ハッシュタグ あだ名禁止

ツイッターで『あだ名禁止』が検索ワードに上がっていた。
交友関係の中で自然に発生する現象まで禁止しなきゃいけないとは。
あだ名がイジメに繋がる可能性も否定はできないけど論点がおかしいよな。
あだ名禁止したらイジメ無くなるわけじゃないし
むしろ『あー!あだ名使っちゃダメなんだー!』のあだ名警察出現による余計なトラブルもありそうだし。
そもそもイジメに繋がる呼び名はあだ名じゃなくて悪口(名詞)だし。

幼少期から
社会において人を貶めると自分に不利益が生じる
って身をもって教えるのが良いんじゃないかと思うけど
かつて体罰が許容されてた時代でもやっぱりいじめっ子はいたわけだし
これはもう自然現象であり生き物として自分より劣るものを見つけて貶めたいというのはどうしようもないことなんだろう。

さて、ではなぜ人を貶めたいのか。
それは『人を下げることで自分の位置が上だと認識したいから』である。
人に認められたい、すごいと思われたい
自分はすごい奴だと思いたい
誰かより自分は良い存在だと思いたい、良い生活をしてると思いたい
でも努力はしたくない(できない)
努力して自分を高めるなんて価値観がそもそもない
ではどうするか
意図的に人を下に置くのである。
マウントだ。
誰かを貶めて、攻撃できる自分は強いと周りにも主張してるのだ。
周りに主張するということは、周りの存在をとてつもなく意識しているということだ。
自分だけでは満足も安心も生み出せない。
自己肯定感の欠如というやつだ。

SNSでわかるように、承認欲求を満たしたい、誰かを誹謗中傷したい
すごい。
今の社会は
自分を満たすために他人を必要としているのに
自分のことしか考えられない
のだ
自分のことが可愛くて仕方ないのに
自分は可愛いと自分だけの力では思えない
誰かに認められないと不安
安心したい
イジメの根元はここじゃないかと思う

これは幼少期からの愛着関係の失敗でしかない。
あなたはあなたのままで愛されている
これができていれば人に過剰な関心なんて持たないんじゃないだろうか。
目に見えるようになってから対策するから遅い。
誹謗中傷にあだ名という手段を用いるようになった時点で根っこはもう腐っている。
もちろん悪気なく使っている場合もあるのでその時は教えてあげれば良い。
あくまでイジメの手段としてあだ名を利用してる場合の話だ。

あだ名を禁止したらイジメが無くなるわけではないのは皆んなわかっているはずだ。
幼少期からの愛着が大事だということも、関心がある人ならみんな知ってることだ。
政府だって分かっている。
けれど良くならないのは、そこに金をかけられないからだ。
偉い先生達がどれだけ頑張って保育指針に教育要領を編纂したって
子どもを育てるのは親なんだから
親が子どもを育てられる社会を作らなきゃ無理なのに。
分かっていてもそこに金をかけられない。
そんなことより経済を回さなきゃいけない。
経済を回すのは人なのに。
そこは見ないふりをする。
だから金をかけずに対策してるフリだけする。
その結果の
#あだ名禁止
なのではないかと思う。

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