意識が向かい始めます。

あいも変わらず、感情の爆発は続きました。その頃から、境界性パーソナリティー障害の本を読み漁り、図書館にも通い詰めていました。

そこから、マインドフルネス・弁証法的行動療法を知って、テキストを買い漁ります。心理カウンセラーに手伝ってもらいながら、実習に取り組み始めました。

3年近く、毎日テキストを続けていました。ちょうど、病気に対する怖さへの対処にも、マインドフルネスや弁証法的行動療法は役立ちました。

40歳:圧倒される感情の取扱を学べるグループセッションを見つけ出す

その当時の恋愛相手との関係をうまく行かせたい一心で、感情取扱を学びたくて、ようやく見つけた弁償法的行動療法のグループセッションに通い始めます。このグループセッションも、目から鱗の連続でした。一年近く、継続しました。いつか私も、こんな風なことをやってみたいと漠然と思い始めていました。

グループセッションが進むにつれて、その恋愛相手に対する気持ちが冷めていくという事態になりました。「私を大切にできる相手ではない」と、気づいてしまったのです。自分軸・自分はどうありたいのか、その部分が徐々に鍛えられていった結果です。

自分からその相手に対して、「もう関わらないでください」と、何の未練もなく綺麗さっぱり別れを告げました。そこから、自分の興味あることを探り出す様になっていきました。弁償法的行動療法の勉強は、凄く面白くて継続しました。

42歳:膵臓手術直前にブーケと出会う。術後、憤怒湧き起こり…

42歳の夏、膵臓の出来物が悪性診断を受けて、グループセッションを中断しました。秋に手術が決定。その5日前に、「やりたいことリスト」のひとつだった「ブーケ」と出会います。

手術直後の合併症で、退院3日目で再入院。その禁食2週間で、両親に対する怒り恨みつらみがとんでもない勢いで湧き起こってきました。

退院直後に、両親に洗いざらいをぶつけて、20代の頃から20年以上抱え続けていた軋轢を解消しました。喉にずっと引っかかり続けたものが、ゴロっと取れた感覚でした。今でもあの感覚は、鮮明に覚えています。

二度目の退院後。リハビリ期間中も、花・ブーケは私の心の支えでした。花に触れている間、私はありとあらゆる怖れや不安痛みのことを忘れ去っていました。

私は、私のままで良いのだと思えて、凄く幸せな時間でした。花は、私の部屋に溢れていました。花の水換えや世話をするのも、幸せを感じられる時間でした。朝起きて寝る時も、花は私の心を癒し、元気付けてくれました。凄く幸せなリハビリ期間でした。

その頃に、今の花師匠とも出会って、私は益々ブーケにのめりこんでいきました。パリスタイルフラワースクールにも、通ってみたり。外部のレッスンもたくさん受け続けました。とにかく、どんどんブーケを吸収したくて、無我夢中になって束ね続けていました。

お弟子になって、花がライフワークだと気づいて

そのころに、「片思い」でブログ検索して引っかかったのが、今の心理学師匠・根本裕幸さんのブログでした。グループセッションを受けた時のことを、こちらに綴っていました。

問題の陰に才能がある、この言葉に衝撃を受けて、弟子入りを志願しました。

漠然と思い描いていた、グループセッションをやりたいという思い。心理学と花を絡めて何かやりたいという思い。具体的に何をやるのかは全くもってわかっていませんでしたが、お弟子に無事合格したのが2021年の夏でした。

花師匠も心理学師匠も、神楽坂が拠点です。神楽坂に、毎日通い詰める日々が始まりました。

お弟子期間中は、これまた再び過去の親子関係や人間関係を嫌というほど見つめる時間でした。心理カウンセラーさんから、心理学禁止令を出されたくらいに、のめり込んでいました笑。あれほどまでに、自分と向き合ったのは、30代の時以来のことです。

弟子卒業直後の2022年5月から、ブーケ・グループセッションをスタートさせて今に至ります。2022年の秋に、ふと、花がライフワークだと気づきました。

ライフワークは、私を「問題なんてどうでもいい」の境地に連れ出してくれる。

ライフワークって、男も親子関係も感情爆発し続けた過去も暗黒時代の色々も、私を「問題なんてどうでもいい」の境地に連れ出してくれます。

過去の私は、恋愛依存状態だったのに。花に出会ってからの私は、恋愛に対する興味が結構な勢いで薄れています。全くない訳では無いけれど。

親子関係を深堀したり、色々な人間関係を見つめ直したり。過去を扱うのも大事ですけれど。それはそれで心身に負担が掛かるものだということを、私は自ら体験しています。

それよりも、自分の特性をどう活かすか、感情やエネルギーをどうプラスに昇華させるか、どうやって日々自己充足して生きていくか。そのことに没頭することで、私は、問題を乗り越え続けています。過去を深堀することに、興味が薄れている様にも思います。

私は、自分の中に湧き起こる熱量で、グイッと視線や意識を引き上げて問題を超えていく手法が合っているのだと思います。そっちの方が、「楽で負担少なくて、楽しい」と私は思う派です。あくまでも、趣味趣向の一つです。どれが良い悪いとか、そういう問題ではなくて。

トラウマからの回復

水島広子さんという精神科医の方の本も、読み漁っていた時代があります。彼女の主催されるワークショップにも、一時期通っていました。水島さんの本の中で、私が一番お気に入りのものがこちらです。

創元社「新装版 トラウマの現実に向き合う: ジャッジメントを手放すということ」著書・水島広子氏

そして、この一文が、最もお気に入りです。

「自分自身をゆるすこと」は、自分を傷つけることを辞め、被害者役から自分を解放すること。自らを「被害者としての役割」から「無害者としの役割」に変化させていくプロセス。自分自身の人生を主体的に歩んでいくプロセスがトラウマからの回復に他ならない。

長い年月を経て、点と点が線として繋がりまとまりを持っていることに気づくこと。共通のテーマに気づいたり、大きな目的があったことに気づくこと。

創元社「新装版 トラウマの現実に向き合う: ジャッジメントを手放すということ」著書・水島広子

被害者の役割から、無害者として。自分自身の人生を主体的に生きること。私にとって、花と心理カウンセリングは、トラウマからの回復を支えてくれる無くてはならない大切なものです。

過去のたくさんの痛みや理不尽や思いを、私は、「花・ブーケ」と「心理カウンセリング」で昇華し続けています。過去の痛みを燃料にして、私はブーケという美しいものに昇華し続けています。爆発的な燃料は、あの頃の私です。燃料は、底なし沼のように尽きる気配はありません。燃料を投下すればするほど、あの頃の私は私らしさを取り戻し、生きる喜びを味わい続けています。

私にとってのブーケは、無害者の象徴です。私の「生命力」そのものです。「生きる喜び」です。ブーケ・グループセッション、花カフェ、個人セッションという3つの活動を通して、私は、これからも「主体性」を鍛え上げ続けてまいります。

これらを通して、私自身の人間性も切磋琢磨し続けてまいります。花・ブーケ・心理カウンセリング。これが、私の生きる道・ライフワークです。

今日もお読みいただきありがとうございます。
咲凜(えみり)さと



お問い合わせ

お問い合わせやご質問は、ホームページ右上の「お問い合わせ」もしくは以下のサイトもしくは、LINEからどうぞ。各種セッションの開催リクエストも、受け付けております。

公式LINE:https://lin.ee/8b7gj2r

いいなと思ったら応援しよう!