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memento mori (その2)

先日のnoteで「memento mori」の記事を書きましたが、この言葉なんだか気になっています。

最近はオンラインゲームの「メメントモリ」が流行っているようですが、そちらではなく、「メメント・モリ」の方。

改めて、この言葉の原点に立ち返ってみました。

メメントモリは「メメント」・「モリ」の2つの単語から構成されています。

memento mori がラテン語の単語でして、mementoは「思い出せ、忘れるな」という意味。

moriは「死」と言う意味。

おそらく、mementoは英語のmemory(記憶、思い出)、moriは英語のmortal(致命的な、死ぬ運命にある)の語源になっている感じです。

Wikipediaによると、古代ローマ時代に「将軍が凱旋式のパレードを行った際に使われた」と伝えられているようです。

将軍の後ろに立つ使用人は「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」という戒めを思い起こさせる役目を担当していた。そこで、使用人は「メメント・モリ」と言うことによって、それを思い起こさせていた。

ただし、この言葉を具体的に誰が最初に言ったかは明確に分かっていないようです。

ただ、あえて言えばローマ時代のストア派の哲学者のエピクテートスという人が「提要」とう書物(彼の弟子がエピクテートスの言行録として書いた文献)には以下のことが書かれています。

「提要」は人生談義(下)に収録されています。

「死や追放やすべて恐ろしく思われるものを、毎日眼前に思い浮かべるがいい。すべてのうちで特に死を。そうすれば、君は決してなにも何も賤しいことを考えぬであろうし、また度を越えて何かを欲望することもないだろう。」

エピクテートス 人生談義(下)p262 提要21

また、一方でこのようにも語っています。

「人々を不安にするのは事柄ではなくして、事柄に関する考えである。例えば、死はなんら恐ろしいものではない。そうでなかったらソークラテースにもそう思われただろうから。むしろ、死は恐ろしいという死についての考え、それが恐ろしいものなのだ。」

エピクテートス 人生談義(下)p255 提要5

エピクテートスは、ローマ時代の後期ストア派の哲学者。西欧では彼の思想がいろいろな所で生きているようです。もともとは奴隷の身分から解放され自由市民の身となった人。

その彼の思想は、ローマ時代の五賢帝のひとりであるマルクス・アウレリウス・アントニヌスに影響を与えていたとのこと(彼の著書「自省録」にはエピクテートスの思想が色濃く反映されています)。

奴隷と皇帝は決して交わることがない立場ですが、「ものの考え」でつながることはすごいことだなあと思いました。

一定の優れた「ものの考え」は貴賤、階級、地域、時代、を超えて普遍的なものがある感じです。


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