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殉教者の名残りを手放し、「弱さ」と「信頼」と「助け」を受け入れる。

こんにちは。
咲凛さとです。

本日は、無料オンラインカウンセリング「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談文に回答を差し上げたいと思います。

ココロノマルシェは、心理カウンセラー根本裕幸氏が運営する無料のオンラインカウンセリングになります。

ご相談文引用

とんぼさま「父親を悪者にできない」

私は過干渉な母と支配的な父親の元に育ちました。カウンセリングやセラピーを利用して大人の反抗期もおえ、言いたいことも我慢してきたことも、親にも全部吐き出すことができました。

元々家族みんな仲良かったですが本当の意味で仲良くなれたと思っています。対等な感覚。自分の人生も自分の元へ取り戻せました。

私は母も父も大好きです。
親の不器用な愛し方も理解できたし愛されていたと腑にも落ちていると思います。

ただ、父親のことを話す時、悪者にしてしまう気がして辛いのです。カウンセリングであっても私が父にこう言われた時辛かったと話したら父親を悪者にしてしまうという感覚がまだあります。

父親を弱い存在と思っているのだと思いますがいっぱい助けてきたので。殉教者だった私は父親を十字架に貼り付けるような気持ちになるのです。

父は教師だったので、父親の顔に泥を塗るような事をしたら父親がみんなに攻撃されちゃう!そんな恐怖もあります。教師は聖職者として完璧を求められます。依存的で馬鹿な保護者は教師を奴隷扱いしますから私が父親の弱さを世に曝け出したら攻撃されちゃう!

そんな思いがあるのです。
要は大好きな父を守りたいのです。

ただ、守ろうとすると自分の辛さを世に出すことにも抵抗が生まれるわけで。

何か私の心を動かす考え方や気づきやアドバイスなどお願いします。

とんぼさまへのご回答

とんぼさま

初めまして。咲凛さとです。この度は、ココロノマルシェにご相談をお寄せいただき、ありがとうございます。

とんぼさまのご家族への愛情が詰まったご相談文を拝見して、わたしが最初に何よりもお伝えしたいのは、とんぼさまのあふれんばかりの魅力です。

ご自身を人生の主人公として主体性を取り戻された過程、ご自身と向き合い続けることを諦めなたかったとんぼさま。そのことが、何よりも素晴らしいです。

ご自身の状況と気持ちを客観視できること、ご家族のことを心から大好きだと言えるとんぼさまの深い愛に、わたしは感銘を受けました。

とんぼさまは、お父さまの不器用さも理解して、その愛を存分に受け取っていらっしゃることも素晴らしいです。お父さまの立場を思いやれるとんぼさまの思慮深さ。

わたしは、とんぼさまの器の大きさと包容力を感じずにはいられません。

素晴らしい愛をお持ちのとんぼさまが、お父様への想いを苦しみではなく喜びに変えるためのご提案を差し上げます。

抵抗が出てくる箇所もあるかとは思いますが、新たな視点を得るヒントとして読み進めていただければ幸いです。

主語をご自身に置き換えて読み直す

心理学の世界では、自分自身の持つ受け入れ難い感情や思考を、あたかも「他者がそう感じている。他者がそう考えている」ように置き換えると言われています。これは、「投影」と言われています。

嫌な感情を自分自身で受け止めるのは、誰だって抵抗がありますから。無意識のうちに、他者の気持ちとして置き換えてしまうのはとても自然なことです。

この投影ですが、自分自身への新たな視点を得るのに大変使えます。ご相談文の主語をとんぼさまに置き換えて、読み進めてみることをご提案いたします。

理解し難い部分も出てくるかとは思いますが、新たな気づきのためと思って読み進めていただければ嬉しいです。

①「教師は」、殉教者として完璧を求められる。→「私は」、殉教者として完璧を求められる。

②依存的で馬鹿な「保護者は」教師を奴隷扱いします。→依存的で馬鹿な「私は」「私を」奴隷扱いします。

③私が「父親の」弱さを世に曝け出したら攻撃されちゃう。→私が「私の」弱さを世に曝け出したら攻撃されちゃう。

いかがでしょうか?

