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The True Cost

 私は衣服にまつわるドキュメンタリー映画の「The true cost」を観た。
 
 この映画を観て実感したのは、私たちが生きるこの世界は色んな面ですごく見えにくい世界になってしまっているということ。いかに自分が異様な時代を生きているのかが映されていたと思う。字幕と音声を追うのに精一杯だったせいもあるけど、私はまだこの映像をどこか自分の現実と合致させられていないようにも思う。それだけ”見えない”仕組みが浸透していることを実感した映画だった。

 The True Cost では、華やかで輝かしく見えるファッション業界のその背後にある闇が赤裸々に映されている。

 グローバル展開する先進国の大手ファッションブランドの大抵は、安い人件費を求めて工場を発展途上国に置き、商品の大量生産を行っている。そこでは、人の搾取だけでなく、動物の搾取、環境の搾取が当たり前になっていて、数々の悲しい出来事が起き続けている。

 有名な一例として「ラナプラザの悲劇」が挙げられる。これは、バングラデシュの商業ビルであるラナプラザが突如崩壊し、死者1000人以上、負傷者・行方不明者3000人以上の被害が出た事件である。これが悲劇と呼ばれるのは、多すぎる被害者の数に加えて、明らかな人災であったことにも由縁がある。
 ビルには商業施設の他に縫製工場が詰め込まれており、上層部に設置された大型発電機と数千台のミシンの振動によって崩壊に至ったとされている。
 また、建物自体も5〜8階部分は違法に建設されたものであり、4階までの部分も工場用には設計されていなかった。
事件の前日には建物にひびが確認され、工場以外の部分では人々が避難したり、店が閉鎖されたりしたが、縫製工場の労働者たちは働き続けるよう強いられ、翌朝ビルが崩壊した。

 さらには、崩壊後の救助活動も体制・期間ともに不十分なものであり、バングラデシュ史上最悪の労働災害となった。


 とてもショッキングな出来事である。しかし、ファッション業界の闇はなにも「ラナプラザの悲劇」だけではない。縫製工場の問題以外でも、製品に使用される素材の綿や革が生産される土地で多くの健康被害が出ていたり、数々の環境破壊が起きている。
 そして私たちが実際に製品を買うときには、モノを目の前にしても、背後の問題の大きさや闇が見えにくくなっているのだ。

 こうした問題があるという事実を文章で読んだり、ニュース映像を見たりしてショックを受けたとしても、私たちはどこか脳内で「よくある社会問題」として処理してしまうことがあるように思う。

 どれもこれも大量生産・大量消費社会のひずみに生まれているもので、つまり私たちが参加している社会システムが作り出している問題なのに。
もっといえば、グローバル社会に生きている以上、これは否応なく、自分たちの問題である。ドキュメンタリーでは、見えにくくなっているその事実を正面から突きつけられる。


 インタビューに答えていたバングラデシュやカンボジアの現地労働者の方々が、ずっと笑顔で明快に気持ちを伝えてくれようとするのだけど、自分たちが抱える実情のあまりの悲惨さに途中で涙を流しながらも、力強く訴える姿が印象深かった。

 「働くか死ぬか」の二択から働く方を選んでも、安全に生きられる保障もないような環境。家族と会えない、最低限の暮らしが保障されない。でもそれでも働くしかない。

 そうして必死に働いたのに、そのための環境破壊のせいで、病気になるしかない、死ぬのを待つしかない。
 そうして必死に働いたのに、作ったものはどこかの誰かが手に入れて、流行りが終わればゴミになる。


 血を流しても泣きながらデモをして訴える人たちを見て、見えない存在にされるってどういうことか、声が届かないってどういうことか、私はこの問題をまだ何もわかっていないなと思った。


 大量生産の服にまつわる問題を、これまでなんとなくわかっているつもりでいた。でも映画を観て、私は本当にこの現実をわかっているのだろうかと思った。

 小さい頃から、「値段が極端に安いということは、その商品やサービスが自分のもとにくる過程で、働きに対して極端に少ないお金しか支払われていない人々がいる」ということを母は事あるごとに言っていたし、そのこと自体は自分のなかの当たり前の価値観として持っていた。

 でもその事実と自分の現実を常にリンクして考えられていたか、と言われるとそうではなかった。服や靴を次々と買うタイプではないが、私のクローゼットの中身は、半分が誰かからのおさがり、もう半分がファストファッションのものだ。

 学生のお財布で買えるものには限度があるし、環境に関心が向く前に買ったものがほとんどだから仕方がないと言えば仕方がないが、自分の身近にあって実際に買ってしまうのは映画にあったような人々の犠牲の上にできた大量生産品だ。

 現状を考えていくうちに、「見えにくいシステム」と「見えなくなる自分」という問題に行きついた。

 まず大きな視点として、見えにくいシステムのビジネスによって、製品に関わる労働者やその環境が購入者からあまりに離れてしまっている。加えて、きれいな広告やパッケージのおかげで、その悲惨な現状に自分が加担しているという罪悪感が薄められ、問題が見えにくくなるようにされている。

 次に小さな視点として、そうした見えにくいシステムの中で生産されて目の前に存在する製品の問題を、欲望で掻き消して見なくなってしまう自分がいる。「これくらいの値段で買いたい」「いま必要」という購入者側の欲望が、きれいな広告や「節約」「コスパ」といった言葉に後押しされ、背後の問題と自分との繋がりが途端に見えなくなってしまう。
そうしてまた見えにくいシステムが膨らんでいく。

 「見えにくいシステム」と「見えなくなる自分」。
 この関係を、より多くの人が認識することが現状改善への第一歩なのだと思う。これは多くの社会問題にも共通して言える。

 情報社会になり色んなことが見えるようになったかと思いきや、私たちは依然として、自分から情報を得ようとしなければ本当のことは見えてこない社会に生きている。

 それから、自分のお財布にとっての安すぎる高すぎるの感覚と、実際に誰かが作ったものに対して払うお金の価値感覚も対応していないなとも思った。
 「この商品の値段はこれくらいが妥当」といった金銭感覚すらも、社会的に刷り込まれているもののような気がして、どこまでも本当のことが見えなくなっている世界に生きていることを実感する。

 The true costを観ていくと、これは「ファッションにまつわるどこか遠い国の問題」では収まらないことがわかると思う。きっと自分の着ているものや持っているものがこれまでと違って見えてくる。
 そこから先はあなた自身に委ねられている。

 すっぱりそういうものからおさらばするのか、自分の現実とにらめっこするのか、何もしないのか。
 でもきっと、この映画をみたらもう何も考えずにモノを買うことはなくなると思う。

 ファストファッションの製品を買うときには、きっとラナプラザの悲劇のことを思い出すだろうし、デパートでハイブランドショップを見かけても、以前ほど価値を感じなくなっていると思う。

 もちろん既に取り返しのつかないことが沢山起こっているから、急がないといけない問題ではあるけれど、そこに気持ちが生まれること自体、とても大事なことだと思う。あなたが本当にほしいものは何なのか、大事にしたいことは何なのかを知れるいい機会かもしれない。

 衣服に関して私たちにできることとしては、例えばこんなことがある。
 今持っているものを大切にする、新しいものを買わずに古着を選ぶ、自然素材のものを選ぶ、フェアトレードのものを選ぶ、国内で作られたものを選ぶ、等々。

 私も自分の欲望やお財布とにらめっこしながら、ひとつひとつの決断を大事にしていきたい。

Giraffe Community あきこ
ドキュメンタリー感想会より

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