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方法はひとつの方法なだけ

情報がすぐ手に入るからこそ、気になるワード、気にしていること、自分が今欲しいと思う事柄を検索したり、SNSを通して目にしたりすることが簡単にできる

身近で言えばインスタグラム。気がつくと見ていたりするんだけど、彼らはとてもスマートで、私をどこかで見ていた?というくらい、今、気になる検索をどんどん出してくれる!どういう仕組みなの?ほんと笑

やっぱり子育てって正解がないからこそ情報も溢れていて、「こんな言葉かけてないですか?」「話を聞けないお子様必見!」とかなんとも心を掴んでくるワードをどどーーんって出してくるんですよね。そして見るんですよね。翻弄される、される笑

これが正解!それが正解!私のやり方は間違っているのか?と思ってしまう悪魔のフレーズ。実際にその通りにやってみてもよ、慣れてないし、きっと効果が得られるだろうけど長期戦じゃね?即効性のあることではなかったりして、勝手に期待してしまった分、なんだよーーー私にはできない。。。みたいなことになることもあるさ。

思ったのよ

どんな書き方であろうと見せ方であろうと言い方であろうと、目にしたものが全ての人の「正解」になるわけではない。それは単なる方法の一つに過ぎず、その人には「効果があること」であっても「自分には通用しないこと」だったりするんではないの?と。継続、持続、と続けることは大切なのはわかっている。がしかし、今まさに頼ろうとしているママは「今すぐに変えたい」という気持ちが強いし、むしろ余裕などはないからこそできなかった自分を落ち込むわけで。

たとえばよ、小さい時から言われているルール的なことってそれは成長とともに常識という言葉に変えられて自分の「正解」という枠になる。
叱られる経験って誰にでもあると思うんだけど、ギャンギャン泣いていたら「泣くな!」とか、やれって言われたことをやらなかったら「やれって言ったのになんでやらない」って言われたり。それを自分がそのまま気がつくと子供や身近な人にも言っていたりする。生まれてずっとそうやって育ってきてしまったいるからさ、昨日今日見たことがすぐにできるわけもなく、言い方を変えてみるとか受け入れてみるとか色々とあるけど、頭では理解しているけども追いつかないのよね。本音は。
仕事でもあるよね。昔からあるやり方がやりにくくても「このやり方が正解」って頑なに変えないこととか。1が来たから次は2みたいな。けど1から5が来るかもしれないし、方法はあくまで一つの方法で正解でもなく、頑なにこだわる必要もなくて。間違ったからといって全てがリセットされるわけじゃない。どんどん違うやり方もやればいい。

とはいえ、簡単にできることではないけど、すぐにはできないからこそ意識してちょっと試してみるということって大事だなと。だけど、忘れてはならないのは、ぐさっと刺さったそのフレーズが必ずしも正解ではないということ。正解だからと意識し過ぎて躍起になって攻撃したり、自分が無理をしたり、我慢することを正解としない。イライラしてるのを我慢して、一回深呼吸してとか、深呼吸で治らんわ!ってなるし、今あるマイ常識はそう簡単には塗り替えることができないからこそ、取り入れてみたいなと思うことは意識してちょっとずつ色々やってトライアンドエラーだなと。反省して落ち込んでだとしてもそれも私だから。

数字のように絶対に正解が出るものじゃないから、正解を探すのではなく、いろんなやり方を私流にアレンジして正解にする!ってことなんだろうね。子育てに限らず、生きていく上でどんな分野にも当てはまることなのかな。ちょっとずつ取り入れて、ちょっとずつ私流に。方法は無限になるのだから。けどさ、けどさ、やってみようってトライした私を存分に、トライしてわずかにできた私を存分に誉めてあげようよ。

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