安楽死
不謹慎な話。
幸か不幸か私はこれまで死にたいと思うことはあれど、死のうと思ったことはありません
死にたいと嘆いたこともないし死ぬための方法を探したこともありません。
見る人が見れば憎しみを抱いてもおかしくないほど平和に生きています。
そんな私がこんな不謹慎なことを書きたくなったのに大きな理由もなければ主張したい思想があるわけでもありません。
ただ、ずっと前から時々このことについてフと考えることがあるからです。
よって、これからの内容は何かを主張するものでも、断定するものでもないことを記しておきます。
そんな気持ちでこの話題に触れるなんてとお叱りを受けることもありそうなもんですが。
しんどい人の気持ちはしんどい人にしかわからない計り知れないものですし。
ヴィトゲンシュタイン先生も、痛みは当人にしかわからないと、そんなような内容を箱の中のカブトムシに例えて語っておられましたし。
私が考慮しようと配慮しようときっとこの話題に限らず、語るという行為そのものがもう誰かを不快にさせ傷つける可能性のあるものだと思っています。
なので、リフレインになりますが、ここに記すことはあくまで私の感想、主観であって、誰かを傷つけたり怒らせたり不快にさせたりすることは本意ではないことを断っておきます。
まぁそもそも誰も読んどらんけども。
さて、賛否両論激しい安楽死ですが、その在り方、有用性、非難される点等々視点は様々ありますね。
何億通りの立場、育ち、経験があります。
ある人にとっては強く否定したいことも、ある人にとっては救いになる。
世の中良しも悪しもあってないもんです。
私には私のことしかわかりません。
なので私は、です。
私は安楽死があったら困っちゃいます。
死にたいと思うことはあっても、私の知っている、自分で死に向かう方法はどれも苦しそうで痛そうでしんどそうで人に迷惑かけそうです。
それくらいの想像力が働いて、それが死ねないと思う理由になるくらい私は元気なので。
でも、もし心や体がこじれに拗れて、その時周りの環境も最悪だった場合に安楽死という方法を知っていたらうっかり選んでしまう可能性はゼロではありません。
ちなみに、今私が想像している安楽死の方法は以前テレビで見た、なんか景色の良い草原かなんかそんな場所で呼吸が安らかに止まる窒素だから炭素だかサッパリ忘れましたけどそういう科学的なものが充満するカプセルの中でそっと死に向かっていくやつです。
死んだら必要なくなる金を使って選択できるのなら、この先のしんどい人生歯を食いしばって割れそうな頭を抱えて掻き毟りたい胸の内と共に生きるより良いかもしれないと思う瞬間が来るのはきっとこの先1度や2度では済まないと思うんです。
そんな時にうっかり選んでしまったら困る。
これが一つ目の理由です。
二つ目はとても想像力を働かせたファンタジーともいえる理由です。
例えば、例えばですよ。
もしそれが実行できる施設が近所にあったら。
もし、そういう施設ができた場合それは表沙汰になることなく、ひっそりと、そういう希望がある方のみ場所を知れるような配慮はもちろんあると思うんですけど
例えばです。
実行できる施設が近くにあったら
私はいつも安楽死が身近にあるってことですよ。
帰り道、コンビニの肉まんを食べて体をホカホカさせて、
もしくは真夏に冷たいアイスを気持ちよく食べながら、
そんな時にすら死を感じる。
普通だったらない話です。
まぁ、普通だから実際ないんですけど。
そんな感じで当たり前のように死が身近にあったら感覚変わってしまいそうで。
あ、セミ死んでるな。季節変わるから仕方ないね。くらいの特になんともない感情で死を感じてしまいそうで
なんか怖いんですよね。
そんな現実味のない妄想で、私は安楽死ができるようになったら困っちゃうなと思うわけです。