なんか寂しい

生きていると、じぶんと世間との温度感の差だったり周りの人との感覚の違いだったりで、寂しさを感じたりすることがよくある。

年明けてしばらくすると、新型コロナウイルスに関するニュースや記事が飛び交っていてウンザリしていたが、最近はウンザリを超えてなんとなく寂しい。

「新型コロナウイルス」という今まで聞いたことないけど、なんとなく怖そうな名前を聞いて、少しは怖れ慄くことはあるだろうけど、冷静になると別に殺人的なウイルスではないということがわかる。世の中には、もっと恐ろしいウイルスや病気が存在していて、そういったものと戦っている人はたくさんいる。

にもかかわらず、テレビやネットで目にした新しいウイルスに対して、ヒステリックになる人間が毎日どこかで誕生している。それもびっくりするくらいのスピードで。

テレビやネットの世界にそういう人がいるのを見るのはまだ見るに耐えられるのだが、なぜか身近な人間までヒステリックになっていく。

そして、ヒステリックになっている人間を観察すると、「新型コロナウイルス」に関する情報には敏感なものの、その情報自体が何を意味するか、つまり、ほかのウイルスとの差異や事物との相対性について考えているところはあまり見られない。

テレビやネットという世界は、視聴率やPVが"メシ"になっていて、恐怖本能やネガティヴ本能を呼び起こさせる「新型コロナウイルス騒動」は"美味しいネタ"である。(もちろん、それらの全てに通ずるわけではないが。)

しかも「単純接触効果」的な感じで「新型コロナウイルス」というワードに触れれば触れるほど、そのワードに対してのアンテナがビンビンになる。

そういったことを加味して物事を見ないと、本当に恐るべきものに鈍感になり、大したことのないことに敏感になってしまう。

もちろん、新型コロナウイルスによって亡くなっている方もいるので、新しいウイルスは危険であることには変わりはないのだが、どう考えても必要以上に騒ぎすぎではないだろうか。

まあでも、人間の本能なのだから仕方がないのかなとも思う。そんなことを思いながら今日もなんとなく"寂しさ"を感じながら生きようかと思います。



里芋です。