春の京都とAI
3月末家族と友人で京都に行ってきた。
丁度桜が満開の時期。素晴らしいタイミングだった。
メンバーは妻も含めてウクライナの方が半分だったのだけれど、僕らとは目のつけどころが全く違ってとても面白かった。例えば、恐らく日本人か京都といわれて、まず思い浮かべるのは清水寺か金閣寺だが、彼女たちにとっては伏見稲荷大社なのだ。
何度も行ったことがあり、なんなら近くに住んでいたこともある京都だが、伏見稲荷大社に行くのは初めてだった。奈良の三輪山と似ていて、山そのものに不思議な引力を感じる場所だった。次回は頂上まで登りたい。
今回は1人で動き回る旅は諦めていたのだけれど、朝早起きして回ってくればよいと気づき?2日目の朝から実行。丁度LLUPという電動キックボードが1時間以内なら無料キャンペーンをやっていたのでフル活用して回ってきた。
回ってわかったのだけれど、京都は朝回るのが良いし、回る手段として電動キックボードは丁度良いということ。
朝の京都は観光客が少ないし、普段入れない場所(西本願寺の境内でお勤めとか。のぞいてみたが、響きがまるで讃美歌のようだった。人間が神聖だとか、荘厳だと感じる響きは文化を超えて不変なのだと思う。)にも行ける。次からも京都は朝回ろうと思った。
そして、朝の優雅な散策の筈が、気がつくとタイムアタックをするハメになっていたのはいつも通りだった笑。
個人的に1番気に入ったの竜安寺。行ってみて気づいたのたけれど、竜安寺はその回りに立派な庭がある。そして、その庭の中に石庭があるのだ。京都自体が世界のミニチュアであると考えると解像度を下げながら、次第にスケールが上がっていることになる。
ゲームを使って例えるとエルデンリングの1エリア(京都)の中にオリジナルのFF7のミッドガル(竜安寺の周りの庭)がさらにその中にオリジナルのドラクエIが丸ごと(石庭)入ってるみたいなことである。俺より数倍頭の良い昔の人が設計したのだと思う。設計した人の名前はもう残っていないけれど、設計者のメッセージはきっと(部分的かもしれないけれど)今も伝わっている。そこに感動がある。
話は変わるが、昨年の8月のStable Diffusion(言葉から絵を書くAI。性能が高い上に、モデルが全公開されてることが大きな特徴。少し知識があれば手元で動かせる)の登場から生成系AIの盛り上がりが凄いことになっている。特に今年の3月はGPT4の発表から毎日のように、革新的なモデルが発表されている。正直こんな状況で京都に行って数日間モデルを試せないのは不安だった(完全に異常)のだけれど、距離を置くことで少し落ち着くことができた。
今起こっていることは明らかに歴史的なターニングポイントだ。GPT4を始めとしたLLM(Large language Model 大規模言語モデル)がここまで急激に性能を伸ばすとは誰も予想していなかった。OpenAIの中の人たちもemerge したとか言ってる位である。LLMがこのまま規模を大きくするだけで、AGI(Artificial General Interegence、要はドラえもん)になるとは思わないけれど、LLMは現状の性能ので人間の知性と呼ばれていた能力を大部分を置き換えることができる。
LLMが明らかにしたことは、我々人間が凄い!と思っていた能力、沢山の知識を蓄えたり(これはLLM登場以前から)、外国語や敬敬語を正確に喋ったり、本やプログラムを書いたり、数学の問題を解いたりすることが実は凄くなかったということだ。こんなことは言葉の穴埋め問題を鬼の様にやらせれば誰でも、機械にもできるようになるということ。すごいと思われていた(進化論的に新しい)大脳皮質の機能(今の所一部)が一番最初に機械にミミックされたことはとても興味深い。
なら、僕らは何をすれば良いのか?何ができるのか?ぼんやり考えながら、京都を歩いた。
そんな時にふと思ったのは、天龍寺も下鴨神社も美しいけれど、同じ美しさでも何か違うなということだった。これは上手く言葉にできない。さっき話をした竜安寺の話も同じである。上手く言葉にできない、記号にできないものは、AIにインプットすることもアウトプットさせることもできないだろう。
って本当かいな?と思ったのでGPT4に聞いてみた。
大丈夫まだ俺の方が(俺的には)面白いことを言っている気がする。
もう少しで子供が生まれる。彼はAI と共に育つ最初の世代の人間になる。彼が大人になるときに見える世界は今とは全く異なっているだろう。俺はきっと何も教えられない。それは言葉で教えられることは、AIが教えた方が正確で分かりやすいからだ。ただ、伝えることはできるかもしれない。俺が感じている面白さや美しさを少しでも彼に伝われば良いなと願う。