No.004 : 紫陽花とうさぎとの意外な繋がり
皆さん。ご無沙汰でございます🙇♀️
身辺で色々なことがありまして
久しぶりのnote更新となってしまいました💦
気づいたら神戸のメリケンギャラリーで開催していた
鈴木知子アカデミーの修了展も終わっておりますし...
メンバーのLineグループのチャットも全然観てなくて
何だかんだ何時も余裕のない日々を送っていることに
疲れを感じているから、気づかずに間が抜けちゃう。
なんかネガティブなままだとダメですね。
嫌なベクトルの方へ傾いてしまうので
リセットして次で挽回する気持ちでいないとです!
さて、今日は6月の初旬と言うこともあり
湿っぽい梅雨の季節をイメージする「紫陽花」と
愛らしい「うさぎ🐰」を題材にしたいと思います。
↑は単に可愛い晴れ姿だったので我が家のじーじうさの
画像をネタでUpしただけですけど😅
「紫陽花」と「うさぎ」には特には何のつながりも
感じないように見えますが、実は古くから縁起の良き
コトバのモデルになっていたりします。
「紫陽花」には、額である装飾花の内側に数多くの
真花が寄せ集まっているので、それが家族団欒の姿と
置き換えられ子孫が途絶えず続くこと、更なる発展を
意味して【繁栄の象徴】とイメージされている。
一方では「うさぎ」には、縁起ものの象徴として
古来より月神の使者として祀られ、十二支の卯の他に
多産や子孫繁栄、厄除けと幸運や商売繁盛の飛躍
(ぴょんと跳ねるから)など数多くのコトバの意味を持つ
幸せを招く【平和の象徴】とされている処にある。
これから示す北鎌倉の明月院と広島のうさぎ島には
第2次世界大戦で敗戦した戦後の日本との繋がりで
各々に「紫陽花」と「うさぎ」の存在が深く結ばれ
関わりがあるのです。
その様をスナップした写真画像で示せたらと思い
各々にカテゴリーを設け引用を混ぜて示してみました。
◆北鎌倉の明月院「あじさい寺」
明月院の姫紫陽花は元々ここに自生していなかった。
終戦後、荒廃して生きる気力を失った人々の心を
慰めようと明月院の住職が挿し木して植え続けてきた
姫紫陽花が少しづつ実を結んで、日本の高度成長期の
昭和40年代の初めに「あじさい寺」の名前がついたと
言われています。
紫陽花がもともとは死者を弔うための花でもあり
周囲に綺麗な紫陽花が咲く鎌倉の街並みや寺院には
寂しさや優しさ、哀しさといった感覚を感じるので
きっと、紫陽花の花が鎌倉を訪れる人々と地域を
見守り続けてくれているからなのかもしれません。
明月院に入る前でも後でも良いので、
ひと息ついてから、のんびり楽しんで下さいね😊
ひと休みにオススメな場所
ちなみに、なぜ明月院の境内にうさぎがいるかというと、
お寺の名前である明月院に「月」が入っていることが
由来しています。
月神の使者がうさぎであり、紫陽花の明月院ブルーには
蒼き月の満月と重ねて「平和への祈り」が籠めらているから。
◆うさぎの楽園「大久野島」へ
鎌倉から遠く離れた広島県竹原市に、
かの有名な、うさぎの島「大久野島」があります。
北鎌倉の明月院と何の関係があるの?
と言う話になる主だった部分は「戦後の日本」との
関わりがあると言う点です。
ここも同じく戦後に国立公園化されたことで
紫陽花と一緒にリアルのうさぎと一緒に触れ合える
数少ない名所のひとつとなったこと。
元々この島にはうさぎが1羽も生息していなかったのに
何故?この地に平和の象徴として齎されたのかの
歴史背景を知ると、心が張り裂けそうな過去の深い闇を
知ることが出来ると思います。
表向きは周囲は美しくうさぎと共に癒される場所。
だけど、過去の爪痕のことを知ると
更に違った角度でこの島の魅力を感じることが出来る。
癒されるうさぎの島
可愛いうさぎ達の楽園にようこそ🐰
島のことがよくわからなくても
↓のうさぎの島の玄関口である忠海港の公式HPを
一読いただければ大丈夫だと思います♪
月の神の使者達にいっぱい癒されて下さい。
暗い影と過去の爪痕
この島には今も進む時間と、止まってしまった時間
この二つの時間軸が交わる場所が幾つも存在する。
私はこの二つの時間が折り重なる場所を「特異点」
英語ではシンギュラーポイントと言う
なんか滅んで崩壊した処に元気良く駆け回るうさぎが
あちこちにいると、凄く違和感を感じのです。
この先もっと科学が発展して、人より機械が先を進む
技術的特異点のシンギュラリティが起こると
映画のターミネーターのような世界が来るのかな💦
実際は人間同士の戦争で文明が崩壊し
人類が滅亡した先には、うさぎだけの創世記の世界が
くるかも知れないですね...
ここから先に示す画像は、今の文明社会が崩壊した先の
「慣れ果てた未来の姿」と思って観て欲しいです。
旧日本軍が残した負の遺産の全容(引用)
大久野島の深い処を知るために参考となるものを
此処に引用として集約しました。
潤んだ瞳の先に写るもの
2018年に横浜のエリスマン邸ギャラリーにて行われた
鈴木知子ゼミ6期修了展「Contrast」で展示した作品を
大久野島ビジターセンターで開催された
「うさぎ作品展」にて再展示する機会を得まして
以下の作品画像を3ヶ月間大久野島に展示してました。
仔うさぎの潤んだ瞳に写る先には
文明社会が崩壊した世の末の姿が写し出されている
そこには人の姿は存在しない。
荒廃した瓦礫の中を、小さな生命が無邪気に走り回り
新たな地球の主として、楽園を築こうとする姿を
決してこうなってはならないと言う意味を乗せて
◆平和な世界を願う今の姿を
もう二度と同じ過ち悲劇を繰り返してはならない
時間の経過と共に世代が交代し
戦時中の記憶がどんどん風化する一方ですが
きっと今の明月院も大久野島も
戦争のない世の中を願う「祈り」で結ばれている。
皆さま。長々とご覧下さり、
どうもありがとうございました😊