ここからは、主語を置き換えた文章に対するわたし自身の印象を綴らせていただきます。

殉教者として、とんぼさまはご家族を助け続けていらっしゃいました。ご家族の痛みや苦しみを、とんぼさまが引き受けることで、ご家族は痛みや苦しみを感じずに済んでいたのだと思います。

とんぼさまは、ご自身を犠牲にしてまで愛するご家族を助けてこられました。ご自身を見つめる過程で手放された我慢も、とんぼさまが殉教者の役割を担っていた頃は沢山なさっていたかと思います。

愛するご家族を助けたい一心で、とんぼさまはご自身の辛さや苦しみ痛みや弱さを封印し続けながら。とんぼさまは、「強くあらねば・完璧であらねば」と自らを奴隷のように鞭を打って殉教者の役割を担ってこられたのではないでしょうか。

上述の①〜③の一文は、わたしには、殉教者時代のとんぼさまの心の叫び声に聞こえてしまうのです。

自分自身を犠牲にしてまで、周囲を助ける立場に置かれたなら。その過程において、「依存はいけないもの、依存は弱さと愚かさの象徴、弱さを曝け出すと攻撃されてしまう。だから封印しなければならない。」そんな思い込みを持ってしまうのも自然なことなのだと思います。

殉教者時代の名残りを手放し、「弱さ」と「助け」と「信頼」を受け入れる。

今、ご自身をその人生の主人公として、主体性を取り戻されたとんぼさま。殉教者時代の名残りを手放すことが、とんぼさまのお父さまを悪者にしてしまう気持ちを手放すことになると、わたしは思います。

父親を弱い存在と思っているのだと思いますがいっぱい助けてきたので。殉教者だった私は父親を十字架に貼り付けるような気持ちになるのです。

この一文ですが、わたしには、とんぼさまご自身の弱さをお父さまに映し出しているように思えるのです。

とんぼさまがご自身の弱さを受け入れ認めることで、お父様に映し出す弱さも癒すことができるのではないでしょうか。そして、ご自身の弱さを周囲に差し出すことで、周囲からの援助を受けることもできるようになります。

現に、とんぼさまは、ココロノマルシェに対して助けを求めてくださっています。このことも凄く価値のあることだと、わたしは捉えています。

殉教者として「助ける立場」だったとんぼさまが、今度はご自身の弱さを差し出して「助けてもらう立場」に立つこと。ご相談を投げてくださることも、すごく勇気のいることだったのではと思うのですが、いかがでしょうか?

また、弱さを差し出して助けを求めることは、周囲への「信頼」無くしてできません。とんぼさまは、ココロノマルシェのカウンセラーを「信頼」されてご相談を投げてくださっています。

この場に投げてくださった「信頼」を、大好きなお父さまに対しても持つことはできないでしょうか?お父さまのことが大好きだからこそ、心配もされるとんぼさま。その心配を信頼に変えてみることはできないでしょうか?

一対一の対等な大人として、とんぼさまとお父さまは新たな関係を築いていらっしゃいます。そのお父さまは、とんぼさまに助けてもらわなくても立派に一人の大人として振る舞うことができるのではないでしょうか?

こんな格言があります。

『成長は、自分の弱さを受け入れ始めたときに始まる』 ジャン・ヴァニエ

守る立場だった人が、弱さを差し出し、周囲を信頼して援助を受ける側に立つことは凄く抵抗が出てくることかもしれません。

その抵抗を超えて、とんぼさまが今まで以上に周囲を信頼して、周囲に助けてもらうことで、とんぼさまの包容力と器の大きさは更に輝きを増すかと思います。

今まで歩んでこられた殉教者としての道のりとそれを手放す過程は、多くの人々の希望にもなります。とんぼさまが「信頼」を周囲に投げかけることで、ご家族との関係はもとより、その他の人間関係においても愛と喜びが溢れる関係になっていくとわたしは確信しています。

益々、愛溢れる関係をお父さま始めより多くの方々と築いて行けますように。とんぼさまの幸せを祈っております。

お読みいただきありがとうございました。

咲凛さと

ご質問などございましたら、こちらからお気軽にどうぞ。