「キムタク」とは一体どういう意味なのか
「お前キムタクやん!」や「お前キムタクかよ!!」という文言が会話の中で飛び交う時、このキムタクは必ずしも元smapの木村拓哉メンバー本人のことを指すわけではない。
元来、「キムタク」というのは木村拓哉の略称、愛称として存在していた。
キムタクは当たり前に名詞だ。
しかし今現在では形容詞として使われているし、
木村拓哉という本体から離れつつあるように感じる。
「キムタク」と似たような現象としてマドンナがある。
僕は小さい頃に勘違いしていたことがあって、マドンナは綺麗な女の人のことを英語だかフランス語だかで訳した言葉だと思っていた。
周りの大人やテレビや映画などで、あまりにもマドンナという単語がそういう意味で使われるからそう感じていたのだ。
「クラスのマドンナ」という言葉がある。
この意味はクラスで一番可愛い、クラスで一番チヤホヤされてる、モテてるみたいな子だ。
こういう使い方のマドンナに幼少期から出会うので、マドンナはプリンセスとかそういう意味だと思っていた。
(今はマドンナもものすごいことになってるので、可愛い的なニュアンスはどんどんきえていってしまうかもしれないが…)
要するに、自分の名前が有名すぎて形容詞になっちゃう現象が起きているわけだ。
僕にとっては、ビヨンセとかも後に人の名前であることを知った。
では、「キムタク」は日本でどういう意味の形容詞として使われているだろう。
かっこいい人?なんでもできちゃう人?
「キムタク」に関しては、マドンナの時のように単純に行かないように思う。
強いて、一言で表すとすれば、「カッコつけててそれがうまくいっている人」という感じだろうか。
これも正確に言い得てる自信はない。
一番最初に書いた、「お前キムタクやん!」という会話もそれを言ってる人が対峙してる相手はきっとカッコつけているはずだ。
そしてこの「お前キムタクやん!」は本当は「お前がキムタクみたいなことしてどうすんねん!キムタクやったら成り立つけどもやなぁ!!!」と言っているはずだ。
そして今、木村拓哉の価値が揺らぎ始めている。
フジテレビ系列のドラマ「風間公親―教場0―」の公式Twitterで投稿された木村拓哉と女優の新垣結衣がツーショットが木村拓哉の顔の大きさと身長に関して議論を呼んでいる。
「木村拓哉はダサいのかもしれない。」とこの時に感じた人やハナから木村拓哉が”かっこいいブランディング”でやってることに面白みを感じてる人の間で盛り上がっている。
今はもしかすると、「キムタク」の過渡期になっているように感じる。
木村拓哉が亡くなった日本で繰り広げられる会話での
「お前キムタクやん!」はどういう意味を持つのか。
「お前キムタクみたいなことすんなよ!キムタクはかっこいいからええけども!!」なのか
「お前キムタクみたいなことすんなよ!みっともないな!」となってしまうのか。
今後の「キムタク」と「木村拓哉」の動向は楽しみである。
キムタクの話は終わるが、自分の名前が有名すぎて形容詞になっちゃう現象
について、興味深いことが起ころうとしている。
この現象は元々、自然的に一時代の人気者になってしまったことで発生したもので、マドンナもビヨンセも木村拓哉も別に意図していない。
だが、日本人の中で、意図して、自分の名前を有名にして形容詞にしようとしてる人物がいる。
しかも彼はそれをメディアで公言している。
それがケイスケホンダだ。
彼はNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル』で、
恒例の「あなたにとってのプロフェッショナルとは?」という質問に対し、
「言うぞー、言うぞー」とリトル本田と葛藤した間があった末に
「ケイスケホンダ」とだけ答えた。
その後の「どういうことか」からの説明では結局どういうことか伝わらずに終わったということがあった。
僕はこの番組を見た時、自分の名前が有名すぎて形容詞になっちゃう現象を
意図的に起こしたいんだなってすぐわかった。
そしてそのケイスケホンダの意味の部分をプロフェショナルということに会いたいんだなと思った。
説明が悪すぎた。
「お前ケイスケホンダやなー。」のところも多分普通の公園で遊んでる子供とかが形容詞としてケイスケホンダを使ってる画を想像させたかったんでしょう。けど、「お前ケイスケホンダやなー。みたいな?」ってヘラヘラしながら言われてもわかるわけない。
彼は破天荒、とか度胸ある、とかスター選手、とかの完璧で輝かしいイメージがすでにあるが、その分、きよきよしい、やケイスケホンダなどの粗を探されやすい。
そして、この探されたそのせいで本田圭佑はけっこう「キムタク」である。
#創作大賞2023
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