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伊勢路6〜身体のありようについて考える

2020年1月18日(土)
馬越峠がキツ過ぎて写真がないので翌日の朝の写真、尾鷲港の朝日。

天気予報通り朝起きたら雨は止んでいた。今日は峠を2つ越える予定。しかも最後に全行程で2番目にハードな馬越峠が控えていた。今日は土曜日。この旅で初めての週末だ。そのためか道を歩いていてもいつもより人が多い気がする。

とある町中を歩いていると正面から車椅子に乗った男性が結構なスピードでやってきた。よく見ると両足が全くない。しばらく行くと2人の子どもに出会う。道路に腰掛けて誰かを待っているようだ。挨拶すると何となく様子が違う。しばらくして、2人がダウン症だと気がついた。

私自身、難病と言われる病気になり、視力を失うかもしれないと言う恐怖と向き合ってきたのだけど、この二つの出会いを通して、ふと身体の満足って何なのだろうって考えた。

これまで歩いている間ずっと足が痛くておびえてたけど、それは足で歩くことができるから生じるだけ。視力だって脚力だって、たまたま自分に与えてもらってたもの。もしその能力がなければそれは不足なのか?違う、全ては今、この瞬間で完璧なのだ。そうか、わたしの感じていた恐怖は、自分が今まで当たり前のように持っていたものを失うかも知れないという恐れだったんだ。

心身ともに自分自身を丁寧に使ってゆくことはもちろん大事だけど、それを失うかもしれないとなったとき、それを手放さねばならなくなったとき、どれだけ委ねられるかということを学ぶ必要もあるのかもしれない。

午後、馬越峠を越えるとき、初めて他のハイカーと一緒になった。写真を撮りにきた中年の男性、そして若い男の子のグループ。彼らはたまたま通ったのでノリで少し歩いてみようと思ったそうで、スニーカーにトレーナーなど全くの軽装だったけど、ペットボトル片手に私を抜いて急な坂をスイスイと登っていった。急がなくていい、この瞬間の自分にできることをやるだけ、競争でも何でもないんだ。そう自分に言い聞かせる。

途中まで登って休憩していた彼らとしばしおしゃべり。もときた坂を下っていった彼らの屈託のない眩しいようなエネルギーに触れることができて嬉しかった。

馬越峠はそれこそ「THE熊野古道」といった石畳の美しい峠だった。しかし石畳の道を歩くのが初めてだった私にとっては美しさよりもキツさの方が勝っていた。前日の雨の名残で濡れた石畳をひたすら降りるのは心身ともに疲労困憊。あまりの疲労で夜になっても頭痛がずっと止まらなかった。

明日は西国最難所と呼ばれる八鬼峠が控えている。果たして大丈夫なのだろうか、不安で何だか押しつぶされそうになる。

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