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⑥わが子がダウン症だった(完結編)

ついに、誕生から1ヶ月の時を経て三男が退院となった。

NICUという温度管理や清潔が徹底された世界で生きてきた三男が我が家にくる。

ダウン症児は基本的に体が弱い。
風邪もうつりやすいし、それが重症化もしやすい。

それにも関わらず、うちには4才と2才の兄がいる。保育園からは月一くらいで風邪を貰ってくる。
だからめちゃくちゃこわい。

となると、コロナ隔離レベルの限界態勢は必須になるかと思いきや、医師にこう言われた。

「確かに風邪にかかる確率はあがりますが、兄弟の接触を阻むことはありません。むしろ、同じ環境で過ごしてください。風邪にかかるリスクよりも計り知れないメリットがあります。」

それがどういう類のメリットなのか説明されなかったのは、いちいち言うのも無粋だからだろう。

簡単に言えば、触れ合う愛で人は育まれるってことだろう。多分。

話は変わるが、1ヶ月の入院で気掛かりだったことがある。入院費だ。
たしか、妻の産後の入院費は病床代だけで1日2万はかかっていた。

赤ちゃんも同じかどうかは知らないが、他にも様々な検査や医療行為があるだけに、もっと高額だろう。

このことを考えるだけで肝が冷えた。
しかし、避けて通ることはできない。

最悪、地下労働施設で酷使させられようとも、父は君のためにがんばれる。一生懸命ペリカを稼いでくる。( カイジシリーズ参照)

いよいよ退院が近づき、病院より告げられた概算。

医療費....

ゼロ円。

え?ゼロ?

0でいいの?

狐につままれた気分だった。

私の住む町では子どもの医療費がかからない。
ただ、それは普段の診療に限るものと思っていた。

それが、こんなに医療の恩恵に預かっても負担額ゼロだったのだ。

自己負担となったのは食費(ミルク代)のみで、5万以内で収まった。

あれ?ミルク代5万?
めちゃくちゃ高いじゃねぇか。
ハイパーインフレ起こしたんか?
物価がバグっている。

だが、そんなこと余裕で度外視できる。
医療点数を見たらちょっとひいた。
医療費全額負担ありがとう。

もう市には足を向けて寝れない。
そして、市民の皆様のおかげで息子の今日があります。本当にありがとうございます。

そうして無事に退院が果たせた。

さて、完結へと向かっていこう。

ここまで、目まぐるしい心の変化を辿ってきた。
運命を背負い、受け入れることの葛藤は凄まじい消耗だった。
その軋轢に心が擦り切れそうになった。

責任とか義務とか、人として放棄できない倫理的要素と、赤裸々な感情とが何度もぶつかり合った。

けれど、今はこの子の全てを受け入れている。
決して義務的でなく、愛おしくかけがえのない存在として。

この子の親になれて心から嬉しい。

これから色んな困難があるかもしれない。
ときには越えられない壁もあるだろう。

それでも、この子は幸せになれると思う。

ネットの書き込みにはこうあった。

「障害者は不幸だ。健常者が当たり前に出来ることが出来ないし、かわいそうだ」

果たしてそうだろうか?

では、当たり前に当たり前のことが出来る人は皆幸せと感じて生きているのか?

健全に生まれても、様々な事情からその境遇を嘆く人は無数にいる。
自ら命を絶つ人も大勢いる。

「当たり前に出来るから幸せ」だという理屈は成立しないし「出来ないから不幸」でもないだろう。

みんなそれぞれ能力は違う。
才能も個性も違う。
生きている環境も境遇も違う。

たしかに障害のある人にとって生きにくいと感じる場面も多いかもしれない。

けれど、身体が不自由であっても、心は自由だ。
幸せは心で思うものだ。
障がい者が幸せになれないわけではない。

人の幸不幸を測るものは何だろう?

お金、名声、学歴、経歴、どれもあればあるほどいい思いができるかもしれない。

けれど、みんながみんな手にできるものではない。

幸不幸を測るものはもっと普遍的なもの。

あくまで私の感覚だが、それは「感謝の数」だと思う。

日々、小さなことでも喜べる心。
そして、ありがとうと伝えられる姿勢。
これが多ければ多いほど、幸せな人だと思う。

子どもたちには幸せになってほしい。
だから、私と妻が率先して、もっと喜び、もっと感謝できる人になろうと思う。

今、腕の中でダウン症をもつ三男がすやすやと眠っている。

この家に来てくれてありがとう。
お兄ちゃんたちに揉みくちゃにされながら、お父さんとお母さんに守られながら、みんなで楽しく幸せに生きよう。

[完]


最後まで読んでいただきありがとうございました。
これにて「わが子がダウン症だった」シリーズ完結です。

シリーズ累計4000回近く(R6.8月現在10000回超え)見ていただけました。
また、Xやインスタで激励をいただいたり、15年振りに連絡をくれる友人もいました。
わざわざ京都からうなぎ弁当を差し入れてくれる友人もいました。(うちは兵庫の田舎です)
あえて何も言わずに、麻雀に誘ってくれる仲間もいました。

こうして発信してみて分かったことは、優しい人がたくさんいるということです。
優しさにあてられて泣きそうになります。

そして、ダウン症のことを調べれば調べるほど、頑張っている人がたくさんいることも知りました。

ダウン症のみならず、他の染色体異常、先天性難病、脳性マヒ、事故原因の障害、小児がん、トゥレット症候群...

書ききれないほど、様々なケースで病気や障害のある子どもを育てる家庭が多くあります。
また、不妊治療をめぐる話も見るようになりました。子どもと死別された親御さんもおられます。

三男が生まれなければ、関心を持たずに生きていたかもしれません。

いろんな人がさまざまな境遇で、人に言えない重荷を抱えて生きている。
今日すれ違った人の中にもいたかもしれません。

だから、私はもっと親切に生きようと思います。
何かできるわけではないけど、誰にでも優しくありたいと思います。
そんな思いをここに書き残しておきます。

長くなりました。
これでnoteをやめるわけではありません。
また折に触れ息子のことを書きます。
それ以外のバカな文も多分書くでしょう。
そのときはまた読んでくれたら嬉しいです。

それでは、全6回の長ーい話、終わりです!


俺たちの旅はここからだー!
さとフィス先生の次回作にご期待ください!

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