旅の目的は人それぞれ。
旅の計画を立てている。
3月の長崎、の前に、2月東京、1月は北海道の道北旅を予定している。
旅の計画を立てるのが好きだ。細かく何時にどこへ、までプランニングすることが多い。
旅の目的は様々で、私の場合、基本的には現地滞在型だ。
宿でゆっくりすることもあるが、地元の名所、温泉や美味しいものを食べること、美術館や博物館へ行くこともある。自然のなかで過ごすのも好きだ。
北海道は自然だらけ、かつ道路が広いので、車で走っていても氣持ちがいい。
ただし冬道には注意だ。冬は吹雪いて視界不良になることが多い。ツルツル路面はスリップの危険がある。吹き溜まりに突っ込んだりもする。夏以上に神経を使うので疲れもたまる。こまめな休憩がいるので、計画もその分慎重になるし、高速が止まれば一般道を行くことになるので、当然予定通りにならないことが多い。
あとは野生動物。北海道では結構な頻度で見かけるキタキツネとエゾシカ。なかでも大きなエゾシカは厄介で、うっかり接触すれば、場合によっては車も人もタダでは済まない。
なぜこんな危険な時期に、あえて道北なのか。
道北旅がひっさびさというのもあるが、ちょっと行ってみたい宿があるのだ。
昔からユースホステルやとほ宿といった、男女別相部屋の安宿を巡るのが好きだった。若い頃はお金がないのもあるが、そういう場所でしか逢えない人もいるから。
北海道にはかつて多くのユースホステル、とほ宿があった。
初めてのとほ宿体験は21歳、北海道で。結婚のため本州へ行く友人との2人旅だった。友人が見つけてきた小さなその宿は、今はもうなく、だからこそ強烈な思い出に残っているのかもしれない。オーナー夫婦と小さな子供たち、夜の集い、朝食のパン、ジャムの美味しかったことよ。一生忘れない。
とほ宿の多くは夫婦や家族で経営していて、なかには一人で切り盛りしている方もいる。旅先で出逢った人と結婚し、宿をつくる人も多い。
想えば、宿のオーナーさんに惹かれて旅をするというパターンが多かったのではないか。特にユースには名物オーナーが多かったように思う。
ユースが最もにぎわったの70年代だろうか。カニ族といった大きなバックパックをしょった若者が列車や自転車、徒歩やバイクで旅をした。
わたしも体験したが、当時のユースホステルには不思議な決まりがあった。夕食後のミーティングといったものだ。
みんなで広間に集まり、歌を歌ったり踊ったりした。ギターをかき鳴らしたり、鳴り物でにぎやかす人、初めての人も氣がつくと輪になってはしゃいでる。あの熱量は何だったのか。まさに青春そのものともいえるもの。青春というにはちょっと年食ってたけど。
私が一人でそんなとほ旅をしたのは90年代の終わりから2000年代初めなので、最盛期の勢いは衰えていたものの、まだまだ多くの若者がとほ旅を楽しんでいた。
名物オーナー、ヘルパーさん、そして常連さん、初めてのゲストさんたち。
どこか不器用で、それでいてあったかく、一時の出逢いではあるけれど、でもなぜか思い出深い。
時代は変わり、ユースホステルは閉館するところが増え、とほ宿も減りつつある。
減った事情は多くあるだろう。オーナーさんの高齢化、建物の老朽化もあるが、移動手段(飛行機、フェリー、列車、バスなど)が高額になったこと、赤字路線や災害による路線廃止で、移動が不便になったりもした。
また、旅以外の娯楽が増えたことや、宿泊施設の多様化なども挙げられるだろうか。
安宿や人との出逢いを楽しんでいた旅のスタイルから、家族で旅するスタイルや、旅の高級化に変わったようにも思う。
経営できなくなったユースは、常連さんや家族が継承する場合もあるけれど、多くはそのまま閉館することが多いようだ。またはユースではなく、民宿やゲストハウスとして継続する宿もある。こちらも多様化?しているよう。
かつて若さと情熱を持って全国を旅した人たちは、今の時代をどう思っているのだろう。
ただの宿ではない、宿や人自体に味がある、魅力的な旅のスタイルを、わたしは大事にしたい。
今年はそうした旅ができるだろうか。