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無理だと思う本当の正体は

こうなったらいいのに。こうすればいいのに。聞いてみればいのに。と生きていると相手の言葉に対してこう感じることはないだろうか?
ワタシもそういう気持ちを抱くことがある。

そう思う時って、大体のシュチュエーションって自分で制限をかけて「できない」と決めていたりする。パートナーに「そうなってくれたらいいな」と願っていたり、なんだか周りに気を遣っていたり。それは実際に起こっていること?それとも自分の予想の世界?起こってもないことを心配している?

手に入れたい未来を手に入れるには周りの変化を期待しているというか。。。

数年前の自分はまさにこの生き方で、スタートラインに立っているけど、これをしたらこうなるからだめ。これを言ったら無理って言われるからダメ。有りか無しかで選択していたし、ダメを抱きしめて挑戦することや新しい一歩を踏み出すことすら躊躇って、新しいことよりも歩んできた道を深く耕して安心安全と。だけどどこか物足りない。その物足りなさを周りのせい、周りの環境の問題と思って、思っていることを伝えないで勝手に悶々としてた時期もあった。

どんどん新しい世界へ進んでいく人を羨ましく思っていたし。軽やかに新しい道を切り開いて、新しいことに軽く挑戦して軽く世界を変えている人に憧れすら持った。でもどこかで「あの人は才能があるから」「この人はできるから」「あの人はぶっ飛ん出るからw」とまたワタシはまた「言い訳」で自分の足元の土を耕そうとする。

彼らは簡単にやってのけたのではなく、たくさんの壁にぶち当たっているけど、ワタシが世界を変える!ではないけどワタシにはその壁はあって当たり前でそれをひっくるめての挑戦。結果、丸っとその形でなくても近づけていきたいという気持ちで行動し続けていたのだと思う。

身近で言えば、家族。
ダディに色々頼むのが億劫だった時代。
それはワタシは働いていないから、子育てや家のことはワタシがやらないといけない。子供と常に一緒にいないといけない。そうやって自分の土を耕してた。頼むことが申し訳ないとか頼んではいけないとかそういう気持ちをたくさんの理由の並べることで自分を囲ってた。
その分やっぱり不平不満が増えて、友達に愚痴ったり、やれ旦那がやってくれない。子どもを見れないと思う。任せられない、家族なのにワタシばっかりとか。愚痴もとんでもなく増える。お願いしたこともないのに起こってもない未来に心配をして土を耕す。深すぎてもはや身動きがとれなくなる。愚痴を吐き出すことって大事だし悪いことではない。
ある時、友達にこう言われた。

「その気持ちをぶつけてみたら?」

当然、えー無理無理、だって、、、、とできないって多分の理由を並べた私なんだけども、

「本当に変えたいと思っている?本当に手に入れたいと思っている?そこまで本気ではないんじゃない?」

と聞かれた。
そりゃ思っているさ。と思ったけど、なんか刺さったんだよね、この時。どこかで相手を信用していないというか「どうせ断られる」と思っていた。今考えればその理由すらを聞かずに断られてことに腹を立てていたんだろうなと思う。起こってもないことにがっかりしたり腹を立てるとはこのことです。それにどこかでハンドルできてしまう自分を相手より上に見て相手はその域まで達してない。みたいな見下してたのよね。我ながら酷すぎる😂

友達に背中を押されて、私は意を決してダディに聞いてみた。
ちょっと一人でやりたいことがあってこの時間子どもを見てほしいんだけどって聞いたら、あっさりオッケーだった。ただ、チビのご飯とかできないことがあるからそれを準備しておいて欲しいとは言われたけど、それだけで大丈夫なら全然やる!

それ以降、少しずつ時間を伸ばして、以前よりも頼りやすくなっている。
(テキストはいちいちくるけども、見てくれるだけよしとしよう!)

子供は可愛い、だけどママだって息抜きは必要。
友達が言いたかったことは「制限をかけているのは自分だけだよ」ってことだったのかと今は思う。

特に私たちは共通言語は英語。英語マスターでもない私からするといちいちそういうつもりで言ってないことも変に捉えてしまうこともある。だけど、子育てはママが産んだからママだけがするものでもない。子供が泣くから、ママの方がいいと思うという人(うちのダディも言ったけど)もいるけど、それは当たり前で。ママの方が圧倒的に子供と過ごしているんだから。だからこそ、パパもそれを超える努力をしなければならないんではないのか?同じ時間を過ごせとは言ってない、ただママの方が圧倒的に過ごす時間が多いけど、パパと過ごす1時間が楽しいと感じてもらえればパパのこともっと好きになるんじゃないのか。確かにずっと泣かれたらしんどい。二人を一緒に見るのは大変。でもママはだからと言ってパパがいない時に誰かに託してない。向き合ってるんですよ。子供が何人だろうと、泣いていても。諦めるなよ、ダディ。それに二人の子供だから、見れないではなくて見るんだよ!チームなんだから。と見守り始めると回数を重ねるごとにクリアしていく。毎週ではないし、月に1回、2週に1回だけども。

ただ気付いて欲しいのはそのきっかけをお互いが「無理」の一言でなくしてしまっているんじゃない?

ひとりの時間を作りたい。
女子会に子供なしで行きたい。
おしゃれなカフェで本読みたい
ひとりでゆっくり買い物したい。

当たり前の願いは当たり前に叶うから。
自分が本当に手に入れたいのであれば。

環境を変えてくれるのは周りじゃない、環境を変えれるのは自分。
まずは30分買い物に行っている間だけでも、美容院に行く間だけでも頼ってみるって大事です。

だって、なぜいつも自分のスケジュールを立てるときにダディの都合とか子供の都合とかを見てから隙間を見つけなければならないのよ。ママの都合はどこにもないじゃない。ママのスケジュールなのに。

だけどね、
「いやーうちは無理ですねー。」
「見てくれたらいいと思うんですけどね」
「言ってるんですけどねー」
っていう人は多分変えたい本気が違うのかもなーって。(いや知りません)

だって「やる」だけだから。
制限しているのは相手でも他の誰でもない「自分」だから。
特に子育ての土は私とあなたで一つだから。持ちつ持たれつでしょ。

そう気づかせてくれた友達に感謝です。

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