親密感の怖れ克服への道のり vol.4:トラウマの要因・親子関係のこと その1
こんばんは。
窓際族として認知され、出社しない族として広まっている、ブーケアーティストの咲凜(えみり)さとです。
本業も、本腰をちょいと入れるように意識し始めています。今週から、まず出社することを頑張っています笑。どないやねんって感じですけど、ね。
昨日、心理学師匠・根本さんが運営するオンライン心理カウンセリング「ココロノマルシェ」に回答を差し上げました。親子関係へのご相談でした。そこで、ふと、私自身のプロセスを綴りたくなって。
親密感の怖れ克服と合わせて、親への許しのプロセスを綴ってみます。
今年に入って、「親密感の怖れ克服への道のり」と題して、私自身のプロセスを綴り始めました。自分自身を一つの事例として客観視するため。何よりも、これからの幸せなパートナーシップに生かすためです。
1.恋愛相手に対して噴出する依存心・被害妄想・思い込みのこと
2.花が癒してくれた同性に対する「親密感の怖れ」のこと
3.恋愛時に陥るフラッシュバックのこと
今日はフラッシュバックの要因となっている「トラウマ」のこと。親を許すに至る20年近くのプロセス前半を綴ります。
こうやって眺めると、罪悪感の塊だと初めて実感した次第です。
一通り綴ったら、「愛」の視点で眺めるチャレンジをしてみます。自分事だと思わずに、一事例として。
幼少期のこと
いつからでしょうか。3歳か4歳ぐらいから小学校に上がるまでの間。親からの暴力が激しい時期がありました。痛みを堪えることに必死だったと思います。青あざも口の中が切れることも普通だったと思います。外に放り出されて、鍵をかけられることも。玄関に投げつけられることも。色々ありました。
幼少期のことを私は、記憶から抹消していました。30歳、初めて心理カウンセリングを受けるまで。口外することはありませんでした。
保育園では、いじめもありました。いじめっ子の女の子がお休みの時は、私にとってパラダイスでした。たくさんのお友達とすごく楽しく遊んでいたことを記憶しています。人生最大のモテ期でした笑
小中高時代
時々、プチ登校拒否をしていました。いじめられたりとか。いじめる側のグループに入ったりとか。色々ありました。中高女子校でした。
私の第一志望は、神戸の大学でした。そこは合格しましたが、実家を出ることに父親は猛反発しました。高校の担任の先生も、父親を説得してくれましたが失敗して。私は、まぐれで合格した同志社の合格通知と申請書を父親の前でビリビリに破いて投げつけました。
大学時代
念願の第一志望の大学の、一番行きたい学部に合格をして。親元を離れて友達と二人暮らしをスタートしました。共学で凄く楽しかったです。伸び伸びしていました。後輩たちからもサトさんサトさん呼ばれて、なぜか慕われていました笑。この頃も、人生最大のモテ期でした笑
就職して東京へ
大阪で採用されましたが、配属は東京本社になり。泣きながら大都会東京に出ました。怖くて怖くてしかたなくて、最初は泣いてばかりでした笑。帰りたいよーって。
何度目かの恋で結構な出来事があり、会社をお休みして一瞬実家に戻りました。親は、京都に引き戻そうとしました。私は、東京の家と仕事にどうしても戻りたくて。親と激しく喧嘩をして家を飛び出しました。
新幹線から有楽町が見えて、凄く安堵したことを覚えています。有楽町にご縁がこの頃からあったのかしら笑。
本気で親子の縁を切ろうと私は腹を括りました。縁を切ろうとして、電話も着信拒否にして。私の中には、罪悪感が膨れ上がりました。
親が京都から突然オフィスにやってきて。親と一緒に入った喫茶店で、ほとんど話もできずただ泣いたことを思い出しました。
更に罪悪感が膨らんでいきました。
24歳の時。仕事復帰してすぐに会社の先輩とお付き合いをスタートしました。
2年近く同棲をしました。同棲のことを親に伝えようと何度かしましたが、勇気が出なくて。喧嘩して家を飛び出た手前、どうしても言えなくて。「引っ越しをします」としか伝えられませんでした。
その頃から、「怒り」の感情に飲み込まれるようになっていました。訳もわからず「怒り」が湧き起こり、どうにもできず爆発することを繰り返していました。
この怒りは、幼少期からの抑圧し続けた怒りだったかと思います。彼の優しさに心が緩んで、噴出したのだと思います。
その度に、その方は忍耐強く向き合ってくれました。
彼は、真っ直ぐな愛情を示し続けてくれました。お付き合いする直前は、かなり女遊びの激しい方でしたが。女遊び専用携帯は、解約してくれました笑。
彼は、彼のたくさんの友人達に私を紹介してくれました。結婚式にもつれていってくれたり、飲み会には必ず連れて行ってくれました。私は、凄く嬉しくて。彼の友人たちと仲良くさせていただきました。
すごく楽しかったのは最初だけでした。
彼は、親子関係がとてもうまくいっていました。その友人たちも親子関係うまくいっていました。こんな言葉もよく掛けてもらっていました。
その中に入っていくたびに、私は、劣等感を覚えました。段々無口になっていき、誘われても行かなくなっていきました。「おいでよー」って、みんなが電話口で誘ってくれても。私は頑なに家に一人居続けました。
一年近くたって、怒り発作も収まっていました。
結婚したいと言ってもらえても、私は、仕事に邁進したいとかって言い出して笑。私が結婚したい気持ちが高まってきたら、お相手は既にトーンダウン。私の怒りの感情爆発がまたぶり返して。関係は終わりを迎えました。
2年近く一緒にいた彼が突然いなくなること。私は、自分自身を激しく責め続けました。彼の優しさにあぐらをかいていたこと。彼のことを理解してあげられなかったと、自分を散々責め続けました。会社も休み続けて、毎日泣き続けました。
自分のタガが外れそうで、誰彼なく行きずりの人と関係を持ちそうな怖さを感じて。外に出歩くことも怖くなっていました。自分を傷つけたい衝動を抑えることに必死でした。苦しくて苦しくて、実家に電話を掛けました。父親が出てくれました。
そう話して、私は東京の仕事を退職して、実家に帰る選択を選びました。26歳の時だったかと思います。
ここで「めでたしめでたし」となれば良いのですが。15年アンダーグラウンド突入の始まりでした。
(続く)
なんだか、ただの「罪悪感日記」状態ですなぁ。まぁ、よしとします…
1月20日14時開催のブーケ・グループセッション、冒頭をインスタライブ配信します!
春花たちが素敵すぎるから!!そして、ブーケセッションって何すんねん?って疑念をクリアにするために笑。
女神性開花と二シャドウとの統合をテーマに掲げています。嫌いなもんは嫌いなままでええねんってお伝えするつもりが…
嫌いな花材も、その美しさに「あかん惚れてまうやろ」ってなりそうな勢いです。
今日もお読みいただきありがとうございます。明日も素敵な1日になりますように。
咲凜(えみり)さと
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