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真実か事実、どちらを伝えるのか。

真実と事実は違うというけれども、
そんなことを考えさせられた出来事がありました。

お嬢のベストフレンドと遊びに行く約束をしていたんだけど、前日の深夜にママからキャンセルの連絡が来た。ご家庭によって子育てのやり方は違う。どうやらキッズがおうちのルールを破ったようですごく久しぶりに会う予定で楽しみにだったけど苦渋の選択をしたと何度もお詫びの言葉を言われた。私は理解したし、子育ての方針はみんな違うからまた今度ね!で話を終えたの。

ベスティがお誕生日だったのも相まって、お嬢はバースデーカードを書いたり、ブレスレットを作ったりととても楽しそうで楽しみにしていたのは知っていた。でもこればっかりは明日の朝「ベスティは来れなくなった」ということだけは伝えておかないとなと。

翌朝、とりあえずダディに実はベスティはいけなくなってしまってと理由を説明した。その後にお嬢が起きてきたから、「とても残念だけどベスティはこれなくなってしまった」とだけ伝えてみた。案の定、どうして?って聞く。そりゃそうだ。私は日本語で「ちょっと都合が悪くなったみたいで。また遊べる日を決めとく」と伝えた。でもちょっと納得できないというかショックが大きかったみたいで、なんで?なんで?誕生日プレゼントはどうする?と聞いてきた。

私としては、キャンセルの理由はご家庭の理由だし、何が起きたのか?どうしてそうなったのか?ということを説明してももっと傷つくだけなんじゃないかと思った。6歳にルールを破ったから楽しいことはできませんっていう方針で。と言ったところで我が家にはそんなルールはないし、本当はいけるのにこないって思ってしまうだけじゃないかと。私としては「事実」だけを伝えてあとは誤魔化す嘘ならついてもいいのではないかと。

がしかし、居合わせたダディは6歳のお嬢に「真実」を伝えた。ベスティのお家はルールを破ったら楽しいことはできない、ベスティはルールを破ったんだって。だから来ないんだって。と伝えた。

6歳の目から涙がポロポロ。
遊びたかったから、楽しみにしてたから、納得できないよね。

でも来ないことは事実で、お家によってルールが違うから私たちはリスペクトしないといけないし理解しないといけない。と追い打ちをかけるように話してた。

だけどさ、私としてはこのシュチュエーションでは「事実」だけで良かったのではないか?ベスティの罰をお嬢も同じくらい受けている気がしてならなかった。お嬢は何も悪いことはしてなくて、会えるなら遊べるなら遊びたかっただけ。だけど、ベスティの事情を理解しろ、リスペクトしろって結構難しくない?

なんで言ったんや?

ほんとにこの言葉しか浮かばなかった。涙を流して、自分の部屋に悲しくてこもってしまったお嬢の姿を見て、残酷すぎたと思った。

大人になれば、たかがの事情かもしれないし、割り切れるけどお嬢の心と頭はおいついてなかったね。でもダディが言ってしまった手前、私はお嬢にかけれる言葉は「遊びたかったね、楽しみにしてたもんね。でも、ベスティのお家のルールも理解しないとね。ルールを守れば誰も悲しい思いをしなかったと思うよ。きっとベスティも会いたかったし遊びたかったはず。今回は残念だったけどまたすぐ遊べるから。帰りにお誕生日プレゼントだけ置きにいこう」って伝えた。消化はできていなかった。仕方ないよ、無理。あんなに楽しみだったんだから。一生懸命、字の練習をしてカードも書いたんだし。一緒に楽しい時間を過ごせると思ってたよね。

思ったんだよ。
ついてもいい嘘ってあるんだよ。
この一件は我が家は関係がないし、同じくらいお嬢が傷つくくらいなら、適当に誤魔化して知らないふりしておけば、ショックを受けることなく予定していたイベントに参加して「ベスティも来れたら良かったね」くらいで終わって良かったと思う。

真実を伝えるのか、事実を伝えるのか

この判断を間違えたらこんなに苦しいのかと母として学んだ。
真実を伝えて、現実を突きつけて理解しろと言ってわかるステージなのかどうか、伝え方や伝わり方も含めてきっともっと何かあったよな、って思わされた。

たかが一緒に遊ぶ約束がポシャっただけ、また今度!
それを受け入れられるだけの心の準備ができているかどうか
この心の成長を見てあげるべきだったと思う。

またひとつ伸び代発見です。

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